今日・5月19日は「シュークリームの日 」だそうだ。
スーパー、コンビニなどで大人気の「牛乳と卵のシュークリーム」を製造している株式会社モンテールが、シュークリームをより身近なおやつにしたいと制定。日付はシュークリームの語呂と似ている毎月19日としたのだとか。
シュークリームは、洋菓子の一種で、小麦粉を卵で練ったシュー種を丸く絞り出して焼き、ふくれて空洞になったシュー皮の中に、クリームを詰めたもので、通常、その空洞にカスタードクリームなどを詰めるのが標準的である。皮は適度に弾性があり、一度ふくらむとそのままの状態を保つ。これは小麦粉を加熱したときにできる糊と小麦粉に含まれるグルテン・油脂の乳化、焼き上がったシューを固める卵の総合作用だそうである。
「理系」でありながら文学など文系の事象に造詣が深かった地球物理学者の寺田寅彦は、夏目漱石の門下生でもあり、随筆家として吉村冬彦の筆名で多くの作品を著わしている(以下参考に記載の「青空文庫:作家別作品リスト:寺田 寅彦」参照)。
その中の『銀座アルプス』に、シュークリームの話題が登場している。以下抜粋である。
「鍋町(なべちょう)の風月(ふうげつ)の二階に、すでにそのころから喫茶室(きっさしつ)があって、片すみには古色蒼然(そうぜん)たるボコボコのピアノが一台すえてあった。「ミルクのはいったおまんじゅう」をごちそうすると言ったS君が自分を連れて行ったのがこの喫茶室であった。おまんじゅうはすなわちシュークリームであったのである。シューというのはフランス語でキャベツのことだとS君が当時フランス語の独修をしていた自分に講釈をして聞かせた。」
フランス語を知らないS君が得意げに、当時まだよく知られていなかったのであろう「シュークリーム」の説明を、フランス語を独修している寺田に説明しているのが可笑しかったのだろう。
一般的に言われている「シュークリーム」という単語は実際にはなく、フランス語のシュ(chou)と英語のクリーム(cream)をくっつけた和製外来語(和製用語)で、フランス語では「シュ・ア・ラ・クレーム(chou à la crème)」と言うようだ。フランス語のシュ(chou)は、キャベツと訳されることが良くあるようだが、キャベツよりはずっと意味が広く、キャベツ、ハボタン、ハクサイなどの総称だそうだが、ここでは、ボコボコッと膨らんで焼けた生地の形を結球したキャベツに見立てて「シュ」と呼ぶようになったという。
寺田の随筆に出てくる「鍋町の風月」とは、洋菓子・和菓子メーカーで有名な焼き菓子ゴーフル(ゴーフレット)の製造・販売をしている「風月堂」(正式表記は「凮月堂」)のことである。上野風月堂、東京風月堂、神戸風月堂が有名であるが、1747(延享4)年、近江出身の小倉喜右衛門が大坂より江戸・京橋鈴木町に移転、1753年(宝暦3)年に開いた「大坂屋」を起源とする。
その後、2代目の時に「大阪屋」は「凮月堂」と改め、姓も小倉姓から大坂屋の頭文字を取った大住姓へと改姓。この「風月堂」の流れをくみ、代々大住家によって受け継がれたのが、のちの「風月堂総本店」(京橋南伝馬町)であり、この「風月堂総本店」から6代目の弟が、1905(明治38)年に分家したのが「上野風月堂」であり、これとは別に、1872(明治5)年に、番頭であった米津松造が暖簾分けしてもらい両国若松町に「米津風月堂」を開業。これが、変遷を得て1965年に「東京風月堂」となったもの。更に1897年に暖簾分けされたのが、神戸元町通にある「神戸風月堂」である。創業以来、後継者問題や、事業の失敗など色々変遷のあった「風月堂」のなかで、現存する最古の風月堂が「神戸風月堂」だといわれている。
日本には、幕末から明治にかけてカステラなどの洋菓子が本格的に登場するが、この頃、フランスの菓子職人サミュエル・ペールが、横浜の外人居留地で洋菓子店・横浜八十五番館を開き在留外国人の間で人気を集めていたようだが、ここのメニューには既に、「シュークリーム」があったのではないかという説がある。
