1973(昭和48)年の今日・5月21日、歌手・山口百恵のデビュー曲「としごろ」が発売された。
1971(昭和46)年10月3日 ~1983(昭和53)年9月25日の12年間の長期に渡って放送された視聴者参加型歌手オーディション番組に日本テレビの「スター誕生!」があった。この番組の企画者は審査員の一人でもある希代の作詞家・阿久悠であった。
番組は、明日のスターを夢見る人のための正統派のオーディション番組であり、毎週、厳しい予選を勝ち抜いてきた5-7人程度の挑戦者が歌合戦形式で実力を競い合う、まさに実力勝負が要求され、審査員の審査の厳しさと、辛口批評などが特徴であった。
審査員は、松田トシ(松田敏江)・阿久悠 ・森田公一・中村泰士・三木たかし・都倉俊一ら蒼蒼たるメンバーであるが、当初5名の審査員は、松田・阿久・中村はレギュラーで座り、残りの2名は外部の作詞家・作曲家、レコード会社のディレクター、芸能雑誌「明星」「平凡」の編集記者が交互に登場していた。途中から都倉、三木が加入し、審査もより厳正になった。
初代司会者には、当時コント55号で人気絶頂期だった萩本欽一 が初めてのソロ活動として、司会に初挑戦しこれも話題にもなった。
テレビの草創期から1970年代まで「ナベプロ王国」と称される黄金時代を築いた芸能事務所・渡辺プロダクションがその絶対的な地位を失ったのは、この番組が新興プロダクションであるホリプロダクション、サンミュージック、田辺エージェンシーなどへのタレント供給源となり、これらの新興プロダクションが力をつけたためであり、その意味で、この番組でデビューしたタレントの活躍がその後の芸能界地図を大きく塗り替えるきっかけになったといえる。
この番組からの記念すべきデビュー第1号は、 森昌子 である。
森昌子は、1971(昭和46)年、 13歳で出場し、初代グランドチャンピオンとなると、ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。 翌年1972年7月「せんせい」(作詞:阿久悠、作曲:遠藤実)で歌手デビュー。彼女はこの曲で翌・1973(昭和48)年に15歳最年少でNHK紅白歌合戦に出場している。
この翌・1972(昭和47)年、中学2年生(14歳)の桜田淳子が、7月の秋田県民会館で行われた本選で牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格し、9月6日(放映は9月24日)、後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、番組史上最高の25社(34社という情報もあり)から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞を受賞。サンミュージックに所属し、この翌1973(昭和48)年2月に「天使も夢みる」(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲、高田弘 )で歌手デビューし、たちまち人気アイドルとなった。
山口百恵も、この桜田淳子と同じ年・1972(昭和47)年の12月に、桜田と同じく牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝、20社から指名を受けた。ちなみに、この時、百恵と最後まで争い敗れたのが、後に女子プロレスラーとなるマッハ文朱(現:女優・タレント)であった。
山口百恵は、この翌・1973(昭和48)年4月、映画「としごろ」(市村泰一監督)に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。
彼女の記念すべき映画「としごろ」は、もっとも傷つきやすい思春期を向えた女の子たちが、周囲の先輩、教師たちに見守られながら成長していく姿を描いたものだが、goo映画のあらすじをみても、その中に、山口百恵演ずる高木京子は登場しない(以下参考に記載のgoo映画参照)。
まだ「花の中三トリオ」と呼ばれる前の映画であり、ホリプロの和田アキ子と森昌子を主演に、この年3月に日本コロムビアより、「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビューした石川さゆり(当時森や山口とホリポロ三人娘として売り出す予定だったがかなわなかったという)や、よくは知らないが、この当時の新人女優だった秋谷陽子などを中心にした正真正銘のアイドル映画であり、山口百恵は、彼女たちの友人としてのチョイ役であったようだ。当時のキャッチコピーは「人にめざめる14才」。映画「としごろ」の主題歌は 「人にめざめる14才 としごろ」 で、この歌で5月に歌手デビューしたが、オリコンでは37位にランクされるに留まり、同じ「スター誕生!」出身の「花の中三トリオ」のデビュー曲と比較すると、、スタッフの期待以下のセールスに止まった。因みに、森昌子の「せんせい」は3位、桜田淳子の「天使も夢みる」は12位にランクされているという。
