10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
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よっぱのときどき日記



 約3年半に亘って参加していた(といっても最近サボりっぱなしだったのですが)「へちま亭文章塾」という所が終了となった。
 元々はASAHI-NET自体が企画して立ち上がったものだと聞いた記憶があり、それこそ何年も続き、形を変えメンバーが変わり、塾長が変わり…としながら続いてきたコミュニティである。僕が参加させてもらったこの3年半はその最後の一節というか二節というかといったところだろう。
 今回最終回を迎えるにあたって僕も一文を投稿したし、ここの所ずっとお休みだった皆さんも投稿されていた。
 「やめないで~」という声も多い。
 しかし、よく考えてみるとこの文章塾の後半はすべて(とまでは言わないが)塾長の無償奉仕(ボランティア)によって成り立っているのである。


 例えば、たまに立ち寄るバーや居酒屋などなどがなくなってしまうとする。
 「今月いっぱいでお店閉めるんですよ。長い間お世話になりました。」とママが昔なじみのお客さんも含め、常連さんにメールを送るとしよう。そうした時にどういった状況になるか。
 そう、ここ1年も2年も顔を見せなかった昔の常連さんも
「なんだよ、ママ。何も潰す事ないじゃない。俺たちこの店好きだったんだよ。まだまだやれるって♪」
などと無責任な事を言いながら酒を飲みにくるのである。
 そして、最近の常連なんかは普段飲みに来てもせこくって1000円か2000円鹿使わず、、ダラダラと常連同士で喋ったり、ママさんに愚痴を聞いてもらったり、待ち合わせ場所代わりに使ったりしていたのにも拘らず
「ママ、このお店僕らの心の拠り所だったんだよ~。続けなよ~」
などとの給うのである。

 で、例えばお店が続くことになったらまたまた知らん顔でお店を閉めると言われた前の状況に戻るわけだ。
 本気でそのお店に継続して欲しければ、自分が支えてやるくらいの金をつぎ込まない限りこのお店は続けたくても続けられないのだ。


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 これはきっと今の文章塾にも同じ事が言えるだろう。(そうじゃない人も居られるでしょうから気を悪くしたらごめんなさい)

 自分が好きなときにフラッと立ち寄る文章塾という場所が無くなると思ったら、急に淋しくなってきた。出会った人はいい人が多かったし、できるなら自分は何もせずに場所は残して欲しい。でも、こっちにだって都合はあるんだし強制されて参加するのはゴメンだ。ましてや運営に携わるなんてとんでもない。おれ、忙しいんだよ!


 よっぱ、そんな偉そうに言うけどおまえはどうなんだ!?
 

 はい。僕は上に書いてある全くそのままのダメオヤジです。自分でもよくわかっています。だから、今回塾長が新しい場を用意しようとしてくれていますが、それに甘えていいのかとこの数日考えていました。

 これ以上、塾長の好意に甘えていて良いのか?
 じゃあ、自分は何か手助けが出来るのか?
 それを一回限りではなく続けていけるのか?
 同じ中年サラリーマン、そんなに余裕があるのだろうか?

などなど…

 まだ、自分の中での答えは出ない。

 とりあえず今の僕にできることは、近々塾長の好意によって作られるであろう、これからの進め方をどうしようかと意見交換される場にキチンと参加して、「やりたいこと」「できそうなこと」「できないこと」をしっかりと考えてみる事くらいだろう。
 幸い、参加されていた皆さんのブログは続いている限り覗くようにしているし、コメントも入れさせていただいたりすることもある。たとえ塾という場所がなくなっても繋がりたいという気持ちがあれば何とかなるのではないかという気もする。

 今必要なのは誰かにやってもらうことばかりではなく、自分で動く事かもしれない。
 「こうしてください。」ではなく
 「こうしましょう。ぼくはこれなら(お手伝い)出来ます。」かな。





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