<テサロニケの信徒への手紙Ⅱ3:6-13>
主の来臨を待ち望むことは、何もせず天を見上げることではなく、
神の御心が現れ出るようにその器となって日々を生き抜くことです。
初代教会の信者の中には自分の生活を放り出して
再臨の主を待ち望んだ人もいたようですが、
パウロはそのような生き方ではなく、
日々の生活を御心を現すために丁寧に生きることを勧めています。
司祭 ヨハネ小野寺達
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主の来臨を待ち望むことは、何もせず天を見上げることではなく、
神の御心が現れ出るようにその器となって日々を生き抜くことです。
初代教会の信者の中には自分の生活を放り出して
再臨の主を待ち望んだ人もいたようですが、
パウロはそのような生き方ではなく、
日々の生活を御心を現すために丁寧に生きることを勧めています。
司祭 ヨハネ小野寺達
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