Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

100のエッセイ・第9期・95 「シチュー」の謎

2014-08-24 16:52:35 | 100のエッセイ・第9期

95 「シチュー」の謎

2014.8.23


 

 忙しい職人の家に生まれ育ったからか、もともと我が家が食にはこだわらなかったからか、はたまた単に貧乏だったのか、とにかく、旨いものにはとんと縁がなかった。イルカ鍋だの、ジャリジャリのマグロだの、変な食べ物にはこと欠かなかったが、なかでも、我が家の「シチュー」はとても異なものだった。

 ほんとうの「シチュー」に出会ったのは、たぶん、結婚してからではなかったか。家内がビーフシチューが大好きだというので、変なものが好きなんだなあと思っていたら、レストランだかで出てきたそのビーフシチューなるものを見て、ぼくは驚いてしまった。それはただのデミグラスソースのビーフシチューに過ぎなかったのだが、それが我が家の「シチュー」とは似ても似つかぬ代物だったからである。いや、違う、そうじゃない、我が家の「シチュー」が、ほんとの「シチュー」とは似ても似つかぬ代物だったといわねばならぬ。

 どういうものだったかというと、簡単にいえば、味噌の入っていない豚汁のようなものといえばいいのだろうか。何しろ、50年以上も前のことなので、よく覚えていないが、とにかくスープは澄んでいて、その中に、ニンジンとジャガイモと、あと、たぶん角切りの豚肉が入っていたように思う。味は塩味だったような気がする。どうしてこれを我が家では「シチュー」と呼んだのか知らないが、とにかく、旨くなかった。しかも、それがちょっと深めのお皿に入っているのなら、今でいえばさしずめ「ポトフ」といったところだろうが、なんかしらないけど、味噌汁を飲むお椀に入っているので、どこの料理なんだか分からない。それならいっそ、野菜汁とでもいえばよさそうなものを、どう間違って「シチュー」と呼んだのだろうか。いまだに謎である。

 まあ、ことほどさように、ろくなものを口にせずに育ったので、大学に入って、東京などに出るようになると、次から次へと驚くような食べ物との出会いの連続で、世の中にこんな旨いものがあったのかという感嘆につぐ感嘆の日々を送ったのだった。その中でも、特にぼくを驚かせたのは「クリームコロッケ」であって、これについては、既に名エッセイの誉れたかい「わがグルメ事始めはクリームコロッケなりき」という文章となって結実している。

 そのエッセイを書いた当時、ぼくは栄光学園に教師として戻ったばかりで、やる気満々で、次から次へと新しい企画を打ち出していた。その中で、気軽な文章を載せることのできる小冊子を作ろうと友人の教師とはかって作ったのが「玉縄談話室」という雑誌だった。残念ながら、この雑誌は、3号雑誌どころか、たった1号で廃刊となってしまったが、その創刊号兼廃刊号に書いたのが、件のエッセイだったわけである。

 その時は、「わがグルメシリーズ」と銘打ったので、雑誌廃刊後に、もう1編書いたのが「ああ、哀愁の有明のハーバーよ」というこれもまた名エッセイの評判を得た文章である。

 おっと、自慢めいてきてしまった。今更自慢するつもりでこんなことを書いているのではなく、そういえば、あの「グルメシリーズ」の続きを書いてないなあと、ふと思い出したということを書きたかったのだ。

 近ごろ、それなりに忙しいけれど、夏休みも終わる気遣いのない日々の中で、妙に食べ物への関心が高まっている。といって、どこぞの何が旨いから出かけていって食べてみたといった類の話題ではない。ぼくはグルメとはまったく縁のない人間である。ただ、特に20代の頃に出会った食べ物への感動は忘れられないものがある。そのいくつかを、「グルメシリーズ」とは名乗らないけれど、ときどき書いてみようかと思うのだ。

 この「100のエッセイ・第9期」もそろそろ終わりかかっており、遠からず第10期ということになる。いつも「ネタ切れ」の恐怖(そんな深刻なものじゃないけれど)と闘って書き続けてきたのだが、ある程度、ネタを確保しておかなければ、第10期を書き切ることができそうもないと思ったりして、そうだ、「グルメシリーズ」があるじゃないかと思った次第。


 



■本日の蔵出しエッセイ 

わがグルメ事始めはクリームコロッケなりき

ああ、哀愁の有明のハーバーよ 

そういうわけで、蔵出しです。何度か紹介してきたエッセイですが。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100のエッセイ・第9期・94 ちょっと淋しい

2014-08-17 17:27:34 | 100のエッセイ・第9期

94 ちょっと淋しい

2014.8.17


 

 毎夕、7時ぐらいからおよそ50分ほど、家内とウオーキングをしている。今までは、夏休み限定だったのだが、今年は、夏休みも何もないから、7月ごろから歩き始めた。コースは、我が家から上大岡駅の方へ下って行って、駅の近くの大岡川沿いの遊歩道をぐるっとまわって帰ってくるという単純なもの。

