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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

葵祭(賀茂祭)

2009-05-15 | 行事
京都御所ともゆかりの深い古都を代表する葵祭は、京都三大祭(葵祭、祇園祭時代祭)の1つでもあり、平安京遷都以来、平安京の守護神とされる賀茂大神(賀茂神社賀茂氏氏神を祀る神社)に、奉謝の念を表わすため、上賀茂(賀茂別雷神社【かもわけいかづちじんじゃ】)、下鴨(賀茂御祖神社【かものみやじんじゃ】)両社に年に1度、朝廷から斎王勅使を送る官祭(三勅祭の1つ)であった。
「葵祭り」は、神霊の依代としての季節の草花である葵・桂を、祭壇に列する人々が挿頭(かざし)として身につけ、また、氏子(氏神参照)たちが門口に挿して物忌(ものいみ)するところからこの名で呼ばれているが、かっては、賀茂祭と呼ばれていた。
祇園祭が庶民の祭りであるのに対して、この祭りは、賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる貴族の祭となったもので、わが国の祭りのなかでも最も優雅にして古趣に富んだものとして世に知られ、たんに、「まつり」と言えばこの「葵祭り」を指していたともいわれている。毎年5月15日(かつては陰暦4月の中の酉の日)に行われている。
延暦13年(794年)、桓武天皇は、10年間住んでいた長岡京を捨て慌しく平安京へ遷都するが、その詔に「葛野(かどの)の大宮の地は山川も麗しく、……」とあるように、景勝の地に長安・洛陽を範とする中国的な都城を再現した。この平安京も平城京のときの「四禽が図に叶い、三山が鎮(しずめ)を作し、亀筮(きぜい。亀卜【きぼく】」に同じ)が並び従う」(以下参考に記載の「四神相応」参照)ことを重要な理由として造都されているのと同様に行なおうとしたはずだ。
平安京の造営で加茂氏(鴨氏)、秦氏、八坂氏(八坂造。八坂神社参照)、土師氏などの先住民によって治められていた「やましろの国」は、様相を一変する。当初は、ただ住むための器を用意しただけであったが、9世紀から10世紀にかけて都市住民の手によって住みこなされてゆき、10世紀を過ぎる頃から,京域外の一条大路以北が徐々に開発され、都市域が北へと拡大していった結果、今の上京区の区域(以下参考に記載の「GoogleMap上賀茂神社 下鴨神社 上京区」参照)が、人々の生活の上で纏まりのある生活空間へと発展していった。市民生活の発展に伴い、都市空間としてのとりわけ道の機能も目覚しく変化する。そして、神社の祭礼も盛んになり、賀茂神社の賀茂祭では、その行路である一条大路に『年中行事絵巻』に見られるような祭見物のための貴族用の桟敷屋ばかりか、都市民用の町家という特有の都市的施設をも生み出した。
都市生活の舞台と化した都は、地方の人々の関心を集め『今昔物語集』巻二十七の17話「東人、川原院ニ宿リテ妻ヲ取ラルル語」には、榮爵(五位の位)を買おうとした夫と共に妻が「かかる序でに京をも見ん」とし、たまたま泊まった河原院において鬼に取り殺された女の話が出ている(以下参考に記載の「「京都大学電子図書館」の中にある『今昔物語』を参照」が、賀茂神社の賀茂祭などが、、京の町を今日のような観光都市へと発展させた功績は大きいようだ(以下参考に記載の「平安京の創建」、「京都の伝統民家と町家」参照)。
賀茂祭の始まりが、五穀豊穣を祈って馬には鈴をかけ、人は猪頭をかぶって駆競(かけくらべ)をしたことから、当時は勇壮で荒っぽい祭りであり、その荒々しさを見るために近隣近郷から多くの人馬が集まる有名な祭礼であったようだが、平安時代も嵯峨天皇の時代になると、賀茂祭は、三大勅祭となり、石清水八幡宮の岩清水祭が『南祭』と呼ばれるのに対して、賀茂祭は『北祭』と呼ばれるようになり、官祭として一層、著名になり、この頃から、賀茂祭は雅びやかな祭りに変化していき、多くの人が美服、美車で参加し、都大路を賀茂神社にむけて行列するようになり、その後も、この行列は、一層、華美さを増していった。
現代の祭りでは、一般市民から選ばれた未婚女性の斎王代を主役に葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名であるが、祭りの主役はあくまで勅使代なのである。
賀茂斎院制度の起源は、平城上皇が弟嵯峨天皇と対立して、平安京から平城京へ都を戻そうとした際、嵯峨天皇は王城鎮守の神とされた賀茂大神に対し、我が方に利あらば皇女を「阿礼少女(あれおとめ、賀茂神社の神迎えの儀式に奉仕する女性の意)」として捧げると祈願をかけた。そして弘仁元年(810年)薬子の変で嵯峨天皇側が勝利した後、誓いどおりに娘の有智子内親王斎王としたのが賀茂斎院の始まりであり、斎王はここで仏事や不浄を避ける清浄な生活を送りながら、賀茂神社や本院での祭祀に奉仕したという。斎王の最も重要な役割は4月第二酉の日の賀茂祭であり、かつての賀茂祭では、斎王はあらかじめ御禊(ごけい)の後、紫野斎院から出発した行列は、一条大路を東進し、下鴨神社、上賀茂神社での神事を経て、上社の神館で一泊し、翌日御薗橋を渡り雲林院の前を通り斎院に戻っていた。この時の斎院の華麗な行列はとりわけ人気が高く、光源氏は勅使の一人として参加しているが、紫式部も『源氏物語』葵の巻で名高い車争いの舞台として描いている(以下参考に記載の「源氏物語の世界」源氏物語の世界再編集版09 葵(大島本)「第一章 六条御息所の物語 御禊見物の車争いの物」を参照)。
また、吉田兼好(兼好法師)は「徒然草 第百三十七段 花は盛りに」のなかで、賀茂祭(かものまつり/かもまつり)の際の見物人について、「押し合いへしあいしながら、ひとことも見逃すまいと、見つめている」と記しているが、自然をあるがままに、客観的に見ることができないような人たちが、下鴨神社の葵祭を見物している現場の様子を痛烈に風刺しているのが面白い。(以下、参考に記載の「徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)」百三十七 花は盛りに参照)。