1970年代初頭”女性ヤングアイドル” としての基礎を築いたのは、1971(昭和46)年の4月、「みんなの恋人」というキャッチフレーズを持って「わたしの城下町」でデビューした小柳ルミ子であり、続いて6月に、「ソニーのシンシア」のキャッチフレーズを持って「17才」でデビューした沖縄出身の南沙織(シンシアは、彼女のクリスチャン・ネーム)、10月、「白雪姫」をキャッチフレーズに水色の恋」でデビューした天地真理であり、この当時彼女等を括って三人娘と呼ばれていた。そして、スター誕生というテレビ番組から次世代の三人娘として森・桜田・山口の「花の中三トリオ」がデビューした。
そして桜田はポスト天地真理を目指し成功した。山口百恵もまた、ポスト天地真理を目指して、先行する桜田淳子を追いかけるようにスタートした。しかし、これが、失敗であり、天地真理と同一の路線で先行者として活動していた桜田淳子に比べて山口には「暗い」イメージがあり存在感が薄かった。そのまま同様の路線で芸能活動を続けていたら半年後には姿を消していただろう。森昌子は並外れて歌が上手かったし、桜田淳子はアイドルとして並外れたオーラをもっていた。そこで、路線の失敗を反省し、コンセプトを変更、他のアイドルとの差別化を図ることにした。そして、1973(昭和48)年9月にリリースされた第二弾の「青い果実」では大胆なイメージチェンジを図り、「あなたが望むなら私何をされてもいいわ・・・♪」という歌い出しのきわどい歌詞を歌わせる路線を取った。
彼女のデビュー当時のキャッチコピーは“人にめざめる14才”であった。
14歳と言えば思春期を迎えた年令であり、この頃は、心身ともに子供から大人に変化する時期であり、「第二次性徴の訪れとともに、からだの発育はめざましく、大人らしいからだつきになる。一方、こころの面でも自分自身に目を向けるようになり、急に親離れを始め、これまでとはちがった価値観を身につけようとする。さらに、「自分とは何か」「自分は何をしたいのか」「自分は何を求めているのか」というような自分さがしを始めていく時期でもあり、このような自我への目覚めから、反抗期が始まる時期でもある。また、この時期に性への目覚めが見られ、異性の体や性行為にも興味を持ち始める時期でもある。このように、からだ、こころ、そして周囲とのかかわり方が変化していく時期が思春期である。
ヒットはしなかったものの、思春期の女の子たちが、心の中でひそかに思っている“大人になりたい願望”は、デビュー曲の中にも織り込まれており、それが、4ヵ月後、まさに、人にめざめた14歳という年端もいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容の歌詞として具体化し歌ったのである。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974(昭和49)年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。
デビュー当時の歌とその後の成長した彼女の歌を聞き比べてみると面白いね。デビュー当時の少し音程は安定していないところがあるもののこの頃の彼女の明るく健康的な曲も初々しくって良いね~。非常に懐かしい。
YouTube - としごろ・・・山口百恵
デビュー時の歌 ⇒ ttp://www.youtube.com/watch?v=_3UcNQv450Y。
その後成長してからの歌 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=pCgDcH9WU2E
以下は、引退後のベストテン番組ランキング入りで流されたVTR。引退直前の9月25日の歌唱と共に、過去の出演VTRが流れる。曲ごと に別人の如く変わってしまう彼女に、今更ながら驚く。この「さよならの向う側」の歌唱は、情感たっぷりで素晴らしい!最後にこの曲を聴いてみよう。
YouTube - 山口百恵~「さよならの向う側」&懐かしい映像
http://www.youtube.com/watch?v=F5KwkJLEE1k
(画像は、山口百恵 ファースト・アルバム「 としごろ」)
参考:
山口百恵 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5
山口百恵 (ヤマグチモモエ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/98426/
思春期 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F
あいあいクリニック&思春期ブルー
http://www.hi-ho.ne.jp/haruo-kitajima/blueindex.html
めざめる 【目覚める】の意味 国語辞典 - goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/190531/m0u/%E7%9B%AE%E8%A6%9A%E3%82%81%E3%82%8B/
歌ネット - 山口百恵 - 歌詞 - としごろ
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=6836
歌ネット - 山口百恵 - 歌詞 - 青い果実
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_3.php?ID=166
YouTube - 山口百恵 青い果実
http://www.youtube.com/watch?v=UsamzZHbeCI
DE DO DO DO, DE DA DA DA