 猛暑の夏ではあるが、さすがに8月も15日を過ぎると、コオロギの声などが草むらから聞こえてくる。コオロギでも、リリリ、リリリと、か細くなくツヅレサセコオオロギの声は特にしみじみと秋の到来を感じさせるいい声である。その中に交じって、ひときわ甲高い声で鳴くのが、アオマツムシ。そして、チン、チン、チンと、申し訳なさそうに小さく鳴くカネタタキなど、だんだんと夜の川のほとりも賑やかになる。

 そうした虫の声を聞くと、去年までは、ああ、もう夏休みも終わりかあ、と、なんともいえない切ない気分になったものだ。そう思うと、そんなにオレは学校が嫌だったのだろうかと、また考えてしまう。

 昨日、ぼくの師匠の属する会の書展に出かけたら、親戚の女性に会った。彼女は、ぼくの父の従姉妹で、ぼくよりも大分歳上だが、ぼくが最近、書道の方で少しは上達してきたのを知っているものだから、「洋ちゃん、そのうち、書も教えるんでしょ。」なんて言ってきた。「冗談じゃないですよ。ぼくは教えるのは苦手だし、嫌いなんだよ。」というと、ものすごく意外そうな顔をして、「え、そうなの? だって、ずっと先生をやってきたじゃないの。」と言う。

 そういえば、ずっとその昔、ぼくが大学生だったころ、彼女から「洋ちゃんは、先生に向いているね。」と言われたことがある。ぼくは、たぶん、その時は自分でもそう思い、実際に教師になったのだから、彼女はずっとあの子は、やっぱり教師に向いていたんだ、と思っていたのかもしれない。でもぼくは、自己中心的な、めんどくさがり屋で、生徒の世話を親身になってするような教師には、とうていなることはできなかったのだ。その言い訳みたいに、とにかく、生徒をなるべく面白がらせよう、笑わせようと努力した。それは事実だ。

 そんなぼくが、教師に向いていたのか、いなかったのかなんてことを今更ウンヌンしてもしょうがない。向いていようと、いまいと、42年も続けてきたことは確かなのだし、それほど不幸だったわけでもない。ただ、いい加減な教師だったこともまた事実だ。その根っこには、大学でまともな勉強をしなかった、いやできなかった、というコンプレックスがあった。何を教えるべきなのか、何が大事なのか、そんなことは、大学で学べることではないが、ただ、国語国文学学科というところにいながら、その学問の基礎というべきことを、何も学習も習得もできなかった。その負い目が、結局いつまでたっても、ぼくにしつこくつきまとった。

 ただ、中学や高校の国語教師というのは、それほど専門的な知識がなくても何とか勤まるものなので、長いことやってこれたのだろう。けれども、それと平行して何らかの専門的な研究をしたいと思ってきたが、結局、それも中途半端なことに終始してしまい、あれよあれよいう間に、定年退職となってしまったわけである。

 2学期が容赦なく始まり、学校へ行くようになり、久しぶりに教壇に立つとなると、いったい授業ってどうやるんだっけと思うくらい、どうしていいか分からない状態になったものだ。夏休みの間は、もう授業の準備どころか、授業や学校のことを一切考えずに過ごしたからだ。だから、いざ2学期となると、ものすごく不安になって、ああ、やだなあと思っているうちに、授業開始のチャイムがなる。長い廊下を歩き、教壇に立つ。生徒が、ニコニコ笑っている。その瞬間、突然、どうすればよいかが分かってしまう。いや、そうじゃない、どうやってきたかを思い出す。そして、授業が始まる。それはそれで悪くなかった。楽しくすらあった。

 けれども、もう、そういう瞬間は二度と来ない。夏休みはいつまでも続く。就職したころから、ずっと夢見てきた状況になっている。だから、とても嬉しい。嬉しくてならないけれど、嬉しくって、もう片っ端から現役の教師に電話して、「どうだ、オレはもうずっと夏休みなんだぞ。いいだろう。」って自慢したいくらいだけれど、でも、ちょっと淋しい。


 



 ■本日の蔵出しエッセイ どうもわからない(5/61)

昔からこんなことばっかり書いてきました。「自分探し」失敗の巻です。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100のエッセイ・第9期・93 ふるさとの訛り懐かし

2014-08-10 19:18:07 | 100のエッセイ・第9期

93 ふるさとの訛り懐かし

2014.8.9


 

 ちょっとした言葉の言い回しとか、発音とかが、気になることがよくある。そこに、故郷の訛りが見え隠れするからだ。啄木のように、東北の出身者なら「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と歌いたくなる気持ちはよく分かる。東京で、東北訛りに引け目を感じながら生活していると、故郷の訛りが、「懐かしい」なんてもんではなくて、切実に必要になったのではなかろうか。それでなくては、わざわざ上野駅まで、方言を聴きにゆくというのは大袈裟に感じられてしまう。もっとも、啄木の歌には青春特有の大仰さがあって、砂を握ってみたり、蟹と戯れてみたり、母を背負ってみたり、まあ、別にそんなことするわけないじゃないかというわけではないが、どことなく芝居じみていることも確かだ。

