今日(1月17日)は、戦後の代表的な名曲「あゝ上野駅」で知られる歌手・井沢八郎の2007年の忌日
井沢 八郎、本名:工藤金一は、1937(昭和12)年3月18日、青森県弘前市のひとかどの名士宅に出生したという。同地では中学生の頃から歌唱力に定評があったそうだ。中学卒業後、歌手を目指して上京。作曲家の大沢浄二に弟子入り、長い下積み生活を経て、1963(昭和38)年に「男船」でレコードデビューを果たす。 翌・1964(昭和39)年にリリースした「あゝ上野駅」が、東北地方などからの集団就職者の愛唱歌として爆発的にヒットし、一躍、人気歌手の仲間入りを果たした。
集団就職とは就職活動を集団で行なうことであり、第二次世界大戦前にも、高等小学校を卒業した人が集団就職する例もあったが、1960年代を中心とした高度経済成長期に、農村から東京や大阪などの都市部への大規模な就職運動が盛んに行なわれた。
典型的な集団就職として、農家などの次男以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、都市部の工場などに就職するために、臨時列車に乗って旅立つ集団就職列車が有名である。集団就職列車は、関係する県などが企画し、国鉄が協力した臨時列車で、途中駅には停まらずに目的地の大都市に直行。1954(昭和29)年に運行開始され、1975(昭和50)年に運行終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。就職先は東京が多く、中でも列車は上野駅のホームに降りる場合が多かった。「集団就職」と言う言葉も1954(昭和29)年に開始された「集団就職列車」から始まった言葉である。
「集団就職が始まった1954(昭和29)年から10年目の1964(昭和39)年に「あゝ上野駅」が大ヒットしたのであるが、労働省(現・厚生労働省)が中卒・高卒の労働者を「金の卵」と呼んだのも、1964(昭和39)年のことであった。この年、10月10日から第18回東京オリンピックが開催された。 東京オリンピックは第二次世界大戦敗戦後の荒廃から立ち直り、復興を遂げた日本が取り組む国家的イベントであり、日本が再び主要先進国として国際社会に復帰するシンボル的な意味を持ったものであった。この曲は中学卒業後、歌手を目指して上京した井沢自身の心情が重ねられたものでもある。
集団就職者の数は俗に言われている団塊の世代と呼ばれている人達が中学校を卒業する時代にピークに達した。このような集団就職者が、大都市の工場や商店などで大勢雇われ、戦後の日本の経済の底辺を支えてきた。私も集団就職とは関係ないが、丁度オリンピックの前年に、大阪の商社から東京で急成長を遂げていた某繊維製品のメーカーへ転職したが、その際、神戸から東京まで神戸発の夜行列車銀河で行った。そして、2週間ほど同社の工場で泊り込みでの研修を受けたが、1日24時間2交代制で操業をしている工場には、殆ど東北地方からやってきた3000人以上の女工さん達が寮生活をしながら働いていた。
以前に、このブログの 6月25日「上野駅で日本鉄道・上野~高崎間の開業式を挙行」でも書いたが、上野駅は、東京と行き来する東北地方・北陸地方の人々にとって長らく東京の表玄関の役割を果たして来た。
そのために文学や歌謡曲の分野で上野駅を扱った有名な作品が幾つかある。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく
これは石川啄木が、満24歳の時刊行した第一歌集『一握の砂』(3行詩)の1節である。「停車場」とは、上野駅のことである。
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
「あゝ上野駅」(作詞:関口 義明、作曲:荒井 英一)
1958(昭和33)年に、東北本線に初めての特急列車「はつかり」が登場してから、上野駅の黄金時代が始まった。
井沢が歌った「あゝ上野駅」の歌碑が、広小路口にある。
集団就職で「金の卵」ともてはやされた東北地方からの若者を乗せた列車は18番線に到着した。このホームは、1999(平成11)年には使用を停止した後、線路も撤去されているが、当時、家族と離れて孤独な都会暮らしを余儀なくされた若者たちを、この歌がどれだけ励ましてくれたことだろうか。現在でも、団塊の世代を中心に多くの支持を得ている。このほかにも井沢は、「男傘」(昭和39年)、「北海の満月」(昭和40年)など演歌一筋に数々のヒット曲がある。
昨・2007(平成19)年の今日・1月17日、井沢は食道癌のため死去(享年71歳)したが、この日は、奇しくも娘・工藤夕貴(歌手、女優)の誕生日でもあった。
「思い出のメロディー」(NHK、第39回)では井沢の追悼として「あゝ上野駅」が氷川きよしによって歌唱されたが、父が亡くなった後、父親のヒット曲であるこの曲を、これからは、娘の夕貴が歌い継ぐと宣言しているそうだ。
「あゝ上野駅」は、単に井沢の代表曲というだけではなく、同時に、第二次世界大戦後の日本の国の世相を反映する代表曲でもある。だからこそ、私達戦前に生まれ、戦後の昭和の時代を生きてきたものにとっては、このような歌を聴いていて胸が熱くなり、いつまでも心に残るのである。今の時代の唄にはこのような心に残るものが少ない。
この時代の名曲は、今一度懐かしい曲を聞いてみよう。
井沢八郎・「あゝ上野駅」(歌詞つきのMIDI)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AhAh_UenoEki.htm