風月堂総本家の大住喜右衛門は進取の気性に富んだ人物で暖簾分けした米津風月堂の松造に横浜で西洋菓子を見聞させ、横浜での研究をもとに1874(明治7)年には“宝露糖”と名づけたボンボン・ド・リコールド(リキュール・ボンボン)を新発売したそうだ。また、明治政府は産業を興す政策の1つとして、1877年(明治10年)8月21日に、第1回内国勧業博覧会を開くが、このお菓子の部門では総本家・大住喜右衛門の「菓糕」と米津松造の「乾蒸餅(ビスケット)」が褒賞を受けた。又、米津風月堂は、この年、本拠地を京橋南鍋町店に定め、フランス料理も開業し、カレーライス、オムレツ、ビフテキ等を8銭均一で売った・・と同社HPには書いてある。
博覧会での受賞を機に両風月堂は洋菓子の製造販売に一層力を入れ、1882年(明治15年)頃になると大々的に、西洋菓子を売り出し、1884年(明治17年)には「シュークリーム」も製造し売り出したという。この時、西洋菓子に力を入れるため、米津松造氏は横浜八十五番館でコックをしていた谷戸俊二郎という人を雇いいれたそうだ。
因みに、先に書いた・・・寺田寅彦とS君とが、東京・南鍋町の米津風月堂でシュークリームを食べたのは、1899(明治32)年の夏のことであるから、シュークリームを売り出して、15年目くらいのことになる。
また、1877(天保8)年、京都の生れの村上光保が京都御所に出仕し、文明開化の流れの中、饗宴用のフランス菓子を作ることになり、在官のまま、1870(明治3)年、横浜八五番館のフランス人サミュエル・ペールに就いて高級洋菓子修行をし、3年後、宮廷に戻って大膳職(宮内庁の食事係)として修得したフランス菓子の腕をふるっていたが、1874(明治7)年、東京・麹町山元町で、フランス菓子の店・村上開新堂(現在の屋号は頭に村上の文字はなくただも「開新堂」。以下参考に記載の開新堂HP参照)を開き、宮廷内だけでなく、広く一般にも洋菓子を普及させることになったようだ。彼の作る"ガトー"や"プチ・フール"というものがどんなものかは知らないが、当時皇族・華族・富豪たちに大好評で、特に宴会用のデコレーションケーキは政府関係者に喜ばれ、鹿鳴館での催しの際にも、洋菓子の製造を受け持ったという。(以下参考に記載の「(社)日本洋菓子協会連合会: 洋菓子の世界」参照)。
この村上開新堂でも、風月堂とほぼ同時期にシュークリームを売り出したといわれている・・・が、ここの店では、由緒が由緒だけに、詳しいことはベールに包まれており、誰かに紹介してもらわないと予約さえなかなか取れないようだ。又、京都・寺町二条にも同名の村上開新堂があるようだが、どうも、この京・東京両店の中はあまり良くはなさそうだね~(以下参考に記載の「村上開新堂 - 関心空間」参照)。因みに、ここのシュークリームはプチの小さなものだそうだ。
明治も後半に入ると、シュークリームは確実に日本に広がり、明治36年~37年に、作家の村井弦齋が和洋料理法を小説風に書いた『食道楽』には、シュークリームの文字が登場し、この頃には、すでにシュー・ア・ラ・クレームは、日本独自のシュークリームへと変貌を遂げていたようだ。
このシュークリームの起源については、諸説あるようだが、以下参考に記載の「「PRODUCED BY ISIDA ROHO」が比較的詳しく書いてあったが、要約すると、ルー状の重い生地に熱を加えると膨れる「ベーニェ・スフレ」(以下参考に記載の「Mizの料理日記 : 36.ベーニェ・スフレ」参照)という揚げ菓子とか、又、ドイツの料理人マルクス・ルンポルトの本の中に出てくる穴を空けた壷の中に入れ、沸騰した油の中に落として揚げて作る「クラップフェン」という菓子がシュー・ア・ラ・クレームの祖型ともいわれているそうだ。この他、16世紀の始めに、イタリア・メディチ家のカトリーヌ・ド・メディチが、フランス王フランソワ1世の第2王子アンリ・ド・ヴァロワ(のちのアンリ2世)に嫁いだ時に、シュー生地がフランスに持ち込まれ、後に、製菓長のポフランがオーブンで乾燥焼にしたパート、すなわちパータ・シュー(※以下参考に記載の「シュー生地(パータ・シュー)の冷凍保存と使用方法について」参照)の作り方を会得していたという説も有力だという。
