
【2013年11月30日~ 記】
先日(11/27)、報道で「60年前に起こった新生児取り違えが明らかになり、病院に3800万円の支払い命令の判決がでた」ことが明らかになった。2週間前の12日には、イスラエルとパレスチナの相互の赤ちゃんが取り違えられたことより、その後の人生が大きく変わらざるを得ない、実際の事件を扱った映画『もうひとりの息子』を見た後だったので、複雑な気分になった。
それと福山雅治主演の『そして父になる』。
日本の『取り違い事件』の概要は以下のとおりである。
「違う人生があったとも思う。生まれた日に時間を戻してほしい」。東京都墨田区の病院で
60年前、出生直後に別の新生児と取り違えられ、東京地裁で病院側の賠償責任を認める判決を
勝ち取った都内の男性(60)が27日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、揺れる
思いを吐露した。
男性は1953年3月に出生。13分後に生まれた別の新生児と、産湯につかった後に取り違
えられ、実母とは違う女性の元に渡された。育った家庭では、2歳の時に戸籍上の父親が死去。
育ての母親は生活保護を受けながら、男性を含む3人の子を育てた。6畳アパートで家電製品
一つない生活だったが「母親は特に(末っ子の)私をかわいがった」と振り返る。「この世に生
を受けたのは実の親のおかげ。育ての親も精いっぱいかわいがってくれた」。既に他界した4人
の親への感謝を口にした。
男性は、中学卒業と同時に町工場に就職。自費で定時制の工業高校に通った。今はトラック運
転手として働く。
取り違えられたもう一方の新生児は、4人兄弟の「長男」として育ち、不動産会社を経営。実
の弟3人は大学卒業後、上場企業に就職した。
兄弟で「長男」だけ容姿が異なることから、3人の弟が2009年、検査会社にDNA型鑑定
を依頼。血縁関係がないことが確認された。その直後から実兄捜しが始まり、病院の記録を基に
11年、男性を捜し当てた。
「そんなことあるわけがない」。男性は取り違えの可能性を告げられた時、最初は信じられなか
った。だが、育ての母親が兄たちと足の指の形が違うことに触れ「誰に似たんだろうね」と笑っ
たのを思い出した。
今は実の弟と月に1度飲みに行き、育った家庭の兄の介護をする日々だ。だが、実の両親との
再会はかなわなかった。「何もお返しできなかった。生きて会いたかった。写真を見ると涙が出
る」
【川名壮志、山本将克】(『毎日新聞』の記事より)
何とも聞くに忍び堅い話である。過去の人生を取り戻すことはもちろん、今となっては実の両親に会うこともできず、今の環境を変えたところで、どうにもなるわけではない。
ただ救いなのは、事件の発覚に、実の弟たちが奔走してくれたということと、貧しいながらも育ての母親や、その子どもである兄弟たちも暖かく接してくれたということである。そして、その10歳違いの兄を今、介護しているが、「今後どうするか」との質問に、「介護を続けていきたい」と答えたという。一瞬の報道だったが、人生の重さをしみじみ感じさせるインタビューだった。
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本題の『もうひとりの息子』は、というと、これも実際にあった話を題材にしているという。

テルアビブに暮らすフランス系イスラエル人の家族。ある日、18歳になった息子が
兵役検査を受ける。そして残酷にも、その結果が証明したのは、息子が実の子ではない
という信じ難い事実。18年前、湾岸戦争の混乱の中、出生時の病院で別の赤ん坊と取
り違えられていたのだ。やがてその事実が相手側の家族に伝えられ、2つの家族は、そ
れが“壁”で隔てられたイスラエルとパレスチナの子の取り違えだったと知る……。
【同映画、公式サイトより抜粋】
『イスラエル』と『パレスチナ』は、第二次世界大戦後、イギリスの《後押し》でパレスチナの地にイスラエルが《建国》されてからずっと犬猿の仲だ。(《犬猿の仲》なんていう生易しいものではないのかもしれない。)自分らの土地を奪われたパレスチナ人はヨルダン川西岸とガザ地区に押し込めれ、さらに分離壁で仕切られている。2つの自治区を渡る為には、イスラエル側に出てそこを通らねばならないが、出るのにも入るのにも厳しい検問所を通らねばならない。
映画の一方の家族はイスラエルのテルアビブの裕福な家に住み、もう一方の家族はイスラエルの実質的占領地域でパレスチナ自治区のあるヨルダン川西域でつつましやかに生活している。その2つの家族がどうして子供を取り違えるような接触があったのか、日本にいる私たちには理解しがたいが、その二人の家族の赤ちゃんが取り違えられた病院はハイファにあって、そこは特に両民族が入り交じっている地域という。
裕福と貧困という経済的な対極にあるだけでなく、文字通り《敵》と《味方》の関係に置かれている家族なのだ。
終わりの見えない《報復合戦》が続いている中での、2つの家族とその取り違えられた息子たちにどんな未来があること思うと、たまらない気分になる。
しかし、映画ではかすかな希望を見せてくれた。

『そして父になる』の方はこうだ。
「エリートサラリーマン、野々宮良多(福山雅治)は、妻みどり(尾野真千子)と6歳の一人
息子、慶多と共に都心の高級マンションに住む。ある日、みどりが慶多を産んだ病院で
新生児の取り違えがあったと分かる。DNA鑑定の結果、慶多は他人の子だった。相手
の夫婦は、群馬県で小さな電器店を営む斎木雄大(リリー・フランキー)と妻ゆかり
(真木よう子)。ゆかりの父も同居するにぎやかな6人家族の中で暮らす琉晴(りゅう
せい)こそ、良多とみどりの実の子だった。」
【同、公式サイトより抜粋】
はじめにあげた実際の事件の場合はすでに60年経過しており、今さらという感じがしないでもないが、この映画の場合はそれと違い、【取り違え】が気づく期間が6年間と短く、子どもも成長期で多感なだけに【血のつながりを選んで子供を交換するか、6年間育てた時間の重さを取るか。両家族は葛藤する。】ことになる。
映画を見ていないので、この辺の描写がどうなのか論評する立場にないが、三者三様の複雑な問題をはらんでいることは間違いない。
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3つの事例をみて、改めて思うことは【子どもは生まれてくる場所(境遇)を選べない】という事実だ。
血のつながりがあって、様々な生き方・育て方、価値観があり、それらは大切にしなければならないものだから、絶対に【取り違え】などはあってはならないものだが、何によりも【敵と味方】になってしまうことのないような平和な国際関係を築くことや、出自によって本来受けられるべき教育が受けられなかったり、金銭的な事情だけで義務教育そこそこに働きに出なければならない、今の日本のような格差社会は変えていかねばならない、と強く思う。
それにしても、人生60年の《苦労》が3800万円という金額で評価できるのだろうか。
『もうひとりの息子』-公式サイト