ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

降臨節第1主日

2006年12月03日 | ショートメッセージ
「世を照らす真の光があって世に来た」と
福音記者ヨハネは主イエス誕生の意義を語ります。
このみ言葉は世が闇であることを示しています。
闇とは暗闇のことですから、主イエスなしには
ほとんど何もみえないということになります。

同じ福音書には
「あなたがたが見えると思っているところに罪がある」
(9章41節)
という主イエスのことばがあります。
このことばはファリサイ派に向けて語られたものですが、
私たちにもあてはまらないかどうか検討する必要がありそうです。

「見る」ということは人間にとって最も基本的な行為です。
それは簡単に網膜に対象が写るという以上に対象を認識し、
受け止め、理解することまでも含むはずです。
それなのに、ごくごく当たり前のことであるために、
自分には「見えている」と思い込んでしまうのでしょう。

しかし、自動車を運転しながら考え事をしていたために
交差点で赤信号なのに気付かなかったということが起こります。
何かが私の心をふさいでいれば、物理的に見えてはいても
認識までにいたらないということです。
ヨハネはそれを闇と表現しているのでしょうか。

語源的に言えば、闇とは「止み」であり、
呼吸が「病み」とつながっているのだそうです。
私たちの時代は「病んでいる」と
表現するしかない時代のように思えてなりません。
「世の光」は「癒し主」であるという関連を
ここに読み取ることが出来るように思えます。
「世の光」を受け入れ、病みを癒して頂けるように願いたいものです。

2006年12月3日 降臨節第1主日 司祭 サムエル 輿石 勇