シュークリームと言っても、今では、一口サイズの小さなものから、大型のもの。また、表面にクッキー生地を使った「クッキーシュー」や、カスタードクリームの代わりに、小倉あん、チョコレート、ホイップクリームなどを入れた変わり種や、アイスクリームを詰めたシューアイスなども販売されているようだ。
最近は、スイーツブームだとかで、男性でも洋菓子など食べる人が増えたようだが、飲兵衛の私も、辛党の甘党で、和菓子などは、大好きで自分で買ってでも食べることがあるが、洋菓子は、買ってまで食べることは少ない。しかし、ごく普通のカスタードクリームの入ったシュークリームは、好きなものの1つではある。
「シュークリームの日 」である毎月19日前後数日間は、スーパーやコンビニで特売が実施されているようだ。久しぶりに食べてみたくなったので、家人に買ってきてもらおうかな・・・。
だけど、今、神戸は、新インフレで大騒ぎ。外出に必要なマスクは薬局などからなくなってしまっている。余り、人出の多いスーパーなどへは買物頻度を少なくしてまとめ買いしなくてはいけないので、シューアイスなど買って帰れるかな~???
冒頭の画像は、児童文学作家寺村輝夫作、永井郁子挿絵「わかったさんのシュークリーム」。私は読んでいないが、パティシエのわかったさんが森の中の家で力もちのゾウといっしょに、シュークリームを作るおはなしだとか・・。永井郁子さんのこの挿絵が気に入った。Amazonやe-honで買えるよ。
参考:
シュークリーム-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
株式会社モンテールHP
http://www.monteur.co.jp/
(社)日本洋菓子協会連合会: 洋菓子の世界
http://www.gateaux.or.jp/g/dictionary/his17.html
PRODUCED BY ISIDA ROHO
http://www.cremedelacreme.co.jp/profile_1.html
[PDF] “シュークリーム職人の殿堂” 『東京シュークリーム畑』
http://www.bandainamcogames.co.jp/corporate/press/namco/50/50-010.pdf
シュークリームの歴史といま
http://www.cream-dreams.com/cd_mail/bn200405.asp
青空文庫:作家別作品リスト:寺田 寅彦
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.html#sakuhin_list_1
風月堂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%9C%88%E5%A0%82
カトリーヌ・ド・メディシス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%B9
お菓子の基礎 パータ・シュー
http://www.ne.jp/asahi/meringues/net/kiso/chou.htm
シュー生地(パータ・シュー)の冷凍保存と使用方法について
http://www.geocities.jp/mari_ceke/a6.htm
ミルフィーユ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A6
開新堂HP
http://www.kaishindo.co.jp/index.html
AHO NA LIFE:村上開新堂でござる!
