そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

2006年06月21日 | か行
いあわせとは、何かを達成することによって手中におさめるものではない。
「これでいいんだ」と自分の現実(ありのまま)を自分で認めることによって向こうからやってくる。
  東ちづる

<人をどうすれば愛することができるだろう

    それは 自分を 好きになることです>


丘の南のちいさな家で
私は生きてゐた! 
花のように 星のように 光の中で 
歌のように 

「風詩 」 立原道造


それでも いいや

台地の北にあるアパートで
そうすけは生きている
沸騰した薬缶のように
消し忘れた煙草の残る灰皿のように
ゴール!と叫ぶ未明のラジオのように
風に吹かれて
祭りの後ののカラオケルームのように

「諦め」とは
すなわち「悟ること」

影男が語る。
「嫌な存在が周囲にいるならば、その「嫌な存在」があるからこそ自分が存在する。

自分を脱ぎ捨てる。
それには、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がると水前寺さんが歌ってます。
すると二歩退いた地点は二日前とは違うのです。
今のあなたは、過去のあなたとは違う。
今のあなたは、三歩先のあなたではない。
今のあなたは、自分を脱ぎ捨てた真っ裸の自分なのです。



これでいいのだ   バカボンのパパ




梅雨

2006年06月21日 | 日記
梅ノ木が斜面にたわわの実をたらしていた。

実がひとつ。転げ落ちていく。

蚯蚓がVの字になったり、Iの字になったりしながら

猛スピードで斜面を駆け落ちていった。

山頂に天敵がいたのだろうか。

梅の天敵は雨。