1940(昭和15)年 の今日1月29日大阪で「西成線列車脱線火災事故」が発生した。 西成線・安治川口駅附近でガソリンカーが脱線転覆し炎上。死者191人、82人が負傷した。
1940(昭和15)年の1月29日午前6時40分頃、大阪市内の省営鉄道(省線。戦後における国鉄)・西成線(現JR桜島線)の3輌連結気動車(ガソリン動車)が安治川口駅港内の踏切を越えたところで、最後部1輌が脱線し、左に横倒しになった。タンクが破損、流れ出したガソリンに引火し、折からの強風に煽られて社内は火に包まれた。重工業地帯の職場に通勤する乗客300人は、すし詰め状態で、社内はたちまち悲鳴の交錯する地獄図絵に。特別警官隊、憲兵隊、住友金属従業員、警防団、国防婦人会の人々が駆けつけて消化につとめ、アセチレンガスで車体上部を焼ききって救出した。結局死者191人、82人が負傷した。事故の原因はポイント(分岐器)の切り違えで、信号係2人が起訴され、禁錮1年6月の刑を受けた。(アサヒクロニクル「週間20世紀」)。
この事故は列車通過中にポイントを転換したために3輌中の最後尾1両が2対のレールにまたがったまま走行し、同駅構内の踏切付近の構築物に衝突して発生した列車脱線事故であるが、気動車(ガソリン動車)の燃料であるガソリンへの引火により火災が発生した列車火災事故が重なったことから大惨事になった。
この時の事故車両キハ42000形気動車は150馬力のGMH17形ガソリンエンジンを搭載したもので、燃料積載容量400リットル、車長19メートル、定員125名の当時としては最大級の気動車であったそうだ。このキハ42000形気動車は元来、車長16メートルのキハ41000形用小型台車を元に若干拡大した軽量設計のTR29形台車(台車のことは鉄道車両の台車を参照)を使い、車体長は大きく延長した一種のストレッチモデルで、ややバランスが悪くなっていたとの指摘があるようだ。また、この事故では、車両横転、火災発生といったほかに車両が耐火構造になっていなかった、乾燥した冬の気候、大阪湾から吹く西風にあおられた、その上、超満員と数々の悪条件が重なっていた。
日本の鉄道は1872(明治5)年の鉄道創業から長らく蒸気機関車が客車を牽引する方式が主力だった。「汽車」という言葉も、ここから出たものだ。
その後、1920(大正 9)年にはガソリンエンジン動力の「ガソリン動車」が出現する。そして、列車本数増加と運行コスト低減から需要の増加を背景に、1927(昭和 2)年の日本車輌製造を皮切りとして大手・中堅車両メーカー各社のほとんどが、一斉に気動車製造に参入するようになり、1930年代には、国鉄・私鉄を通じて広く普及した。ディーゼルエンジン動力の「ディーゼル動車」は、日本では1928(昭和 3)年に雨宮製作所の製造したものが登場したが、エンジン技術の未発達から、戦前にはほとんど普及しなかった。
現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線である桜島線(さくらじません)・大阪市此花区の西九条駅から桜島駅間は独立した路線ではなく、西成鉄道を鉄道国有法により買収した西成線の一部を1961(昭和36)年の大阪環状線全通時に分離したものである。
当時の西成線は、大阪駅から臨海部を結ぶ路線であったため昭和時代の始めごろまで閑散路線であったが、日中戦争(1937〔昭和12〕年~1945〔昭和20〕年)により軍需産業が発達し、沿線に多数の工場が建設され、通勤客が激増していた。1940(昭和15)年1月15日のこの事故の起った翌年には電化工事が決定していたが、輸送能力は限界に近づいており、しかも単線区間があったため運転本数を増やすことが出来ず、朝夕のラッシュ時には乗車率300パーセント以上に達していたという。そのことが、脱線転覆に伴う炎上事故の際脱出を困難にし、惨事を大きくしたが、これを契機に、ディーゼルエンジンに力が注がれ、西成線では、事故後ガソリン動車の使用を中止し、電化工事が前倒しで行われた。工事は急速に進められ、事故の翌年には完成している。
太平洋戦争の敗戦後、石炭の価格が高騰、石炭事情の悪化もあり、1950年前後にはディーゼルカー(動車)が隆盛を極めることになった。
桜島線は、戦後も沿線工場への貨物輸送や通勤路線という目的から昼間は閑散とした状態が続いていたが、2001(平成13)年3月31日にハリウッド映画のテーマパークであるユニバーサル・スタジオ・ジャパン (運営母体についてはUSJを参照) 開業後は、そのアクセス路線としても賑わっているようだ。また、吹田~安治川口間には貨物列車が運行されている。
西成線列車脱線火災事故の起った安治川口駅隣には慰霊碑が建立されている。
それにしても、以下参考に記載の鉄道事故 を見ていると、地震や台風などの天災のように鉄道事故 も忘れた頃にはに起るものなんだよね~。
