母の日
2009-05-10 | 行事
5月10日「母の日」( 5月第2日曜日)
2009(平成21)年5月10日第2日曜日の今日は「母の日」。
日頃の母の苦労を労り、母の恩に感謝する日。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は、世界中で様々であり、例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たるなど、日付も異なる(以下参考に記載の「母の日-Wikipedia」の世界の「母の日」の日付参照)。
そして、このような母の日を祝う習慣は、古くは古代ローマ、ギリシャ時代からあったようで、紀元前250年ごろ、当時のローマでは3月中旬にキュベレー(ギリシャ神話のレアー(レイア、Rhea、「神々の母」)をたたえる春のお祭りがあったという(以下参考に記載の「レア(長音表記レアー)」など参照)。又、イギリスにおける起源は17世紀の「Mother's day」「Mothering Sunday」(奉公中の子ども達が年に一度、教会で母親と面会出来る、復活祭のちょうど40日前の日曜日)にまで遡るという(以下参考に記載の「イギリスの母の日」参照。
アメリカでは南北戦争終結直後の1870(明治3)年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウ(ハウのことは以下参考に記載の「リパブリック讃歌(友だち讃歌)誕生編」に面白い記事あり)が、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発したことに始まるが、この活動は結局普及することはなかった。
日本で行われている「母の日」の歴史は、ハウの意思を継いでその活動を果たせなかったアン・ジャービスの娘アンナが、1908(明治41)年の母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母を偲んで母が大好きだったという白いカーネーションを捧げた。そして、1914(大正3)5月、当時のウィルソン大統領は、米議会で、5月第2日曜を「母の日」とする法案を可決、祝日と定めた。
この時から、亡き母を追悼することから一歩進め、現代の生きているお母さんに感謝の気持ちを捧げる世界的な行事が始まり、これが世界中に広がった。日本には、1913(大正2)年ごろ、当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史により紹介され、キリスト教関係の団体が中心になってこれを広めたといわれている。
そして、1931(昭和6)年に起きた満州事変をきっかけに世情は軍国主義に傾いてゆくなか、政府や軍部の支援で大日本連合婦人会が結成されたのを機に、昭和天皇の皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、1931(昭和11)年、今の森永製菓が「森永母を讃える会」を作り、翌年(昭和12)年5月に、第1回「森永母の日大会」を豊島園で盛大に開催。新聞や雑誌に大きく取り上げられたこの催しが、日本に母の日運動を広める大きな原動力となったという。(MORINAGA ANGEL COLLEGE「森永母をたたえる会」と「エンゼル母をたたえる会」 参照)。
そして、第二次大戦後の1948年(昭和23年)7月20日に公布・即日施行された日本の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)に、祝日としての「母の日」は無いが、5月5日を「こどもの日」とし、その主旨は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあり、その意味では、こどもの日は「母の日」であるともいえるだろう。ただ、この日は年中行事である「端午の節句」とも重なるため、子どもの健康を祈るために鎧兜を飾ったり、鯉のぼりを揚げたりするが、もともと、この法律は、戦後の困窮する児童の保護、救済をする必要性と児童の健全な育成を図るため1947(昭和22)年12月12日に制定された児童福祉法を念頭に制定されたものである。
祝日法が制定された翌・1949(昭和24)年5月5日からの初の児童福祉週間にあたり、GHQ
そして、5月8日の日曜日、東京都などで主催の初の「母の日」大会が日比谷公会堂で開かれ、「今年六ツの三浦忠雄君、神田玲子さんたち子供ばかりのバイオリン合奏、合唱、舞踏劇、母を讃える詩の朗読など」があった。冒頭の画像はその時の比谷公会堂での様子を伝える5月9日付朝日新聞写真である。(朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
1949(昭和24)年の5月8日は第2日曜日である。この日、日比谷公会堂で開かれた初の「母の日」大会の内容を見れば分かるが、この催しは、祝日法の精神に則って、戦後の大変な時代に、食べるものも食べずに育ててくれた母親への子供達の感謝を込めての催しが開催されているのである。現在の日本の母の日は、アメリカの母の日に倣って、このころより第2日曜に行なわれるようになったようだ。
しかし、本来、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが行なった「母の日宣言」は、母親としての反戦の意志を示したのが始まりであり、彼女に共鳴し、その意思を継いで活動したもうひとりの反戦活動家アンナ・ジャービスの娘がそんな母の死後追悼のため白いカーネーションを供えたのが、今の母の日の始まりであり、現在のような何か商業ベースに乗せられて、単に花や物を贈るだけの日ではなかったことだけは、再認識しておいて欲しいものである。
2007(平成19)年からは日本の国民の祝日は合計15日となった。この日数の数は先進国では最多であり、「ワーカホリック」ともいわれる日本の意外な一面であるが、有給休暇を取りにくい日本の事情もある。
