<マタイによる福音書24:37-44>
「主の来臨」を待ち望むということは
「今、ここ」に生きるということでもあります。
遠い将来に神の御心が成就する日を夢見ながら、
今この瞬間を主の到来の時(主が共にいてくださる時)と考えて、
その場で主にお応えすることを繰り返して
状況を開いていくことが信仰者の生き方です。
神の御心を「今、ここに」いつも顕現させることが
できるように祈りつつ生かされて参りましょう。
司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら
「主の来臨」を待ち望むということは
「今、ここ」に生きるということでもあります。
遠い将来に神の御心が成就する日を夢見ながら、
今この瞬間を主の到来の時(主が共にいてくださる時)と考えて、
その場で主にお応えすることを繰り返して
状況を開いていくことが信仰者の生き方です。
神の御心を「今、ここに」いつも顕現させることが
できるように祈りつつ生かされて参りましょう。
司祭 ヨハネ小野寺達
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