ふと気がつくと、昭和の時代が終わってもう20年、いつの間にか昭和の歴史が遠のいていくことに一抹の寂しさが残る。
今日1月17日は、死者64034人、行方不明者3人を出した阪神淡路大震災が発生して13年目の日でもある。今日はお寺で追悼会が行われる。震災で亡くなられた方々と共に井沢の追悼もしておこう。
(画像は、井沢八郎・なつめろ全曲集)
井沢八郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B2%A2%E5%85%AB%E9%83%8E
上野駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%A7%85
6月25日「上野駅で日本鉄道・上野~高崎間の開業式を挙行」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%A4%A2%A1%B5%BE%E5%CC%EE%B1%D8
歌詞:試聴:井沢八郎 (いざわはちろう)(イザワハチロウ) : 音楽
http://listen.jp/store/artist_1148651.htm
大沢浄二 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%A2%E6%B5%84%E4%BA%8C
6月25日「上野~高崎間の開業式を挙行」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%A4%A2%A1%B5%BE%E5%CC%EE%B1%D8
団塊の世代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
東北本線優等列車沿革 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%9C%AC%E7%B7%9A%E5%84%AA%E7%AD%89%E5%88%97%E8%BB%8A%E6%B2%BF%E9%9D%A9
culturestudies : baby boomers
http://www.culturestudies.com/baby_boomers/baby_boomers03.html
就職列車
http://www.uchinome.jp/archives/yamada/yamada12.html
おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
阪神淡路大震災
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
井沢 八郎、本名:工藤金一は、1937(昭和12)年3月18日、青森県弘前市のひとかどの名士宅に出生したという。同地では中学生の頃から歌唱力に定評があったそうだ。中学卒業後、歌手を目指して上京。作曲家の大沢浄二に弟子入り、長い下積み生活を経て、1963(昭和38)年に「男船」でレコードデビューを果たす。 翌・1964(昭和39)年にリリースした「あゝ上野駅」が、東北地方などからの集団就職者の愛唱歌として爆発的にヒットし、一躍、人気歌手の仲間入りを果たした。
集団就職とは就職活動を集団で行なうことであり、第二次世界大戦前にも、高等小学校を卒業した人が集団就職する例もあったが、1960年代を中心とした高度経済成長期に、農村から東京や大阪などの都市部への大規模な就職運動が盛んに行なわれた。
典型的な集団就職として、農家などの次男以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、都市部の工場などに就職するために、臨時列車に乗って旅立つ集団就職列車が有名である。集団就職列車は、関係する県などが企画し、国鉄が協力した臨時列車で、途中駅には停まらずに目的地の大都市に直行。1954(昭和29)年に運行開始され、1975(昭和50)年に運行終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。就職先は東京が多く、中でも列車は上野駅のホームに降りる場合が多かった。「集団就職」と言う言葉も1954(昭和29)年に開始された「集団就職列車」から始まった言葉である。
「集団就職が始まった1954(昭和29)年から10年目の1964(昭和39)年に「あゝ上野駅」が大ヒットしたのであるが、労働省(現・厚生労働省)が中卒・高卒の労働者を「金の卵」と呼んだのも、1964(昭和39)年のことであった。この年、10月10日から第18回東京オリンピックが開催された。 東京オリンピックは第二次世界大戦敗戦後の荒廃から立ち直り、復興を遂げた日本が取り組む国家的イベントであり、日本が再び主要先進国として国際社会に復帰するシンボル的な意味を持ったものであった。この曲は中学卒業後、歌手を目指して上京した井沢自身の心情が重ねられたものでもある。
集団就職者の数は俗に言われている団塊の世代と呼ばれている人達が中学校を卒業する時代にピークに達した。このような集団就職者が、大都市の工場や商店などで大勢雇われ、戦後の日本の経済の底辺を支えてきた。私も集団就職とは関係ないが、丁度オリンピックの前年に、大阪の商社から東京で急成長を遂げていた某繊維製品のメーカーへ転職したが、その際、神戸から東京まで神戸発の夜行列車銀河で行った。そして、2週間ほど同社の工場で泊り込みでの研修を受けたが、1日24時間2交代制で操業をしている工場には、殆ど東北地方からやってきた3000人以上の女工さん達が寮生活をしながら働いていた。
