トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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西鉄の遠戚? 大交北部バスの車両

2011-09-01 22:47:00 | バス

大分22か15-74.90年式の6Eで、高田観光バスから移管された車両。旧高田観光バス塗装。


大分200か・318、2005年式いすゞ・エルガミオで、大交北部バス発足後初の新車。大分交通旧塗装で、通称「トラバス」塗装。


大分22か17-52.ボディが短尺なので富士8Eか?



大分22か16-54.日野レインボーと思う。旧中津観光バス塗装。


大分230あ・141.ナンバーは希望で、型式名のBX141にちなむ。1957年式のいすゞ車で、車体は北村。元は秋田の羽後交通で、廃車後40年近く放置され、土に還りかけていたが奇跡の復活を遂げた。
車体に大交北部バスの表記はないが、車内の注意事項のステッカーに「大交北部バス株式会社」とあり、所有は大交北部バスのようである。


大分22か18-33.高田観光バスが導入した93年式のいすゞ・キュービックで、何故か貸切塗装。


ここまで2011年6月18日、豊後高田で撮影。


大分200か・・15。大分交通が導入した99年式の三菱・エアロミディ。塗装は中津観光色からトラバス色に塗り替えられた。


大分22か18-51。高田観光が導入した93年式の日野レインボーRB.塗装は高田観光色からトラバス色に。

以上2枚、2010年10月9日、中津駅前で撮影。

最後に大交北部バスについて。大交北部バスは89年、大分交通の中津・耶馬渓両営業所を分社して設立された100%子会社である中津観光バスが前身である。2005年、同時に誕生した高田観光バス(高田・安心院営業所が前身)を吸収、大交北部バスと改称した。
中津観光バス設立の少し前、西鉄も中津営業所を分社し二豊交通を設立したが、大西鉄の辺境故の悲しさか、現在は全路線が廃止され、行橋から中津の東隣の豊前市・吉富町までは西鉄資本を有するバス路線の空白地帯と化している。
中津観光バス設立時の89年、親会社の大分交通は西鉄グループの一翼を担っていたが、西鉄百年史の過去の関連会社の項目にこれらの大交子会社群は記載されておらず、あくまでも大交グループではあるが西鉄グループとしては扱われていなかったようである。
車両に関しても、西工ボディの車両は皆無であり、西鉄色は全く無い。

バスターミナル15 豊後高田

2011-09-01 22:29:00 | バス
大分県・国東半島の付け根に位置する豊後高田市。かつては国鉄宇佐駅を経て宇佐八幡へ至る大分交通宇佐参宮線の起点であった。

現在市内に鉄道路線はないが、宇佐駅から宇佐バスターミナルまでは僅か4kmである。

鉄道時代の駅舎を改修したといわれる大交北部バスターミナル建屋。駅時代の写真を見たが鉄道駅時代の面影が全く無いほどに改修されており、俄に信じがたい。



建屋内は暗く、陰気臭い感じ。定期券売り場や事務室はあるものの、売店などは無い。ふるい運行系統図が残る。


バスが発着するホームは頭端式で、鉄道時代を彷彿とさせる。



まるで機関区のように検修庫や車庫がある。かつてはここも西鉄グループであったが、富士7E,5E にエアロスターが並び、その面影はない。


2面2線のような乗り場。片面に2つずつ、4つの乗り場がある。大分空港、中津駅、四日市、宇佐駅、伊美方面への路線がある。


バスターミナル前の通りは、現在も「駅前通り商店街」である。正面ピンクの建物が駅。

◎基礎データ
所在地 大分県豊後高田市新町
乗り入れ会社 大交北部バス
接続鉄道路線 無し
乗車券類発売
売店 無し
類型 鉄道駅代替(大分交通宇佐参宮線)、バス路線接続型、地域拠点