その後の国鉄の重大事故の中でもこのガソリンカーの事故はそれらを上回るものであった。ただ、この時の事故車両に乗車していた車掌は、横転により片側からしか脱出できなくなっていた窓から脱出しようとする乗客を可能な限り助けていたため、下半身に大火傷を負い、収容先の病院で死亡したという。そんな、国鉄職員が当時にはまだいたのだということが何かほっとさせてくれる。
3年前の2005(平成17)年4月25日、同じ西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線(JR宝塚線)塚口~尼崎駅間で発生した「JR福知山線脱線事故」では、事故現場の近くに住んでいる人たちが乗客の救出のため必死の努力をしているにもかかわらず、肝心の、電車に乗り合わせていたJRの2人の運転士が乗客の救助もしなかった。又、事故が起きた約3時間後、JR西日本大阪支社天王寺車掌区の区長ら職員43人が懇親目的のボウリング大会を楽しんでいた(事故があったことを知っていた者も数名いながら)といった報道を聞いたときには、それが、任務だからか?、上司の命令によるものか?どうかは知らないが、JRが国営から民営になっても変らぬ体質、国鉄時代からの職員も親方日の丸体質が変らぬものなのか・・・私達には信じられないことばかり。こんなことをおかしいと思うほうがおかしいのか?。星新一のショートショートじゃないけれど、気違いにいるとまともな人間がそこの人から見ると気違いに見えるということなのだろうか?。これから先、余命の少ない私達は、そんなややこしい時代ではない、良き時代に育ってきたことを仏に感謝することにしよう。
(画像は、事故車両の同形車〔キハ42000形の後身のキハ07系〕フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
鉄道省 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E7%9C%81
鉄道事故 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85
JR福知山線脱線事故 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
asahi.com:朝日新聞 尼崎・列車脱線事故特集
http://www2.asahi.com/special/050425/
星新一 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E6%96%B0%E4%B8%80
1940(昭和15)年の1月29日午前6時40分頃、大阪市内の省営鉄道(省線。戦後における国鉄)・西成線(現JR桜島線)の3輌連結気動車(ガソリン動車)が安治川口駅港内の踏切を越えたところで、最後部1輌が脱線し、左に横倒しになった。タンクが破損、流れ出したガソリンに引火し、折からの強風に煽られて社内は火に包まれた。重工業地帯の職場に通勤する乗客300人は、すし詰め状態で、社内はたちまち悲鳴の交錯する地獄図絵に。特別警官隊、憲兵隊、住友金属従業員、警防団、国防婦人会の人々が駆けつけて消化につとめ、アセチレンガスで車体上部を焼ききって救出した。結局死者191人、82人が負傷した。事故の原因はポイント(分岐器)の切り違えで、信号係2人が起訴され、禁錮1年6月の刑を受けた。(アサヒクロニクル「週間20世紀」)。
この事故は列車通過中にポイントを転換したために3輌中の最後尾1両が2対のレールにまたがったまま走行し、同駅構内の踏切付近の構築物に衝突して発生した列車脱線事故であるが、気動車(ガソリン動車)の燃料であるガソリンへの引火により火災が発生した列車火災事故が重なったことから大惨事になった。
この時の事故車両キハ42000形気動車は150馬力のGMH17形ガソリンエンジンを搭載したもので、燃料積載容量400リットル、車長19メートル、定員125名の当時としては最大級の気動車であったそうだ。このキハ42000形気動車は元来、車長16メートルのキハ41000形用小型台車を元に若干拡大した軽量設計のTR29形台車(台車のことは鉄道車両の台車を参照)を使い、車体長は大きく延長した一種のストレッチモデルで、ややバランスが悪くなっていたとの指摘があるようだ。また、この事故では、車両横転、火災発生といったほかに車両が耐火構造になっていなかった、乾燥した冬の気候、大阪湾から吹く西風にあおられた、その上、超満員と数々の悪条件が重なっていた。
日本の鉄道は1872(明治5)年の鉄道創業から長らく蒸気機関車が客車を牽引する方式が主力だった。「汽車」という言葉も、ここから出たものだ。