http://blog.livedoor.jp/ackies/archives/51249273.html
風月堂社史本文目次
http://www.tokyo-fugetsudo.co.jp/frame151403.html
村上開新堂 - 関心空間
http://www.kanshin.com/keyword/73114
村井弦斎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E5%BC%A6%E6%96%8E
寺村輝夫 – Wikipedia
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%9D%91%E8%BC%9D%E5%A4%AB
永井郁子ホームページ
http://www.nagai-ehon.com/index.html
スーパー、コンビニなどで大人気の「牛乳と卵のシュークリーム」を製造している株式会社モンテールが、シュークリームをより身近なおやつにしたいと制定。日付はシュークリームの語呂と似ている毎月19日としたのだとか。
シュークリームは、洋菓子の一種で、小麦粉を卵で練ったシュー種を丸く絞り出して焼き、ふくれて空洞になったシュー皮の中に、クリームを詰めたもので、通常、その空洞にカスタードクリームなどを詰めるのが標準的である。皮は適度に弾性があり、一度ふくらむとそのままの状態を保つ。これは小麦粉を加熱したときにできる糊と小麦粉に含まれるグルテン・油脂の乳化、焼き上がったシューを固める卵の総合作用だそうである。
「理系」でありながら文学など文系の事象に造詣が深かった地球物理学者の寺田寅彦は、夏目漱石の門下生でもあり、随筆家として吉村冬彦の筆名で多くの作品を著わしている(以下参考に記載の「青空文庫:作家別作品リスト:寺田 寅彦」参照)。
その中の『銀座アルプス』に、シュークリームの話題が登場している。以下抜粋である。
「鍋町(なべちょう)の風月(ふうげつ)の二階に、すでにそのころから喫茶室(きっさしつ)があって、片すみには古色蒼然(そうぜん)たるボコボコのピアノが一台すえてあった。「ミルクのはいったおまんじゅう」をごちそうすると言ったS君が自分を連れて行ったのがこの喫茶室であった。おまんじゅうはすなわちシュークリームであったのである。シューというのはフランス語でキャベツのことだとS君が当時フランス語の独修をしていた自分に講釈をして聞かせた。」
フランス語を知らないS君が得意げに、当時まだよく知られていなかったのであろう「シュークリーム」の説明を、フランス語を独修している寺田に説明しているのが可笑しかったのだろう。
一般的に言われている「シュークリーム」という単語は実際にはなく、フランス語のシュ(chou)と英語のクリーム(cream)をくっつけた和製外来語(和製用語)で、フランス語では「シュ・ア・ラ・クレーム(chou à la crème)」と言うようだ。フランス語のシュ(chou)は、キャベツと訳されることが良くあるようだが、キャベツよりはずっと意味が広く、キャベツ、ハボタン、ハクサイなどの総称だそうだが、ここでは、ボコボコッと膨らんで焼けた生地の形を結球したキャベツに見立てて「シュ」と呼ぶようになったという。
寺田の随筆に出てくる「鍋町の風月」とは、洋菓子・和菓子メーカーで有名な焼き菓子ゴーフル(ゴーフレット)の製造・販売をしている「風月堂」(正式表記は「凮月堂」)のことである。上野風月堂、東京風月堂、神戸風月堂が有名であるが、1747(延享4)年、近江出身の小倉喜右衛門が大坂より江戸・京橋鈴木町に移転、1753年(宝暦3)年に開いた「大坂屋」を起源とする。
その後、2代目の時に「大阪屋」は「凮月堂」と改め、姓も小倉姓から大坂屋の頭文字を取った大住姓へと改姓。この「風月堂」の流れをくみ、代々大住家によって受け継がれたのが、のちの「風月堂総本店」(京橋南伝馬町)であり、この「風月堂総本店」から6代目の弟が、1905(明治38)年に分家したのが「上野風月堂」であり、これとは別に、1872(明治5)年に、番頭であった米津松造が暖簾分けしてもらい両国若松町に「米津風月堂」を開業。これが、変遷を得て1965年に「東京風月堂」となったもの。更に1897年に暖簾分けされたのが、神戸元町通にある「神戸風月堂」である。創業以来、後継者問題や、事業の失敗など色々変遷のあった「風月堂」のなかで、現存する最古の風月堂が「神戸風月堂」だといわれている。
