ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

主イエス命名の日

2007年01月01日 | ショートメッセージ
「名を広める」 イエス命名の日に 

イエス様が、その命名されたという記念の日にあたって、
この「イエス」=ヘブライ語では本来「ヨシュア」でありました。
これは、「ヤハウェ(神)は(わたしの)救いである。
主は救って下さる」という意味です。
このヨシュアという名前は、イスラエルで最も広く用いられたもので、
特に長男につける名前だったと聞いたことがあります。
従って、非常に多くのヨシュアが存在するわけです。
聖書の中にも、モーセの後継者ヨシュアを初めとして、
少なくとも4人登場してきます。
また、同じ意味のイエスと呼ばれる人物も3人います。
結構ありふれた名前であったといえるでしょう。

しかし、わたしたちクリスチャンはこの名のゆえに、
自らのすべてを捧げているし、多くの殉教者は命さえ惜しまなかった、
そのことを考えるとこの名前を宣べ伝えることは大きなことであるし、
「神はわが救い、神は救って下さる」という信仰の神髄ともいえるこのお名前が、
神のひとり子につけられたということに心が震えような思いがします。

たとえば、今日の使徒書にあるように、
パウロは異邦人のためにイエス・キリストの御名を広め、
異邦人を信仰の従順へと導こうとしています。
使徒言行録に記されているパウロの宣教をお読みいただければわかりますが、
そこには多くの困難が伴いました。
宣教旅行に出かけた先では土着の神々を信仰する人たちから袋だたきにされたり、
その地に住むユダヤ人からも排斥されたりすることもありました。

しかし、パウロは自分の召命を信じ、イエス・キリストの僕となって
その使命を全うするために、「イエス・キリスト」御名を宣べ伝えたのです。
パウロにとってそれほどにイエス・キリストの御名を広めることは
大切なことだったのです。
なぜなら、パウロはかつて律法の奴隷になっていたにもかかわらず
それに気がつくことなく、自分を愛し生かしてくださるお方である
イエス様を迫害していたからです。

そして、そのような自分自身の過ちに気付かされ、
そんな自分であったにもかかわらず完全に赦されていることを
イエス・キリストから教えられたのでした。
すなわち、自分の罪がキリストを十字架に賭けたにもかかわらず、
キリストは自分を受け入れてくださり愛していてくださることを知ったパウロは、
まさに目から鱗が落ちるという経験をしました。
そして、彼は命を賭けてでも
この名を世界に広めないわけにはいかなくなったのです。

その当時、「名を広める」とはその実態を伝えること事に他なりませんでした。
すなわち、パウロの宣教の働きとはまさに自分を通して示された
イエス・キリストの愛を人々に実践していく働きになっていったのです。

私たちも、この日に、主イエス・キリストの名によってここに集い、
主イエス・キリストの名によって
ここからそれぞれの生活の中に派遣されていきます。

そして、わたしたちの求められている事は、
そこでの働きを通して、それぞれが主の名を伝えていくことなのです。
私たちは、パウロと同じようにイエス・キリストを主として、
イエス・キリストの僕となって生きる者です。
しかし、わたしたちは、強いられて不自由にされて仕えるのではなく、
他ならぬ自分に示された、主イエス愛を他の人々のために示していく働きを、
自ら担う僕なのです。

今日から始まった私たちの2007年の働きが、
いつもイエス・キリストの名によって導かれ、
絶えずこの名に立ち戻り、
教会の交わりからそれぞれの場に主の御名によって
遣わされていくものとなりますように。

司祭 マタイ金山昭夫