この祝日法には意義として、第1条で“「国民の祝日」(祝日)とは、自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である”・・・と、定義している。この定義にも色々と解釈面で疑義のあるところではあるが、祝日法は、それ以前の以前の建国や独立などの歴史的出来事に由来する祝日と慣習的に休日としていた宗教上の祭日を合わせ持った祝祭日に代えて定められたものであるが、良し悪しは別にして、この祝祭日とは異なり祝日としての論理的な根拠のハッキリしないものが多くなり、何か単なる休みの数を増やして旅行などをさせ経済効果を高めるだけのものとなってしまった感があるのは残念だ。
普通どこの国でも、国家の記念日(独立記念日・革命記念日など)や宗教的に特別な日(クリスマスや釈迦の降誕会など)を「祝日」としている。旧ソ連だって、「革命記念日(11月7日)」や労働者の祭典「メーデー」などが、国家的イベントとして大々的に祝われているのだが、日本の「祝日」はそうはなっていないのである。
昔から帰郷できない人でも盆正月だけは帰郷していた。これは先祖も含め家族が集合する習わしであり日本の習慣でもあった。そのような祝祭日が今は、完全に単なる休みの1つになり、これが今の家族制度の崩壊に繋がっているのではないかと思う。日本は、自由主義の名の下に、結局は家族制度の崩壊、ひいては地域社会との繋がりを断ち切って個人の自由を求めてきたのではないか?
政権を投げ出したと批判されている元・総理・安倍晋三が「美しい国」づくり(「美しい国づくり」プロジェクト参照)を常に訴えていたが参院選の敗北や自らが選んだ閣僚の不祥事などが原因で、辞職に追い込まれ、実現できないままになり、現在に至っている。
最近では世界から日本の文化が注目されるようになり、日本で暮らす親日家の外人から「なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか」などといった本が出版されるほどになっている。日本の「美しい風習」というものが、どういうものを指しているかについては、個々人によってかなり、受け止め方が違うであろうが、私など、せめて、今は薄れてしまった家族や地域の人達とのコミュニケーションを維持するためにも日本の伝統的行事などは、大切にしていって欲しいしいと思う。
川柳に「親孝行したい時には親はなし」がある。いまでは、親孝行などと言う言葉も死語となりつつある。この「親孝行」には色々あるが、仏教では孝行で、最も下とされるものが単に親に物をあげることであり、次に、親の言うことをよく聞くこと。またその上は、元気で幸せ姿を見せて安心させてあげることであるが、最高の孝行は、親が亡くなっても、その追善をして供養することとされている。
私は、仏前で、母から受け継いだお経をあげて、母親に何事もなく過ごせていることの感謝をすることにしよう。
本来の「母の日」のことについては簡単にしか書かなかったが、以下参考に記載の「三大紙に見る「母の日」・注目記事」や「ほんとうの母の日って」・「【母の日宣言】は、反戦の意志を示している」などを見られるとよく分かる。
(画像が、1949年の初の「母の日」大会。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
母の日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E3%81%AE%E6%97%A5
国民の祝日に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html
ギリシア神話 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
レア(長音表記レアー)
http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page133.html
ギリシア神話・伝説ノート
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/antiGM.html
リパブリック讃歌(友だち讃歌)誕生編
http://www.worldfolksong.com/closeup/battlehymn/episode/julia.htm
児童福祉法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E7%A6%8F%E7%A5%89%E6%B3%95
三大紙に見る「母の日」・注目記事
http://www.hahanohi.org/data/cyumoku.html#anchor510662
「母の日宣言」は、反戦の意志を示している
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/236/
ほんとうの母の日って
http://www.ne.jp/asahi/wahaha/wahaha/hahanohi.html
日本の文化 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96
日本の風習文明
http://syokais.seesaa.net/archives/200705-1.html
安倍晋三
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89
12月3日「妻の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/532c7830439d850e3b1beb50774d231d
母の日とカーネーション
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0722.htm
供養 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E9%A4%8A
イギリスの「母の日」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~keri/motheringsunday.htm
レアー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BC
美しい国づくり政策大綱(平成15年7月)
http://www.mlit.go.jp/keikan/taiko_text/taikou.html