日本には、幕末から明治にかけてカステラなどの洋菓子が本格的に登場するが、この頃、フランスの菓子職人サミュエル・ペールが、横浜の外人居留地で洋菓子店・横浜八十五番館を開き在留外国人の間で人気を集めていたようだが、ここのメニューには既に、「シュークリーム」があったのではないかという説がある。
風月堂総本家の大住喜右衛門は進取の気性に富んだ人物で暖簾分けした米津風月堂の松造に横浜で西洋菓子を見聞させ、横浜での研究をもとに1874(明治7)年には“宝露糖”と名づけたボンボン・ド・リコールド(リキュール・ボンボン)を新発売したそうだ。また、明治政府は産業を興す政策の1つとして、1877年(明治10年)8月21日に、第1回内国勧業博覧会を開くが、このお菓子の部門では総本家・大住喜右衛門の「菓糕」と米津松造の「乾蒸餅(ビスケット)」が褒賞を受けた。又、米津風月堂は、この年、本拠地を京橋南鍋町店に定め、フランス料理も開業し、カレーライス、オムレツ、ビフテキ等を8銭均一で売った・・と同社HPには書いてある。
博覧会での受賞を機に両風月堂は洋菓子の製造販売に一層力を入れ、1882年(明治15年)頃になると大々的に、西洋菓子を売り出し、1884年(明治17年)には「シュークリーム」も製造し売り出したという。この時、西洋菓子に力を入れるため、米津松造氏は横浜八十五番館でコックをしていた谷戸俊二郎という人を雇いいれたそうだ。
因みに、先に書いた・・・寺田寅彦とS君とが、東京・南鍋町の米津風月堂でシュークリームを食べたのは、1899(明治32)年の夏のことであるから、シュークリームを売り出して、15年目くらいのことになる。
また、1877(天保8)年、京都の生れの村上光保が京都御所に出仕し、文明開化の流れの中、饗宴用のフランス菓子を作ることになり、在官のまま、1870(明治3)年、横浜八五番館のフランス人サミュエル・ペールに就いて高級洋菓子修行をし、3年後、宮廷に戻って大膳職(宮内庁の食事係)として修得したフランス菓子の腕をふるっていたが、1874(明治7)年、東京・麹町山元町で、フランス菓子の店・村上開新堂(現在の屋号は頭に村上の文字はなくただも「開新堂」。以下参考に記載の開新堂HP参照)を開き、宮廷内だけでなく、広く一般にも洋菓子を普及させることになったようだ。彼の作る"ガトー"や"プチ・フール"というものがどんなものかは知らないが、当時皇族・華族・富豪たちに大好評で、特に宴会用のデコレーションケーキは政府関係者に喜ばれ、鹿鳴館での催しの際にも、洋菓子の製造を受け持ったという。(以下参考に記載の「(社)日本洋菓子協会連合会: 洋菓子の世界」参照)。
この村上開新堂でも、風月堂とほぼ同時期にシュークリームを売り出したといわれている・・・が、ここの店では、由緒が由緒だけに、詳しいことはベールに包まれており、誰かに紹介してもらわないと予約さえなかなか取れないようだ。又、京都・寺町二条にも同名の村上開新堂があるようだが、どうも、この京・東京両店の中はあまり良くはなさそうだね~(以下参考に記載の「村上開新堂 - 関心空間」参照)。因みに、ここのシュークリームはプチの小さなものだそうだ。
明治も後半に入ると、シュークリームは確実に日本に広がり、明治36年~37年に、作家の村井弦齋が和洋料理法を小説風に書いた『食道楽』には、シュークリームの文字が登場し、この頃には、すでにシュー・ア・ラ・クレームは、日本独自のシュークリームへと変貌を遂げていたようだ。
このシュークリームの起源については、諸説あるようだが、以下参考に記載の「「PRODUCED BY ISIDA ROHO」が比較的詳しく書いてあったが、要約すると、ルー状の重い生地に熱を加えると膨れる「ベーニェ・スフレ」(以下参考に記載の「Mizの料理日記 : 36.ベーニェ・スフレ」参照)という揚げ菓子とか、又、ドイツの料理人マルクス・ルンポルトの本の中に出てくる穴を空けた壷の中に入れ、沸騰した油の中に落として揚げて作る「クラップフェン」という菓子がシュー・ア・ラ・クレームの祖型ともいわれているそうだ。この他、16世紀の始めに、イタリア・メディチ家のカトリーヌ・ド・メディチが、フランス王フランソワ1世の第2王子アンリ・ド・ヴァロワ(のちのアンリ2世)に嫁いだ時に、シュー生地がフランスに持ち込まれ、後に、製菓長のポフランがオーブンで乾燥焼にしたパート、すなわちパータ・シュー(※以下参考に記載の「シュー生地(パータ・シュー)の冷凍保存と使用方法について」参照)の作り方を会得していたという説も有力だという。
