1953(昭和28)の今日(11月28日)東京・青山に日本初のスーパーマーケット、紀伊国屋が誕生した。
高級青果店を営んでいた増井徳男さんが、米軍の求めに応じて、人糞を使わず生のまま食べられる「清浄野菜」などを、PX(米軍用売店)向けに納入するようになり、アイデアを得た。ショッピングカートもレジスターも、日本では初の試みだった。冒頭の画像は、ガラス張りの店頭が珍しく話題を呼んだ紀伊国屋。アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。
本家アメリカでは、セルフサービスを採りいれた最初の食料品店が登場したのが1916(大正5)年のこと。1929(昭和4)年の大恐慌で、人件費を抑えて、ディスカウントを実現した店舗形態は急速に発展を遂げた。日本では、1953(昭和28)のこの年、テレビ放送がスタートした。家電製品の普及により、評論家の大宅壮一によって、”電化元年”と名づけられた。氷の冷蔵庫にかわろうという電気冷蔵庫は、サラリーマンの月給の10倍という、高級品だった。
朝日新聞に連載されたアメリカの人気漫画「ブロンディー」で、見たアメリカ家庭の暮らしぶりの世界は、まぶしいものであった。その日の食べるものもままならない時代、漫画の主人公がぱくつくサンドイッチの特大の厚さに苛立ちを覚えながらもその世界に惹かれた人は多いのではないか。賢婦人のブロンディーと勤め人ダグウッド一家の平凡だが幸せな生活を描いた漫画は、敗戦で喘ぐ日本人に余りの豊かさを伝える「教材」ともなった。当時の日本の家庭から見れば超豪華な部屋と家具、それに家電製品をうらやましくみたものだ。例えばそこに登場する超大型冷蔵庫の中には溢れんばかりの食品がずらりと並んでいた。漫画でそのような生活ぶりを見ていた主婦にとっての夢は、アメリカとは比較にならない小さな電気冷蔵庫であるが、まずはそこに当面の食品を満たすことだった。当時の紀ノ国屋も、外国人を中心とした高所得者向けの店舗で、庶民にはまだ遠い世界であった。その後、日本に、本格的スーパーマーケットが普及するのは、1957(昭和32)年の「主婦の店ダイエー」の開店からである。同年9月23日大阪の京阪電鉄千林駅前の商店街に安売りをうたい文句にした小さな薬局が開店した。100㎡もない小さな店に薬や化粧品、日用雑貨などがぎっしりとおかれていた。買い物客には開店記念として、まもなく封切られる映画「喜びも悲しみも幾年月」の鑑賞券をつけた。安売りと映画鑑賞にひかれたのか客が殺到し、開店当日だけで28万円を売り、その年の大晦日には一日の売上は100万円を越えたという。これが、その後大躍進したダイエーの1号店であった。1957(昭和32)年と言う年は、日本経済が戦後の復興期から新しい成長へと離陸を始めた年でもある。その前年の経済白書は、「もはや戦後ではない」と宣言している。家電の洗濯機やテレビ、冷蔵庫が「三種の神器」ともてはやされた。一般消費者がそれらを手に入れるのにそう時間はかからなかった。そんなアメリカ型の「大量消費社会」の到来をダイエーの社長中内功(故人)は、この1号店の開店で告げていた。そして、中内は1号店の成功を弾みとして、翌年には食料品や衣料品の分野を拡充させた日本で初の本格的なスーパーを中内の生まれ故郷である神戸市の三宮にオープンした。特に牛肉の安売りは、大好評で、すぐに品切れした。まだまだ、日本では牛肉が高くてなかなかたべられなかった時代、ダイエーの牛肉安売り作戦は、主婦の気持ちをがっちりと掴んだ。その後、食料品や日用雑貨、日常衣料などを扱うチェーンストアー時代に入っていった。
日本のチェーンストアーはアメリカのチェーンストアー理論を忠実に実行しようとしており、消費大国のアメリカでは、チェーンストアー(正式にはチェーンストア・インダストリー)は、大多数の国民大衆の普段の生活を少しでも豊かなものにするために、サービスや消費財を提供する産業構造を大衆消費者の立場から構築する、アメリカで150年もかけて改革・革新してきた経験法則であり、国民大衆の普段の生活に密接した、アメリカ経済に最も影響力のある巨大基幹産業なのである。
昭和30年代中頃の私は、大阪の商社の繊維部門で営業を担当していたことから、アメリカでの流通業の事もある程度承知していたので、これからの日本のスーパーマーケットの進展を見守ってはいたが、まだまだ、百貨店全盛の時代であった当時では、このようなスーパーに対する見方は冷ややかなものであった。
そして、1965(昭和40)年の「40年不況」の頃には、経営基盤の弱小なスーパーは淘汰されて、「スーと生まれてパッと消える」というジョークも生まれたほどであった。その後、スーパーマーケットは、消費の牽引役となり、大量生産・流通面で大変革をもたらす。そして、野菜などでは、見た目の良い購買意欲をそそるものだけが、季節とは関係なく、1年中ショーケースを満たすことになった。季節感は失われ、中央市場でのセリの形態も形骸化していく。
