平成29年8月10日(木)
長崎平和記念式典
8月9日(水)、太平洋戦争の末期広島に続き
長崎へ原爆が投下されてより72年が経ちました。
長崎の平和公園で「平和記念式典」が営まれ、世界
56カ国と欧州連合の代表者も参列しました。
10時35分、被爆者歌う会「ひまわり」(最高齢92歳)
の歌声「もう二度と」の合唱が会場を、、、
「平和の鐘」を合図に、「平和記念式典」の開始です。
長崎市で新たに死亡された方の「被爆者名簿」の奉安
3,351名(累計175,743名)
この後、被爆者代表等5名による「献水」(原爆に依り
水を求めながら亡くなられた方へ、水を捧げること)
献花:長崎市長を始めとする各界代表者による
11時02分(原爆が投下された時刻)、平和の鐘が鳴り
参列者全員に依る、1分間の黙祷です、、、、。
平和宣言(田上長崎市長)
「ノーモア・ヒバクシャ」(世界中の誰もが永久的に
核兵器による惨禍を体験する事がない様被爆者からの
願い)
国連事務次長の中満さんの挨拶
核兵器禁止条約が国連加盟の6割超の122カ国の賛成
で採択されました。被爆者の願いでした、、、、、、。
核兵器を持つ国々とその傘下にある国々に訴えます。
核兵器により国を守ろうとする政策を見直して下さい。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指し、リーダーシップを取り、
唯一の被爆国として「核兵器禁止条約」への一日も
早い参加をし、核の傘に依存する政策の見直しを。
1945年8月9日午前11時2分を決して忘れません。
原子爆弾の投下により街は一瞬にして廃墟となり、、
黒焦げの子供を眺め、呆然と立ち尽くす母親、、、
72年経った今も放射線障害が身体を蝕んでいます。
世界のリーダーの皆さん、その目で被爆の地を見て下さい。
世界中の全ての皆様、最も恐ろしい事は無関心に忘れて
いく事です。
被爆者からの平和のバトンを途切れさせないで下さい。
平和への誓い(被爆者代表:深堀好敏さん 88歳)
16歳だった私は学徒動員先で、原爆投下に遭いました。
帰宅命令後、1日山中をさ迷い、翌日市街に戻り、、
一面の焼け野原、、平和公園横の川には折り重なる様に
死体が浮いていました。
倒壊した親類の家の柱に、しがみ付く様に姉は命絶えて
いました。
たった一発の原子爆弾は7万4千人の命を奪い、7万5千
余の人々はその後の人生を病巣に襲われ還らぬ人となり
ました。
核は人類と共存出来ないと確信して居ります。
2011年3月の福島第一原子力発電所の事故により、
核の脅威に怯えました。リスクの大きさにも関わらず、
次々と原発を再稼働しています。地震大国の我が国では
いかなる規制も無力です。
原発の偏重を止め、もっと自然エネルギーへ軸足を戻す
べきです。
平和憲法を国是とする我が国は、アジアを始め世界各国
からの尊敬と信頼を決して失ってはなりません。
この後、安倍総理の式辞が在りましたが、広島と同様に、
何等変わりなく、核の廃絶に努力する、核兵器禁止条約
には参加しない、、馬耳東風、全く意に介していません。
その後の被爆者団体との面談で「貴方は何処の国の総理
ですか、、」にも、馬の耳に念仏の様です、、、、。
城山小学校の5,6年生児童により「子らのみ魂よ」の
合唱がありました。
「子らのみ魂よ」 詞:島内八郎、曲:木野普見雄
めぐりきぬ この月 この日
思い出は 白雲の かなた
ひらめきの またたく ひまに
声もなく 空しく 散りし
先生よ 子等の み魂よ
子供等の澄んだ歌声、、平和を失くしてはなりませんネ。
今日の1句
宰相の奢るべからず原爆忌 ヤギ爺
長崎平和記念式典
8月9日(水)、太平洋戦争の末期広島に続き
長崎へ原爆が投下されてより72年が経ちました。
長崎の平和公園で「平和記念式典」が営まれ、世界
56カ国と欧州連合の代表者も参列しました。
10時35分、被爆者歌う会「ひまわり」(最高齢92歳)
の歌声「もう二度と」の合唱が会場を、、、
「平和の鐘」を合図に、「平和記念式典」の開始です。
長崎市で新たに死亡された方の「被爆者名簿」の奉安
3,351名(累計175,743名)
この後、被爆者代表等5名による「献水」(原爆に依り
水を求めながら亡くなられた方へ、水を捧げること)
献花:長崎市長を始めとする各界代表者による
11時02分(原爆が投下された時刻)、平和の鐘が鳴り
参列者全員に依る、1分間の黙祷です、、、、。
平和宣言(田上長崎市長)
「ノーモア・ヒバクシャ」(世界中の誰もが永久的に
核兵器による惨禍を体験する事がない様被爆者からの
願い)
国連事務次長の中満さんの挨拶
核兵器禁止条約が国連加盟の6割超の122カ国の賛成
で採択されました。被爆者の願いでした、、、、、、。
核兵器を持つ国々とその傘下にある国々に訴えます。
核兵器により国を守ろうとする政策を見直して下さい。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指し、リーダーシップを取り、
唯一の被爆国として「核兵器禁止条約」への一日も
早い参加をし、核の傘に依存する政策の見直しを。
1945年8月9日午前11時2分を決して忘れません。
原子爆弾の投下により街は一瞬にして廃墟となり、、
黒焦げの子供を眺め、呆然と立ち尽くす母親、、、
72年経った今も放射線障害が身体を蝕んでいます。
世界のリーダーの皆さん、その目で被爆の地を見て下さい。
世界中の全ての皆様、最も恐ろしい事は無関心に忘れて
いく事です。
被爆者からの平和のバトンを途切れさせないで下さい。
平和への誓い(被爆者代表:深堀好敏さん 88歳)
16歳だった私は学徒動員先で、原爆投下に遭いました。
帰宅命令後、1日山中をさ迷い、翌日市街に戻り、、
一面の焼け野原、、平和公園横の川には折り重なる様に
死体が浮いていました。
倒壊した親類の家の柱に、しがみ付く様に姉は命絶えて
いました。
たった一発の原子爆弾は7万4千人の命を奪い、7万5千
余の人々はその後の人生を病巣に襲われ還らぬ人となり
ました。
核は人類と共存出来ないと確信して居ります。
2011年3月の福島第一原子力発電所の事故により、
核の脅威に怯えました。リスクの大きさにも関わらず、
次々と原発を再稼働しています。地震大国の我が国では
いかなる規制も無力です。
原発の偏重を止め、もっと自然エネルギーへ軸足を戻す
べきです。
平和憲法を国是とする我が国は、アジアを始め世界各国
からの尊敬と信頼を決して失ってはなりません。
この後、安倍総理の式辞が在りましたが、広島と同様に、
何等変わりなく、核の廃絶に努力する、核兵器禁止条約
には参加しない、、馬耳東風、全く意に介していません。
その後の被爆者団体との面談で「貴方は何処の国の総理
ですか、、」にも、馬の耳に念仏の様です、、、、。
城山小学校の5,6年生児童により「子らのみ魂よ」の
合唱がありました。
「子らのみ魂よ」 詞:島内八郎、曲:木野普見雄
めぐりきぬ この月 この日
思い出は 白雲の かなた
ひらめきの またたく ひまに
声もなく 空しく 散りし
先生よ 子等の み魂よ
子供等の澄んだ歌声、、平和を失くしてはなりませんネ。
今日の1句
宰相の奢るべからず原爆忌 ヤギ爺