http://www.begets.co.jp/doda/
1971(昭和46)年10月3日 ~1983(昭和53)年9月25日の12年間の長期に渡って放送された視聴者参加型歌手オーディション番組に日本テレビの「スター誕生!」があった。この番組の企画者は審査員の一人でもある希代の作詞家・阿久悠であった。
番組は、明日のスターを夢見る人のための正統派のオーディション番組であり、毎週、厳しい予選を勝ち抜いてきた5-7人程度の挑戦者が歌合戦形式で実力を競い合う、まさに実力勝負が要求され、審査員の審査の厳しさと、辛口批評などが特徴であった。
審査員は、松田トシ(松田敏江)・阿久悠 ・森田公一・中村泰士・三木たかし・都倉俊一ら蒼蒼たるメンバーであるが、当初5名の審査員は、松田・阿久・中村はレギュラーで座り、残りの2名は外部の作詞家・作曲家、レコード会社のディレクター、芸能雑誌「明星」「平凡」の編集記者が交互に登場していた。途中から都倉、三木が加入し、審査もより厳正になった。
初代司会者には、当時コント55号で人気絶頂期だった萩本欽一 が初めてのソロ活動として、司会に初挑戦しこれも話題にもなった。
テレビの草創期から1970年代まで「ナベプロ王国」と称される黄金時代を築いた芸能事務所・渡辺プロダクションがその絶対的な地位を失ったのは、この番組が新興プロダクションであるホリプロダクション、サンミュージック、田辺エージェンシーなどへのタレント供給源となり、これらの新興プロダクションが力をつけたためであり、その意味で、この番組でデビューしたタレントの活躍がその後の芸能界地図を大きく塗り替えるきっかけになったといえる。
この番組からの記念すべきデビュー第1号は、 森昌子 である。
森昌子は、1971(昭和46)年、 13歳で出場し、初代グランドチャンピオンとなると、ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。 翌年1972年7月「せんせい」(作詞:阿久悠、作曲:遠藤実)で歌手デビュー。彼女はこの曲で翌・1973(昭和48)年に15歳最年少でNHK紅白歌合戦に出場している。
この翌・1972(昭和47)年、中学2年生(14歳)の桜田淳子が、7月の秋田県民会館で行われた本選で牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格し、9月6日(放映は9月24日)、後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、番組史上最高の25社(34社という情報もあり)から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞を受賞。サンミュージックに所属し、この翌1973(昭和48)年2月に「天使も夢みる」(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲、高田弘 )で歌手デビューし、たちまち人気アイドルとなった。
山口百恵も、この桜田淳子と同じ年・1972(昭和47)年の12月に、桜田と同じく牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝、20社から指名を受けた。ちなみに、この時、百恵と最後まで争い敗れたのが、後に女子プロレスラーとなるマッハ文朱(現:女優・タレント)であった。
山口百恵は、この翌・1973(昭和48)年4月、映画「としごろ」(市村泰一監督)に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。
彼女の記念すべき映画「としごろ」は、もっとも傷つきやすい思春期を向えた女の子たちが、周囲の先輩、教師たちに見守られながら成長していく姿を描いたものだが、goo映画のあらすじをみても、その中に、山口百恵演ずる高木京子は登場しない(以下参考に記載のgoo映画参照)。
まだ「花の中三トリオ」と呼ばれる前の映画であり、ホリプロの和田アキ子と森昌子を主演に、この年3月に日本コロムビアより、「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビューした石川さゆり(当時森や山口とホリポロ三人娘として売り出す予定だったがかなわなかったという)や、よくは知らないが、この当時の新人女優だった秋谷陽子などを中心にした正真正銘のアイドル映画であり、山口百恵は、彼女たちの友人としてのチョイ役であったようだ。当時のキャッチコピーは「人にめざめる14才」。映画「としごろ」の主題歌は 「人にめざめる14才 としごろ」 で、この歌で5月に歌手デビューしたが、オリコンでは37位にランクされるに留まり、同じ「スター誕生!」出身の「花の中三トリオ」のデビュー曲と比較すると、、スタッフの期待以下のセールスに止まった。因みに、森昌子の「せんせい」は3位、桜田淳子の「天使も夢みる」は12位にランクされているという。
1970年代初頭”女性ヤングアイドル” としての基礎を築いたのは、1971(昭和46)年の4月、「みんなの恋人」というキャッチフレーズを持って「わたしの城下町」でデビューした小柳ルミ子であり、続いて6月に、「ソニーのシンシア」のキャッチフレーズを持って「17才」でデビューした沖縄出身の南沙織(シンシアは、彼女のクリスチャン・ネーム)、10月、「白雪姫」をキャッチフレーズに水色の恋」でデビューした天地真理であり、この当時彼女等を括って三人娘と呼ばれていた。そして、スター誕生というテレビ番組から次世代の三人娘として森・桜田・山口の「花の中三トリオ」がデビューした。
