<アモス書3:1-8>
旧約聖書日課でアモスは
「主が語られる。誰が預言せずにいられようか」と言います。
アモスは元々テコアの羊飼いでしたが、
当時の社会の状況の中で、神の御心を人々
-特に悪事の上にあぐらをかく支配者階級-に対して
神の糾弾の言葉を語らずにはいられないかったのです。
神の御心を求めれば、不正に対する怒りが起こるのは当然であり、
そこから地道に御心を現していく行動が
求められるのではないでしょうか。
司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら
旧約聖書日課でアモスは
「主が語られる。誰が預言せずにいられようか」と言います。
アモスは元々テコアの羊飼いでしたが、
当時の社会の状況の中で、神の御心を人々
-特に悪事の上にあぐらをかく支配者階級-に対して
神の糾弾の言葉を語らずにはいられないかったのです。
神の御心を求めれば、不正に対する怒りが起こるのは当然であり、
そこから地道に御心を現していく行動が
求められるのではないでしょうか。
司祭 ヨハネ小野寺達
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