以前に、このブログの 6月25日「上野駅で日本鉄道・上野~高崎間の開業式を挙行」でも書いたが、上野駅は、東京と行き来する東北地方・北陸地方の人々にとって長らく東京の表玄関の役割を果たして来た。
そのために文学や歌謡曲の分野で上野駅を扱った有名な作品が幾つかある。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく
これは石川啄木が、満24歳の時刊行した第一歌集『一握の砂』(3行詩)の1節である。「停車場」とは、上野駅のことである。
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
「あゝ上野駅」(作詞:関口 義明、作曲:荒井 英一)
1958(昭和33)年に、東北本線に初めての特急列車「はつかり」が登場してから、上野駅の黄金時代が始まった。
井沢が歌った「あゝ上野駅」の歌碑が、広小路口にある。
集団就職で「金の卵」ともてはやされた東北地方からの若者を乗せた列車は18番線に到着した。このホームは、1999(平成11)年には使用を停止した後、線路も撤去されているが、当時、家族と離れて孤独な都会暮らしを余儀なくされた若者たちを、この歌がどれだけ励ましてくれたことだろうか。現在でも、団塊の世代を中心に多くの支持を得ている。このほかにも井沢は、「男傘」(昭和39年)、「北海の満月」(昭和40年)など演歌一筋に数々のヒット曲がある。
昨・2007(平成19)年の今日・1月17日、井沢は食道癌のため死去(享年71歳)したが、この日は、奇しくも娘・工藤夕貴(歌手、女優)の誕生日でもあった。
「思い出のメロディー」(NHK、第39回)では井沢の追悼として「あゝ上野駅」が氷川きよしによって歌唱されたが、父が亡くなった後、父親のヒット曲であるこの曲を、これからは、娘の夕貴が歌い継ぐと宣言しているそうだ。
「あゝ上野駅」は、単に井沢の代表曲というだけではなく、同時に、第二次世界大戦後の日本の国の世相を反映する代表曲でもある。だからこそ、私達戦前に生まれ、戦後の昭和の時代を生きてきたものにとっては、このような歌を聴いていて胸が熱くなり、いつまでも心に残るのである。今の時代の唄にはこのような心に残るものが少ない。
この時代の名曲は、今一度懐かしい曲を聞いてみよう。
井沢八郎・「あゝ上野駅」(歌詞つきのMIDI)
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AhAh_UenoEki.htm
ふと気がつくと、昭和の時代が終わってもう20年、いつの間にか昭和の歴史が遠のいていくことに一抹の寂しさが残る。
今日1月17日は、死者64034人、行方不明者3人を出した阪神淡路大震災が発生して13年目の日でもある。今日はお寺で追悼会が行われる。震災で亡くなられた方々と共に井沢の追悼もしておこう。
(画像は、井沢八郎・なつめろ全曲集)
井沢八郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B2%A2%E5%85%AB%E9%83%8E
上野駅 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%A7%85
6月25日「上野駅で日本鉄道・上野~高崎間の開業式を挙行」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%A4%A2%A1%B5%BE%E5%CC%EE%B1%D8
歌詞:試聴:井沢八郎 (いざわはちろう)(イザワハチロウ) : 音楽
http://listen.jp/store/artist_1148651.htm
大沢浄二 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%A2%E6%B5%84%E4%BA%8C
6月25日「上野~高崎間の開業式を挙行」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%A4%A2%A1%B5%BE%E5%CC%EE%B1%D8
団塊の世代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
東北本線優等列車沿革 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%9C%AC%E7%B7%9A%E5%84%AA%E7%AD%89%E5%88%97%E8%BB%8A%E6%B2%BF%E9%9D%A9
culturestudies : baby boomers
http://www.culturestudies.com/baby_boomers/baby_boomers03.html
就職列車
http://www.uchinome.jp/archives/yamada/yamada12.html
おやじの唄
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
阪神淡路大震災
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD