<マルコによる福音書12:49-56>
イエスは「火を投じるために来た」と言っておられます。
イエスの働きは決して暴力的であったり破壊的であったりしませんが、
付議の世に義を貫いたり不正の中で生を生きようとすれば、
結果は時に火を投げ込むのと同じことになるのです。
日本人は「場」を自分で引き受けることを嫌い
波風立てずに不正を見ても見ない傾向にありますが、
イエスはすべての人が神の前に尊いことを根拠に
不義不正に正面から対決したのです。
司祭 ヨハネ小野寺達
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イエスは「火を投じるために来た」と言っておられます。
イエスの働きは決して暴力的であったり破壊的であったりしませんが、
付議の世に義を貫いたり不正の中で生を生きようとすれば、
結果は時に火を投げ込むのと同じことになるのです。
日本人は「場」を自分で引き受けることを嫌い
波風立てずに不正を見ても見ない傾向にありますが、
イエスはすべての人が神の前に尊いことを根拠に
不義不正に正面から対決したのです。
司祭 ヨハネ小野寺達
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