なるほど、名というものは、風変わりなデッサンをする画家だ、人間や土地の、その現実にすこしも似ていないクロッキーをわれわれにあたえるものだから、想像した世界ではなく可視の世界をまえにしたとき、われわれはしばしばおどろきのあまり、一種の茫然自失に陥る(といっても、可視の世界が真の世界なのではない、われわれの感覚といったところで、想像にくらべてとくにすぐれた模写の能力をもっているわけではなく、現実からとらえることのできるデッサンは、結局近似的なデッサンであって、そのようなデッサンは、すくなくとも、目に見た世界が想像した世界とちがっているのとおなじ程度に、目に見た世界から食いちがっているのである)。
★マルセル・プルースト「失われた時を求めて 第2巻」p203 井上究一郎訳・ちくま文庫
とすれば、「真の世界」はどこにあるのだろうか、という問題はさておき、確かに土地の名しか知らずにそこを訪れたときの「茫然自失」にはどこか覚えがあるような気がします。「え? こんなトコだったの?」っていう、アレです。