昨日の日経新聞一面下にある「春秋」に興味深い記事
があった
米国の元新聞記者が、金曜夜の就寝時から月曜朝まで
自宅のパソコンをネット接続から切り離したらどうなるか
という実験に家族で挑んだ。
実験初日。ネット経由の映像や音楽などを欠いた家族は
他人の家のようによそよそしかったそうだ
「つながらない生活」で、見慣れた風景は現実感は乏し
く、部屋は静まり返って感じられ、見るものには生気が
なく、思いついた疑問も天気予報もすぐには検索できず
ただ不自由を嘆いたらしい。
ところが数週間後、変化が訪れる。
パソコンに「へばりついていた心」が引きはがされ、家族
水入らずの時間がよみがえる。
本に向かいじっくり物事を考える習慣が戻る。
ネット不在の週末が楽しみになると同時にデジタル機器
の有益さも改めて理解。
ネットとは自分で適切な距離を取らなくてはいけないとの
結論に至ったそうだ。
ネット環境はもはや生活や仕事に不可欠だが、すべてが
便利すぎ利ものには注意が要る
米国では「ネット安息日」をもうける人が増えたと先月の
日経の記事にもあった。
記事には大体こんなことが書かれていた
「ネット安息日」とはいいネーミングだ!
出張するとパソコンの束縛から解放されてほっとする
もっとも出張も最近はなくなったので四六時中を束縛さ
れ続けているのかもしれない
長く使っていなかった自宅の古いパソコンをネット接続
したのが昨年の前半だったか、以降、家に帰ってもつい
ついネットで時間を浪費、なくても済んでいたのにあれ
ば使ってしまう
しかし仕事場だけのネット環境にすると不便をこうむる
そのへんのコントロールが難しくてもう1年になるか
いますぐ「ネット安息日」を設けることはできないかも
しれないが、それに代わるネットルールは前進している
昨年の11月末で某SNSのオフィシャルブロガーから
解放されて以来、ここでは書きにくいことだが、他人の
ブログ訪問は最低限に止めている
HPも最低限の更新だけ
従来はこれらだけでも過ぎた時間を浪費していた
そう言いながら書き続けている「ブログ」のことを思うと
歯切れが悪くなる
何度「ブログ休刊日」をと思い続けながら「連続発行」
のキレる恐怖?に当てのない発行を続けている
このことがもしかしたら自分にとって「ネット安息日」
の最大の障害になるのではないか?
そんな気がしている
昨夜なんか、ナイトウォーク&ランに行っていて深夜の
12時、日が替わってしまいそうな気配にあわてて家に
戻って「なにもなし」と連続発行するためのような意味も
内容のないことですませてしまった
続けることより、止めることはもっと難しいという持論は
時として自分を時間でしばりつけて安息を奪っているの
かもしれないな
「ネット安息日」、「ブログ休刊日」
簡単なことなんだけどな・・・。
があった
米国の元新聞記者が、金曜夜の就寝時から月曜朝まで
自宅のパソコンをネット接続から切り離したらどうなるか
という実験に家族で挑んだ。
実験初日。ネット経由の映像や音楽などを欠いた家族は
他人の家のようによそよそしかったそうだ
「つながらない生活」で、見慣れた風景は現実感は乏し
く、部屋は静まり返って感じられ、見るものには生気が
なく、思いついた疑問も天気予報もすぐには検索できず
ただ不自由を嘆いたらしい。
ところが数週間後、変化が訪れる。
パソコンに「へばりついていた心」が引きはがされ、家族
水入らずの時間がよみがえる。
本に向かいじっくり物事を考える習慣が戻る。
ネット不在の週末が楽しみになると同時にデジタル機器
の有益さも改めて理解。
ネットとは自分で適切な距離を取らなくてはいけないとの
結論に至ったそうだ。
ネット環境はもはや生活や仕事に不可欠だが、すべてが
便利すぎ利ものには注意が要る
米国では「ネット安息日」をもうける人が増えたと先月の
日経の記事にもあった。
記事には大体こんなことが書かれていた
「ネット安息日」とはいいネーミングだ!
出張するとパソコンの束縛から解放されてほっとする
もっとも出張も最近はなくなったので四六時中を束縛さ
れ続けているのかもしれない
長く使っていなかった自宅の古いパソコンをネット接続
したのが昨年の前半だったか、以降、家に帰ってもつい
ついネットで時間を浪費、なくても済んでいたのにあれ
ば使ってしまう
しかし仕事場だけのネット環境にすると不便をこうむる
そのへんのコントロールが難しくてもう1年になるか
いますぐ「ネット安息日」を設けることはできないかも
しれないが、それに代わるネットルールは前進している
昨年の11月末で某SNSのオフィシャルブロガーから
解放されて以来、ここでは書きにくいことだが、他人の
ブログ訪問は最低限に止めている
HPも最低限の更新だけ
従来はこれらだけでも過ぎた時間を浪費していた
そう言いながら書き続けている「ブログ」のことを思うと
歯切れが悪くなる
何度「ブログ休刊日」をと思い続けながら「連続発行」
のキレる恐怖?に当てのない発行を続けている
このことがもしかしたら自分にとって「ネット安息日」
の最大の障害になるのではないか?
そんな気がしている
昨夜なんか、ナイトウォーク&ランに行っていて深夜の
12時、日が替わってしまいそうな気配にあわてて家に
戻って「なにもなし」と連続発行するためのような意味も
内容のないことですませてしまった
続けることより、止めることはもっと難しいという持論は
時として自分を時間でしばりつけて安息を奪っているの
かもしれないな
「ネット安息日」、「ブログ休刊日」
簡単なことなんだけどな・・・。