2009(平成21)年5月10日第2日曜日の今日は「母の日」。
日頃の母の苦労を労り、母の恩に感謝する日。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は、世界中で様々であり、例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たるなど、日付も異なる(以下参考に記載の「母の日-Wikipedia」の世界の「母の日」の日付参照)。
そして、このような母の日を祝う習慣は、古くは古代ローマ、ギリシャ時代からあったようで、紀元前250年ごろ、当時のローマでは3月中旬にキュベレー(ギリシャ神話のレアー(レイア、Rhea、「神々の母」)をたたえる春のお祭りがあったという(以下参考に記載の「レア(長音表記レアー)」など参照)。又、イギリスにおける起源は17世紀の「Mother's day」「Mothering Sunday」(奉公中の子ども達が年に一度、教会で母親と面会出来る、復活祭のちょうど40日前の日曜日)にまで遡るという(以下参考に記載の「イギリスの母の日」参照。
アメリカでは南北戦争終結直後の1870(明治3)年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウ(ハウのことは以下参考に記載の「リパブリック讃歌(友だち讃歌)誕生編」に面白い記事あり)が、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発したことに始まるが、この活動は結局普及することはなかった。
日本で行われている「母の日」の歴史は、ハウの意思を継いでその活動を果たせなかったアン・ジャービスの娘アンナが、1908(明治41)年の母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母を偲んで母が大好きだったという白いカーネーションを捧げた。そして、1914(大正3)5月、当時のウィルソン大統領は、米議会で、5月第2日曜を「母の日」とする法案を可決、祝日と定めた。
この時から、亡き母を追悼することから一歩進め、現代の生きているお母さんに感謝の気持ちを捧げる世界的な行事が始まり、これが世界中に広がった。日本には、1913(大正2)年ごろ、当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史により紹介され、キリスト教関係の団体が中心になってこれを広めたといわれている。
そして、1931(昭和6)年に起きた満州事変をきっかけに世情は軍国主義に傾いてゆくなか、政府や軍部の支援で大日本連合婦人会が結成されたのを機に、昭和天皇の皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、1931(昭和11)年、今の森永製菓が「森永母を讃える会」を作り、翌年(昭和12)年5月に、第1回「森永母の日大会」を豊島園で盛大に開催。新聞や雑誌に大きく取り上げられたこの催しが、日本に母の日運動を広める大きな原動力となったという。(MORINAGA ANGEL COLLEGE「森永母をたたえる会」と「エンゼル母をたたえる会」 参照)。
そして、第二次大戦後の1948年(昭和23年)7月20日に公布・即日施行された日本の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)に、祝日としての「母の日」は無いが、5月5日を「こどもの日」とし、その主旨は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあり、その意味では、こどもの日は「母の日」であるともいえるだろう。ただ、この日は年中行事である「端午の節句」とも重なるため、子どもの健康を祈るために鎧兜を飾ったり、鯉のぼりを揚げたりするが、もともと、この法律は、戦後の困窮する児童の保護、救済をする必要性と児童の健全な育成を図るため1947(昭和22)年12月12日に制定された児童福祉法を念頭に制定されたものである。
祝日法が制定された翌・1949(昭和24)年5月5日からの初の児童福祉週間にあたり、GHQ
そして、5月8日の日曜日、東京都などで主催の初の「母の日」大会が日比谷公会堂で開かれ、「今年六ツの三浦忠雄君、神田玲子さんたち子供ばかりのバイオリン合奏、合唱、舞踏劇、母を讃える詩の朗読など」があった。冒頭の画像はその時の比谷公会堂での様子を伝える5月9日付朝日新聞写真である。(朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
1949(昭和24)年の5月8日は第2日曜日である。この日、日比谷公会堂で開かれた初の「母の日」大会の内容を見れば分かるが、この催しは、祝日法の精神に則って、戦後の大変な時代に、食べるものも食べずに育ててくれた母親への子供達の感謝を込めての催しが開催されているのである。現在の日本の母の日は、アメリカの母の日に倣って、このころより第2日曜に行なわれるようになったようだ。
しかし、本来、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが行なった「母の日宣言」は、母親としての反戦の意志を示したのが始まりであり、彼女に共鳴し、その意思を継いで活動したもうひとりの反戦活動家アンナ・ジャービスの娘がそんな母の死後追悼のため白いカーネーションを供えたのが、今の母の日の始まりであり、現在のような何か商業ベースに乗せられて、単に花や物を贈るだけの日ではなかったことだけは、再認識しておいて欲しいものである。
2007(平成19)年からは日本の国民の祝日は合計15日となった。この日数の数は先進国では最多であり、「ワーカホリック」ともいわれる日本の意外な一面であるが、有給休暇を取りにくい日本の事情もある。