そして桜田はポスト天地真理を目指し成功した。山口百恵もまた、ポスト天地真理を目指して、先行する桜田淳子を追いかけるようにスタートした。しかし、これが、失敗であり、天地真理と同一の路線で先行者として活動していた桜田淳子に比べて山口には「暗い」イメージがあり存在感が薄かった。そのまま同様の路線で芸能活動を続けていたら半年後には姿を消していただろう。森昌子は並外れて歌が上手かったし、桜田淳子はアイドルとして並外れたオーラをもっていた。そこで、路線の失敗を反省し、コンセプトを変更、他のアイドルとの差別化を図ることにした。そして、1973(昭和48)年9月にリリースされた第二弾の「青い果実」では大胆なイメージチェンジを図り、「あなたが望むなら私何をされてもいいわ・・・♪」という歌い出しのきわどい歌詞を歌わせる路線を取った。
彼女のデビュー当時のキャッチコピーは“人にめざめる14才”であった。
14歳と言えば思春期を迎えた年令であり、この頃は、心身ともに子供から大人に変化する時期であり、「第二次性徴の訪れとともに、からだの発育はめざましく、大人らしいからだつきになる。一方、こころの面でも自分自身に目を向けるようになり、急に親離れを始め、これまでとはちがった価値観を身につけようとする。さらに、「自分とは何か」「自分は何をしたいのか」「自分は何を求めているのか」というような自分さがしを始めていく時期でもあり、このような自我への目覚めから、反抗期が始まる時期でもある。また、この時期に性への目覚めが見られ、異性の体や性行為にも興味を持ち始める時期でもある。このように、からだ、こころ、そして周囲とのかかわり方が変化していく時期が思春期である。
ヒットはしなかったものの、思春期の女の子たちが、心の中でひそかに思っている“大人になりたい願望”は、デビュー曲の中にも織り込まれており、それが、4ヵ月後、まさに、人にめざめた14歳という年端もいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容の歌詞として具体化し歌ったのである。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974(昭和49)年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。
デビュー当時の歌とその後の成長した彼女の歌を聞き比べてみると面白いね。デビュー当時の少し音程は安定していないところがあるもののこの頃の彼女の明るく健康的な曲も初々しくって良いね~。非常に懐かしい。
YouTube - としごろ・・・山口百恵
デビュー時の歌 ⇒ ttp://www.youtube.com/watch?v=_3UcNQv450Y。
その後成長してからの歌 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=pCgDcH9WU2E
以下は、引退後のベストテン番組ランキング入りで流されたVTR。引退直前の9月25日の歌唱と共に、過去の出演VTRが流れる。曲ごと に別人の如く変わってしまう彼女に、今更ながら驚く。この「さよならの向う側」の歌唱は、情感たっぷりで素晴らしい!最後にこの曲を聴いてみよう。
YouTube - 山口百恵~「さよならの向う側」&懐かしい映像
http://www.youtube.com/watch?v=F5KwkJLEE1k
(画像は、山口百恵 ファースト・アルバム「 としごろ」)
参考:
山口百恵 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5
山口百恵 (ヤマグチモモエ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/98426/
思春期 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F
あいあいクリニック&思春期ブルー
http://www.hi-ho.ne.jp/haruo-kitajima/blueindex.html
めざめる 【目覚める】の意味 国語辞典 - goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/190531/m0u/%E7%9B%AE%E8%A6%9A%E3%82%81%E3%82%8B/
歌ネット - 山口百恵 - 歌詞 - としごろ
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=6836
歌ネット - 山口百恵 - 歌詞 - 青い果実
http://www.uta-net.com/user/phplib/view_3.php?ID=166
YouTube - 山口百恵 青い果実
http://www.youtube.com/watch?v=UsamzZHbeCI
DE DO DO DO, DE DA DA DA
http://www.begets.co.jp/doda/