遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

歌声サロン

2018-07-05 15:21:24 | 日記
平成30年7月5日(木)

歌声サロン IN 守山

暫く無沙汰していた「歌声サロン」へ、
久しぶり(半年ぶり)に参加した。


守山文化小劇場

今回の会場は、名古屋市の北端に位置する
守山文化小劇場での催しです。
自宅(港区)から地下鉄に乗り「栄」に出る。
名鉄瀬戸線の「栄町」駅から「小幡駅」迄
急行で凡そ15分、ホームから直接、
会場の有る「アクロス小幡」へ3分の道程、
雨天でも傘を挿す必要もなく到着です。


会場(3階)には、雨天にも関わらず、
既に受付への列がある。
10時の会場、、、早速ロビーに用意された
珈琲等の飲物を手に、、リクエストカード
に曲目を記入し、先ずは一服、、、。
会場に入ると席は空いて居り、、約半分程
の参加(≒200名)、雨天の影響の様。

10時30分、ピアノ(ささはらなおみ)
リーダー(栗田さかゑ)の司会で、
「朝は何処から」の軽快なリズムで始まり
ました。
「緑のそよ風」「みかんの花咲く頃」「夏の
思い出」「明日があるさ」「青春時代」見上
てご覧夜の星を」「赤いスイートピー」と
唄い、「ビリーブ」(卒業ソング)を唄い
始めると、突然司会者は絶句し、、、涙が
溢れ、、、ピアノ伴奏と伴に会場参加者全員
でカバーし、、、、歌い終えました。
次の「真夜中のギター」でも、何時もの元気
は在りません、、、、。

先月の初めに「亀谷登志子」さんが亡くなら
れました。  昭和30年代頃、歌声喫茶
「コーラス」が名古屋に誕生し、その頃から
ピアノ伴奏をされ、歌声運動の発展に尽力
された方で、今年の始め迄現役でピアノを
弾いて居られました。栗田さんは此の方の
指導の下現在に至り、、、恩師を失くした
ショックは、胸中察して思い余る物が、、

会場の拍手と激励の下、立ち直り、、、
「久しき昔」を唄い、、15分の休憩です。


ジェリー藤尾、遠くへ行きたい


ブラザースフォアの花は何処へ行った


フォークソング、岬めぐり

ロビーでお茶を手に気分一新、後半の開始
「椰子の実」「浜千鳥」「桜貝の歌「恋の
バカンス」「高原列車は行く」「遠くへ行
きたい」「岬めぐり」「好きになった人」
「世界は二人のために」「旅人よ」「東京
ラプソデイ」「ローレライ」「花は何処へ
行った」「小雨降る径」最後は「故郷」の
大合唱でフィナーレです、、、。

今回の心に残る歌は、「久しき昔」

この歌の作詞作曲をしたベイリイは、1797年
イングランドの裕福な家庭に生まれ、不自由
なく幼少期を過ごす。
後年、詩人、作家として名を成す中、資産家
の娘と結婚1男2女が誕生、幸福絶頂の時、
息子を亡くし、、失意に作品が書けなくなる。
その後、妻の資産を炭鉱に投資し失敗、破綻
していく、、
そんな頃に書いた作品が「久しき昔」原題
「ロング・ロング・アゴー」です・
メロデイが易しく、軽やかにリフレイン、、
口遊む中、次々と替え歌が出回ります、、
20世紀に入り、米国のデイーン・マーチン
等が唄い大ヒット、、クグレン・ミラーが
ジャズにアレンジする。

明治20年、日本に紹介され、唱歌として
広まった。
一度は必ず耳にしたメロデイは決して忘れず、
誰もが、あの頃の思い出に浸る事でしょう。


久しき昔(ロング・ロング・アゴー

作詞、作曲 : トーマス・H・ベイリー
   訳詞 :津川 圭一

語れ愛でし心 久しき昔の
唄えゆかし調べを すぎし昔の
汝帰りぬ ああ嬉し
永き別れ ああ夢か
めずる心変はらず 久しき今も

逢いし小道忘れず 久しき昔の
勿忘れそと告げたる すぎし昔の
わが笑い ひとにほめ
汝が語る 愛に酔う
その言葉なお胸に 久しき今も

いよよ燃ゆる情けや 久しき昔の
語る面はゆかしや 過ぎし昔の
ながく汝と 分かれて
いよよ知りぬ 真心
ともにあらな楽しや 久しき今も


今日の1句

夕焼それぞれに在る家路哉   ヤギ爺