しかし、日本では、中小企業保護の目的で、大型店の出店が大店法(大規模小売店舗法)などにより長彙間規制され、アメリカ型の本格的なチェーン・ストアー経営が出来ず、日本型の経営をしていたが、それも、外国からの圧力などで、大店法などの規制も大分緩和され、外国の大手スーパーが日本に次々と上陸してくるとともに、それらに対抗すべく、アメリカ型のチェーン・ストアー理論を忠実に実行していたところが大躍進している。
そのような中で、現在も日本初のスーパーマーケット・紀ノ国屋は、東京を中心に生鮮にこだわった数店舗を経営しているようである。反面、日本のスーパー業界をリードしてきたダイエーは、オーナーのワンマン的経営体質や本業以外のことにも手を出しすぎたことなどから、バブル崩壊と同時に経営が悪化、倒産寸前となり、商社の丸紅資本が入り、企業再生しようとしたもののチェーストアー経営のノウハウを持たない商社からただ資本が入ってもそれだけでは上手く行くはずがない。本業以外に手を出さず、基本を忠実にやってきた、イオングループ(かっては、ダイエーが目障りだから潰してしまえといっていたライバル企業であったジャスコ)が今や、流通業のトップ企業に躍り出た。そして、ダイエーに資本参加し、今ではイオンの翼下においている。しかし、何でも揃っているGMSと呼ばれる大形化した業態の店舗やリージョナル(郊外型)・ショッピン・グセンター(RSC)は、日本の少子・高齢化社会の進展と米国のサブプライムローン問題に端を発したリーマンショック以降、その影響を受け内需の落ち込んでいる今日の日本では、百貨店同様に将来の需要が見込めず、日本国内の店舗は大幅に閉店し縮小。代りに店舗網は海外への出店にシフトしている。いよいよ、日本のチェーン・ストアー業界も世界のマーケットの中で競争をする時代に入っており、これから10年先、20年先はどうなっているか分からないであろう。
国内では、何でも揃っている超大形の店舗時代から、食品や衣料、家電、ドラックスなどに特化した専門店チェーンの競争時代に入っている。価格競争の激化している中、今は、どんな不況の中でも人の生活に欠かせない食料品を扱うチェーン店が好調であるが、食料品にしても、価格を売り物にするか、鮮度や品質を売り物にするか・・・どちらにしても特徴のない、消費者に支持されない店舗はすべて淘汰されてゆくだろう。
(画像は、ガラス張りの店頭が目面しく話題を呼んだ開店当時の紀伊国屋。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
株式会社 紀ノ国屋
http://www.e-kinokuniya.com/
スーパーマーケット - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88電化の歴史
http://www.hidenka.net/hanashi/history.htm
今日(5月30日)は、「掃除機の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c73df7f5de00f9d429613eac0135a08a
[PDF] 江戸・東京における文化創造
http://www.ufji.co.jp/publication/sricreport/202/31.pdf
JP-Super.Com 日本のスーパーマーケット リンク集
http://www.jp-super.com/
ブロンディ (漫画) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
昭和 32 年(1957)(PDF)
http://www8.plala.or.jp/shinozaki/s32-1957.pdf
喜びも悲しみも幾歳月 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E3%81%B3%E3%82%82%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E3%82%82%E5%B9%BE%E6%AD%B3%E6%9C%88
リーマン・ショック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
大宅壮一 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%85%E5%A3%AE%E4%B8%80
証券不況 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E5%88%B8%E4%B8%8D%E6%B3%81