清少納言も『枕草子』で祭見物の様子を書き留めているというが、これがどこに書いているのかよく分からないので紹介できないが、興味のある人は以下参考にある「枕草子(堺本)」又、「原文『枕草子』全巻」でも参考にされると良い。以下参考に記載の「京都大学電子図書館」の中にある京都大学文学部所蔵 『年中行事絵巻』の9巻あたりに見られるのが、賀茂祭の様子を描いたものであろう、行列を見物するための「桟敷」も見られるよ。
幕末から明治の家人八田知紀が家集『しのぶぐさ』の中で、「まつりの日」と題して、以下の歌を詠んでいる。
「卯の花の白がさねして神山のみあれ見に行く今日にもあるかな」(しのぶぐさ一)
「神山」(こうやま)は、賀茂神社の背後の山。「みあれ」は賀茂神社で葵祭に際して行われる神事(前儀「御阿礼(みあれ)神事」)で、通釈は、「卯の花のように真白な白襲(しらがさね)を着て、賀茂祭を見に行く今日であるよ。」といったところらしいが、この当時でもまだ、気楽な祭見物ではなく、「白がさね」を着て出掛けることに神事への敬虔な思いがあらわれているという(以下参考に記載の「八田知紀 千人万首」参照)。
応仁の乱やその後の戦争など様々な理由で中絶や再興、規模の変革などの紆余曲折を経て現在の形になったのが昭和31年(1956)だという。この時に鎌倉時代から久しく途絶えていた「斎王の女人列」の斎王を代わりの「斎王代」としてたて、「斎王代女人列」という形で復活し、今もその形を忠実に執行されている(以下参考に記載の京都散策・催事(神事)祭りの「斎王代女人列」参照)
京都は桂川鴨川に挟まれており、北の神山の麓には賀茂氏の氏神を祀る賀茂神社が、南には、賀茂氏と関係の深い秦氏の社である松尾大社伏見稲荷大社があり、これら3社は、「やましろの国」で最も創建年代の古い神社となっている。いづれの氏も渡来民であり、平安京遷都のパトロン的存在であった。
「葵祭り」で、神霊の依代としての季節の草花「葵」と「桂」を、祭壇に列する人々が身につけているが、この賀茂祭のように松尾大社と稲荷大社も桂と葵を飾りに使う。どちらも、鴨川と桂川・・・つまり、川と関係するが、この両川と両氏、そして、祭りを通して京都の歴史を振り返ってみるのも面白い。
神社の起源や祭り・行事等については、以下参考に記載の、又、それぞれの神社等のホームページを見られると良い。
(画像は、葵祭りの牛車。2009年4月13日朝日新聞掲載記事より)
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参考:
葵祭 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%B5%E7%A5%AD
【下鴨神社】公式サイト
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
【上賀茂神社】公式サイト
http://www.kamigamojinja.jp/
京都市観光協会(公式サイト)
http://www.kyokanko.or.jp/
フィールド・ミュージアム京都
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/_index.html
源氏物語(現代語訳)の部屋
http://www.geocities.jp/yassakasyota/genjis.html
源氏物語の世界 
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/index.html
訓読万葉集
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyo_k.html
京都通(京都観光・京都検定・京都の神社)百科事典
http://www.kyototsuu.jp/index.html
四神相応 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E7%9B%B8%E5%BF%9C
GoogleMap上賀茂神社 下鴨神社 上京区
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%80%80%E4%B8%8A%E4%BA%AC%E5%8C%BA&lr=&um=1&ie=UTF-8&split=0&gl=jp&ei=47gKSt3NEYyBkQXox9ykCw&sa=X&oi=geocode_result&ct=image&resnum=1
京都の伝統民家と町家(京都市文化観光資源保護財団)
http://www.kyobunka.or.jp/tradition/part_two/index.html
平安京の創建(京都市情報館・上京区役所)
http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012381.html
京都大学電子図書館
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/index.html
徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)
http://www.tsurezuregusa.com/
原文『枕草子』全巻
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/makuranosousi_zen.html
枕草子(堺本)
http://www.geocities.co.jp/hgonzaemon/makurasakai.html
八田知紀 千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/tomonori_h.html
京都散策・催事(神事)祭り
http://www.geocities.jp/rskykms/page004.html

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