その後、1920(大正 9)年にはガソリンエンジン動力の「ガソリン動車」が出現する。そして、列車本数増加と運行コスト低減から需要の増加を背景に、1927(昭和 2)年の日本車輌製造を皮切りとして大手・中堅車両メーカー各社のほとんどが、一斉に気動車製造に参入するようになり、1930年代には、国鉄・私鉄を通じて広く普及した。ディーゼルエンジン動力の「ディーゼル動車」は、日本では1928(昭和 3)年に雨宮製作所の製造したものが登場したが、エンジン技術の未発達から、戦前にはほとんど普及しなかった。
現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線である桜島線(さくらじません)・大阪市此花区の西九条駅から桜島駅間は独立した路線ではなく、西成鉄道を鉄道国有法により買収した西成線の一部を1961(昭和36)年の大阪環状線全通時に分離したものである。
当時の西成線は、大阪駅から臨海部を結ぶ路線であったため昭和時代の始めごろまで閑散路線であったが、日中戦争(1937〔昭和12〕年~1945〔昭和20〕年)により軍需産業が発達し、沿線に多数の工場が建設され、通勤客が激増していた。1940(昭和15)年1月15日のこの事故の起った翌年には電化工事が決定していたが、輸送能力は限界に近づいており、しかも単線区間があったため運転本数を増やすことが出来ず、朝夕のラッシュ時には乗車率300パーセント以上に達していたという。そのことが、脱線転覆に伴う炎上事故の際脱出を困難にし、惨事を大きくしたが、これを契機に、ディーゼルエンジンに力が注がれ、西成線では、事故後ガソリン動車の使用を中止し、電化工事が前倒しで行われた。工事は急速に進められ、事故の翌年には完成している。
太平洋戦争の敗戦後、石炭の価格が高騰、石炭事情の悪化もあり、1950年前後にはディーゼルカー(動車)が隆盛を極めることになった。
桜島線は、戦後も沿線工場への貨物輸送や通勤路線という目的から昼間は閑散とした状態が続いていたが、2001(平成13)年3月31日にハリウッド映画のテーマパークであるユニバーサル・スタジオ・ジャパン (運営母体についてはUSJを参照) 開業後は、そのアクセス路線としても賑わっているようだ。また、吹田~安治川口間には貨物列車が運行されている。
西成線列車脱線火災事故の起った安治川口駅隣には慰霊碑が建立されている。
それにしても、以下参考に記載の鉄道事故 を見ていると、地震や台風などの天災のように鉄道事故 も忘れた頃にはに起るものなんだよね~。
その後の国鉄の重大事故の中でもこのガソリンカーの事故はそれらを上回るものであった。ただ、この時の事故車両に乗車していた車掌は、横転により片側からしか脱出できなくなっていた窓から脱出しようとする乗客を可能な限り助けていたため、下半身に大火傷を負い、収容先の病院で死亡したという。そんな、国鉄職員が当時にはまだいたのだということが何かほっとさせてくれる。
3年前の2005(平成17)年4月25日、同じ西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線(JR宝塚線)塚口~尼崎駅間で発生した「JR福知山線脱線事故」では、事故現場の近くに住んでいる人たちが乗客の救出のため必死の努力をしているにもかかわらず、肝心の、電車に乗り合わせていたJRの2人の運転士が乗客の救助もしなかった。又、事故が起きた約3時間後、JR西日本大阪支社天王寺車掌区の区長ら職員43人が懇親目的のボウリング大会を楽しんでいた(事故があったことを知っていた者も数名いながら)といった報道を聞いたときには、それが、任務だからか?、上司の命令によるものか?どうかは知らないが、JRが国営から民営になっても変らぬ体質、国鉄時代からの職員も親方日の丸体質が変らぬものなのか・・・私達には信じられないことばかり。こんなことをおかしいと思うほうがおかしいのか?。星新一のショートショートじゃないけれど、気違いにいるとまともな人間がそこの人から見ると気違いに見えるということなのだろうか?。これから先、余命の少ない私達は、そんなややこしい時代ではない、良き時代に育ってきたことを仏に感謝することにしよう。
(画像は、事故車両の同形車〔キハ42000形の後身のキハ07系〕フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
鉄道省 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E7%9C%81
鉄道事故 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85
JR福知山線脱線事故 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
asahi.com:朝日新聞 尼崎・列車脱線事故特集
http://www2.asahi.com/special/050425/
星新一 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E6%96%B0%E4%B8%80