高級青果店を営んでいた増井徳男さんが、米軍の求めに応じて、人糞を使わず生のまま食べられる「清浄野菜」などを、PX(米軍用売店)向けに納入するようになり、アイデアを得た。ショッピングカートもレジスターも、日本では初の試みだった。冒頭の画像は、ガラス張りの店頭が珍しく話題を呼んだ紀伊国屋。アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。
本家アメリカでは、セルフサービスを採りいれた最初の食料品店が登場したのが1916(大正5)年のこと。1929(昭和4)年の大恐慌で、人件費を抑えて、ディスカウントを実現した店舗形態は急速に発展を遂げた。日本では、1953(昭和28)のこの年、テレビ放送がスタートした。家電製品の普及により、評論家の大宅壮一によって、”電化元年”と名づけられた。氷の冷蔵庫にかわろうという電気冷蔵庫は、サラリーマンの月給の10倍という、高級品だった。
朝日新聞に連載されたアメリカの人気漫画「ブロンディー」で、見たアメリカ家庭の暮らしぶりの世界は、まぶしいものであった。その日の食べるものもままならない時代、漫画の主人公がぱくつくサンドイッチの特大の厚さに苛立ちを覚えながらもその世界に惹かれた人は多いのではないか。賢婦人のブロンディーと勤め人ダグウッド一家の平凡だが幸せな生活を描いた漫画は、敗戦で喘ぐ日本人に余りの豊かさを伝える「教材」ともなった。当時の日本の家庭から見れば超豪華な部屋と家具、それに家電製品をうらやましくみたものだ。例えばそこに登場する超大型冷蔵庫の中には溢れんばかりの食品がずらりと並んでいた。漫画でそのような生活ぶりを見ていた主婦にとっての夢は、アメリカとは比較にならない小さな電気冷蔵庫であるが、まずはそこに当面の食品を満たすことだった。当時の紀ノ国屋も、外国人を中心とした高所得者向けの店舗で、庶民にはまだ遠い世界であった。その後、日本に、本格的スーパーマーケットが普及するのは、1957(昭和32)年の「主婦の店ダイエー」の開店からである。同年9月23日大阪の京阪電鉄千林駅前の商店街に安売りをうたい文句にした小さな薬局が開店した。100㎡もない小さな店に薬や化粧品、日用雑貨などがぎっしりとおかれていた。買い物客には開店記念として、まもなく封切られる映画「喜びも悲しみも幾年月」の鑑賞券をつけた。安売りと映画鑑賞にひかれたのか客が殺到し、開店当日だけで28万円を売り、その年の大晦日には一日の売上は100万円を越えたという。これが、その後大躍進したダイエーの1号店であった。1957(昭和32)年と言う年は、日本経済が戦後の復興期から新しい成長へと離陸を始めた年でもある。その前年の経済白書は、「もはや戦後ではない」と宣言している。家電の洗濯機やテレビ、冷蔵庫が「三種の神器」ともてはやされた。一般消費者がそれらを手に入れるのにそう時間はかからなかった。そんなアメリカ型の「大量消費社会」の到来をダイエーの社長中内功(故人)は、この1号店の開店で告げていた。そして、中内は1号店の成功を弾みとして、翌年には食料品や衣料品の分野を拡充させた日本で初の本格的なスーパーを中内の生まれ故郷である神戸市の三宮にオープンした。特に牛肉の安売りは、大好評で、すぐに品切れした。まだまだ、日本では牛肉が高くてなかなかたべられなかった時代、ダイエーの牛肉安売り作戦は、主婦の気持ちをがっちりと掴んだ。その後、食料品や日用雑貨、日常衣料などを扱うチェーンストアー時代に入っていった。
日本のチェーンストアーはアメリカのチェーンストアー理論を忠実に実行しようとしており、消費大国のアメリカでは、チェーンストアー(正式にはチェーンストア・インダストリー)は、大多数の国民大衆の普段の生活を少しでも豊かなものにするために、サービスや消費財を提供する産業構造を大衆消費者の立場から構築する、アメリカで150年もかけて改革・革新してきた経験法則であり、国民大衆の普段の生活に密接した、アメリカ経済に最も影響力のある巨大基幹産業なのである。
昭和30年代中頃の私は、大阪の商社の繊維部門で営業を担当していたことから、アメリカでの流通業の事もある程度承知していたので、これからの日本のスーパーマーケットの進展を見守ってはいたが、まだまだ、百貨店全盛の時代であった当時では、このようなスーパーに対する見方は冷ややかなものであった。
そして、1965(昭和40)年の「40年不況」の頃には、経営基盤の弱小なスーパーは淘汰されて、「スーと生まれてパッと消える」というジョークも生まれたほどであった。その後、スーパーマーケットは、消費の牽引役となり、大量生産・流通面で大変革をもたらす。そして、野菜などでは、見た目の良い購買意欲をそそるものだけが、季節とは関係なく、1年中ショーケースを満たすことになった。季節感は失われ、中央市場でのセリの形態も形骸化していく。