シュークリームと言っても、今では、一口サイズの小さなものから、大型のもの。また、表面にクッキー生地を使った「クッキーシュー」や、カスタードクリームの代わりに、小倉あん、チョコレート、ホイップクリームなどを入れた変わり種や、アイスクリームを詰めたシューアイスなども販売されているようだ。
最近は、スイーツブームだとかで、男性でも洋菓子など食べる人が増えたようだが、飲兵衛の私も、辛党の甘党で、和菓子などは、大好きで自分で買ってでも食べることがあるが、洋菓子は、買ってまで食べることは少ない。しかし、ごく普通のカスタードクリームの入ったシュークリームは、好きなものの1つではある。
「シュークリームの日 」である毎月19日前後数日間は、スーパーやコンビニで特売が実施されているようだ。久しぶりに食べてみたくなったので、家人に買ってきてもらおうかな・・・。
だけど、今、神戸は、新インフレで大騒ぎ。外出に必要なマスクは薬局などからなくなってしまっている。余り、人出の多いスーパーなどへは買物頻度を少なくしてまとめ買いしなくてはいけないので、シューアイスなど買って帰れるかな~???
冒頭の画像は、児童文学作家寺村輝夫作、永井郁子挿絵「わかったさんのシュークリーム」。私は読んでいないが、パティシエのわかったさんが森の中の家で力もちのゾウといっしょに、シュークリームを作るおはなしだとか・・。永井郁子さんのこの挿絵が気に入った。Amazonやe-honで買えるよ。
参考:
シュークリーム-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0
株式会社モンテールHP
http://www.monteur.co.jp/
(社)日本洋菓子協会連合会: 洋菓子の世界
http://www.gateaux.or.jp/g/dictionary/his17.html
PRODUCED BY ISIDA ROHO
http://www.cremedelacreme.co.jp/profile_1.html
[PDF] “シュークリーム職人の殿堂” 『東京シュークリーム畑』
http://www.bandainamcogames.co.jp/corporate/press/namco/50/50-010.pdf
シュークリームの歴史といま
http://www.cream-dreams.com/cd_mail/bn200405.asp
青空文庫:作家別作品リスト:寺田 寅彦
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.html#sakuhin_list_1
風月堂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%9C%88%E5%A0%82
カトリーヌ・ド・メディシス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%B9
お菓子の基礎 パータ・シュー
http://www.ne.jp/asahi/meringues/net/kiso/chou.htm
シュー生地(パータ・シュー)の冷凍保存と使用方法について
http://www.geocities.jp/mari_ceke/a6.htm
ミルフィーユ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A6
開新堂HP
http://www.kaishindo.co.jp/index.html
AHO NA LIFE:村上開新堂でござる!
http://blog.livedoor.jp/ackies/archives/51249273.html
風月堂社史本文目次
http://www.tokyo-fugetsudo.co.jp/frame151403.html
村上開新堂 - 関心空間
http://www.kanshin.com/keyword/73114
村井弦斎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E5%BC%A6%E6%96%8E
寺村輝夫 – Wikipedia
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%9D%91%E8%BC%9D%E5%A4%AB
永井郁子ホームページ
http://www.nagai-ehon.com/index.html