平成31年4月3日(水)
白鳥山法持寺へ、

法持寺裏の桜
朝、9時30分に地下鉄「神宮西駅」4番出口を
上った所が集合場所です。
当日、体調不良のため2名欠席、6名に参加。

法持寺の境内
先ず、直ぐ近くにある「白鳥山法持寺」へ向かう。
天長年間に弘法大師が熱田神宮へ参拝の折り、
日本武尊を慕い、地蔵菩薩を彫り小祠を祀ったのが
草創と言われ、後に白鳥御陵(日本武尊の墓)を鎮守
とし御陵の宝物を護持する寺と言われている。

又、昭和32年頃より30年間、大相撲の三保ケ関
部屋の宿舎となった。




昭和の大横綱「北の湖」の足跡が寺の境内に残る。
松尾芭蕉の句碑「何とはなしに何やら床しすみれ草」
や、山岡荘八の「藪柑子霜立つ庭の媚びとなり」の
句碑もある。

この日は、強風が吹き、花冷えのする吟行日となり、
本堂の大きな甍の両端にある「風鐸」が風に揺れ、
左側の風鐸は樹木の揺れるのに合わせる様に揺れて
半鐘の鳴る様な大きな音が鳴り響いた、、、

一同、これに驚き、手を休めて暫し風鐸に見入る。
初めて風鐸の鳴る音を聞いた、、、、。
本日の1句
風鐸の堪らず鳴りし春疾風 ヤギ爺
白鳥山法持寺へ、

法持寺裏の桜
朝、9時30分に地下鉄「神宮西駅」4番出口を
上った所が集合場所です。
当日、体調不良のため2名欠席、6名に参加。

法持寺の境内
先ず、直ぐ近くにある「白鳥山法持寺」へ向かう。
天長年間に弘法大師が熱田神宮へ参拝の折り、
日本武尊を慕い、地蔵菩薩を彫り小祠を祀ったのが
草創と言われ、後に白鳥御陵(日本武尊の墓)を鎮守
とし御陵の宝物を護持する寺と言われている。

又、昭和32年頃より30年間、大相撲の三保ケ関
部屋の宿舎となった。




昭和の大横綱「北の湖」の足跡が寺の境内に残る。
松尾芭蕉の句碑「何とはなしに何やら床しすみれ草」
や、山岡荘八の「藪柑子霜立つ庭の媚びとなり」の
句碑もある。

この日は、強風が吹き、花冷えのする吟行日となり、
本堂の大きな甍の両端にある「風鐸」が風に揺れ、
左側の風鐸は樹木の揺れるのに合わせる様に揺れて
半鐘の鳴る様な大きな音が鳴り響いた、、、

一同、これに驚き、手を休めて暫し風鐸に見入る。
初めて風鐸の鳴る音を聞いた、、、、。
本日の1句
風鐸の堪らず鳴りし春疾風 ヤギ爺