しかし、日本では、中小企業保護の目的で、大型店の出店が大店法(大規模小売店舗法)などにより長彙間規制され、アメリカ型の本格的なチェーン・ストアー経営が出来ず、日本型の経営をしていたが、それも、外国からの圧力などで、大店法などの規制も大分緩和され、外国の大手スーパーが日本に次々と上陸してくるとともに、それらに対抗すべく、アメリカ型のチェーン・ストアー理論を忠実に実行していたところが大躍進している。
そのような中で、現在も日本初のスーパーマーケット・紀ノ国屋は、東京を中心に生鮮にこだわった数店舗を経営しているようである。反面、日本のスーパー業界をリードしてきたダイエーは、オーナーのワンマン的経営体質や本業以外のことにも手を出しすぎたことなどから、バブル崩壊と同時に経営が悪化、倒産寸前となり、商社の丸紅資本が入り、企業再生しようとしたもののチェーストアー経営のノウハウを持たない商社からただ資本が入ってもそれだけでは上手く行くはずがない。本業以外に手を出さず、基本を忠実にやってきた、イオングループ(かっては、ダイエーが目障りだから潰してしまえといっていたライバル企業であったジャスコ)が今や、流通業のトップ企業に躍り出た。そして、ダイエーに資本参加し、今ではイオンの翼下においている。しかし、何でも揃っているGMSと呼ばれる大形化した業態の店舗やリージョナル(郊外型)・ショッピン・グセンター(RSC)は、日本の少子・高齢化社会の進展と米国のサブプライムローン問題に端を発したリーマンショック以降、その影響を受け内需の落ち込んでいる今日の日本では、百貨店同様に将来の需要が見込めず、日本国内の店舗は大幅に閉店し縮小。代りに店舗網は海外への出店にシフトしている。いよいよ、日本のチェーン・ストアー業界も世界のマーケットの中で競争をする時代に入っており、これから10年先、20年先はどうなっているか分からないであろう。
国内では、何でも揃っている超大形の店舗時代から、食品や衣料、家電、ドラックスなどに特化した専門店チェーンの競争時代に入っている。価格競争の激化している中、今は、どんな不況の中でも人の生活に欠かせない食料品を扱うチェーン店が好調であるが、食料品にしても、価格を売り物にするか、鮮度や品質を売り物にするか・・・どちらにしても特徴のない、消費者に支持されない店舗はすべて淘汰されてゆくだろう。
(画像は、ガラス張りの店頭が目面しく話題を呼んだ開店当時の紀伊国屋。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
株式会社 紀ノ国屋
http://www.e-kinokuniya.com/
スーパーマーケット - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88電化の歴史
http://www.hidenka.net/hanashi/history.htm
今日(5月30日)は、「掃除機の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c73df7f5de00f9d429613eac0135a08a
[PDF] 江戸・東京における文化創造
http://www.ufji.co.jp/publication/sricreport/202/31.pdf
JP-Super.Com 日本のスーパーマーケット リンク集
http://www.jp-super.com/
ブロンディ (漫画) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
昭和 32 年(1957)(PDF)
http://www8.plala.or.jp/shinozaki/s32-1957.pdf
喜びも悲しみも幾歳月 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E3%81%B3%E3%82%82%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E3%82%82%E5%B9%BE%E6%AD%B3%E6%9C%88
リーマン・ショック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
大宅壮一 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%85%E5%A3%AE%E4%B8%80
証券不況 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E5%88%B8%E4%B8%8D%E6%B3%81