この祝日法には意義として、第1条で“「国民の祝日」(祝日)とは、自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である”・・・と、定義している。この定義にも色々と解釈面で疑義のあるところではあるが、祝日法は、それ以前の以前の建国や独立などの歴史的出来事に由来する祝日と慣習的に休日としていた宗教上の祭日を合わせ持った祝祭日に代えて定められたものであるが、良し悪しは別にして、この祝祭日とは異なり祝日としての論理的な根拠のハッキリしないものが多くなり、何か単なる休みの数を増やして旅行などをさせ経済効果を高めるだけのものとなってしまった感があるのは残念だ。
普通どこの国でも、国家の記念日(独立記念日・革命記念日など)や宗教的に特別な日(クリスマスや釈迦の降誕会など)を「祝日」としている。旧ソ連だって、「革命記念日(11月7日)」や労働者の祭典「メーデー」などが、国家的イベントとして大々的に祝われているのだが、日本の「祝日」はそうはなっていないのである。
昔から帰郷できない人でも盆正月だけは帰郷していた。これは先祖も含め家族が集合する習わしであり日本の習慣でもあった。そのような祝祭日が今は、完全に単なる休みの1つになり、これが今の家族制度の崩壊に繋がっているのではないかと思う。日本は、自由主義の名の下に、結局は家族制度の崩壊、ひいては地域社会との繋がりを断ち切って個人の自由を求めてきたのではないか?
政権を投げ出したと批判されている元・総理・安倍晋三が「美しい国」づくり(「美しい国づくり」プロジェクト参照)を常に訴えていたが参院選の敗北や自らが選んだ閣僚の不祥事などが原因で、辞職に追い込まれ、実現できないままになり、現在に至っている。
最近では世界から日本の文化が注目されるようになり、日本で暮らす親日家の外人から「なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか」などといった本が出版されるほどになっている。日本の「美しい風習」というものが、どういうものを指しているかについては、個々人によってかなり、受け止め方が違うであろうが、私など、せめて、今は薄れてしまった家族や地域の人達とのコミュニケーションを維持するためにも日本の伝統的行事などは、大切にしていって欲しいしいと思う。
川柳に「親孝行したい時には親はなし」がある。いまでは、親孝行などと言う言葉も死語となりつつある。この「親孝行」には色々あるが、仏教では孝行で、最も下とされるものが単に親に物をあげることであり、次に、親の言うことをよく聞くこと。またその上は、元気で幸せ姿を見せて安心させてあげることであるが、最高の孝行は、親が亡くなっても、その追善をして供養することとされている。
私は、仏前で、母から受け継いだお経をあげて、母親に何事もなく過ごせていることの感謝をすることにしよう。
本来の「母の日」のことについては簡単にしか書かなかったが、以下参考に記載の「三大紙に見る「母の日」・注目記事」や「ほんとうの母の日って」・「【母の日宣言】は、反戦の意志を示している」などを見られるとよく分かる。
(画像が、1949年の初の「母の日」大会。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
母の日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E3%81%AE%E6%97%A5
国民の祝日に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html
ギリシア神話 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
レア(長音表記レアー)
http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page133.html
ギリシア神話・伝説ノート
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/antiGM.html
リパブリック讃歌(友だち讃歌)誕生編
http://www.worldfolksong.com/closeup/battlehymn/episode/julia.htm
児童福祉法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E7%A6%8F%E7%A5%89%E6%B3%95
三大紙に見る「母の日」・注目記事
http://www.hahanohi.org/data/cyumoku.html#anchor510662
「母の日宣言」は、反戦の意志を示している
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/236/
ほんとうの母の日って
http://www.ne.jp/asahi/wahaha/wahaha/hahanohi.html
日本の文化 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96
日本の風習文明
http://syokais.seesaa.net/archives/200705-1.html
安倍晋三
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89
12月3日「妻の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/532c7830439d850e3b1beb50774d231d
母の日とカーネーション
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0722.htm
供養 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E9%A4%8A
イギリスの「母の日」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~keri/motheringsunday.htm
レアー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BC
美しい国づくり政策大綱(平成15年7月)
http://www.mlit.go.jp/keikan/taiko_text/taikou.html