 けれども、この「ふるさとの…」の歌は、芝居じみているとか、ウソっぽいとかいう面はあるにせよ、それ以上に、内面的にはリアルである。つまり、ほんとうに方言を聴きに上野駅に行ったかどうかは別にして、そうしたくなる心の切実性は、実に納得できるということだ。

 納得できると断言したが、ぼくの場合は、横浜生まれの横浜育ちだから、取り立てて方言らしきものもない。よく言われる「じゃん」なんかも、昔は使ったような気がするが、今はあんまり使わないし、それを使って「どうだ、オレは浜っ子だぜ。」みたいな態度を取られたら返って白けてしまう。所詮、横浜には、横浜弁と言えるような独特な言葉はないのだ。それが寂しい。

 啄木は、都会生活の孤独の中で、「ふるさとの訛り」に、まるで心地よい温泉にでも浸かるような気分を味わえたのだろう。言葉が、体も心も温める。それは、やはり「ふるさとの訛り」でなければできないことだ。

 週に2~3度、イトーヨーカドーに家内のお供で買い物に出かける。今は、夏休みなので、平日でも子どもが多い。催事場で、カルピスが、何かイベントをやっていた。カルピスの制服(?)を着たオネエサンが、スピーカーで子どもたちに呼びかける。「11時っから、イベントを始めま~す。」これを、何度も何度も繰り返す。

 それを聞いて、ふと懐かしくなった。彼女は「11時から」ではなく「11時っから」と、小さな「っ」を入れていた。これはたぶん江戸弁である。落語でも「初めから」というところを「初めっから」とか「はなっから」という。「11時から」とか「初めから」とかいうようにスラスラとは言わないで、なんか突っかかる言い方をする。

 ぼくも昔はこういう言い方をしたし、こういう言い方をよく聞いたなあと思って、懐かしくなったらしい。20歳そこそこの若いオネエサンが、こんな言い回しをするなんて、とびっくりもし、ちょっと嬉しくもあった。

 だからといって、その「11時っから」に、身も心も温められたというわけではない。ぼくの生まれ育った家でよく聞いた職人たちの姿や顔が、一瞬、脳裏をよぎったような気がした。ただそれだけのことである。


 



 ■本日の蔵出しエッセイ 

牛乳は「わかす」のか(6/40)

素敵な東北弁(9/37)

方言についてのエッセイです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100のエッセイ・第9期・92 「甜」もあるさ

2014-08-04 10:05:37 | 100のエッセイ・第9期

92 「甜」もあるさ

2014.8.4


 

 前回とその前の「一日一書」で、今井凌雪の本で知った「苦は尽きず、甜は来たらず」という言葉を紹介した。「生きている限り、苦しみは尽きることはなく、甘い楽しみなんてないんだ。」という厳しい言葉である。その言葉を聞いて今井凌雪は自分もその覚悟で書の道で生きていこうと決心したということだった。

 書を初めてまだ8年目に過ぎず、しかも年齢的にもそれほど先のないぼくにとっては、書の道に対してそれほど厳しい覚悟を持つことはできないけれど、書のことに限らず、人生そのものについて考えたときに、これくらいの厳しい思いを持っていたほうが、かえって生きやすいのではないかと思うのだ。

 ぼくは人一倍神経質で、不安を抱えてしまう人間だから、ちょっとしたことで落ち込んでしまう。そのうえ、生来の「楽したがり」なので、辛いことにはめっぽう弱い。「甜=甘いこと。楽なこと。楽しいこと。」ばかり求めてしまう。そういう人間にとっては、この言葉は一種の「魔法の言葉」なのかもしれない。

 現役の教師のころ(まだ、数ヶ月前までそうだったのだが)、辛い事件などが起きて、苦しい思いをしていたときに、よく心の中で、山中鹿之助が言ったという「憂きことの なおこの上に 積もれかし 限りある身の 力ためさん(辛いことが、さらにもっと私の上に次々とやってこい。どこまでやれるかわからない自分の力をためしてやろうじゃないか。)」という言葉を呪文のように唱えたことがよくあった。ほとんどやけっぱちの言葉だが、辛いことの渦中で、何とかこの辛い状況から逃げたいとばかり思っていると、更に辛くなるものだ。ええい、こうなったら、矢でも鉄砲でも持ってこい! っていう開き直りこそこういう状況には有効なのだと思う。

 楽しいことなんか、もうないんだ、と割り切ることは、絶望ではない。それは、「おれは、楽しいことを求めて生きているんじゃないんだ。」という決意である。そう決意しても、楽しいこと、嬉しいこと、甘いことは、やってくることもあるわけである。それこそ、めっけものだ。おれには楽しいこと、嬉しいことは無縁なんだから、関係ないとばかり、それに背を向けるのではなく、存分に味わえばよい。

 今回の病気、手術のときも、それこそ「苦」の連続だった。それでも、「甜」も結構あった。けれども、「苦」に負けていたら、「甜」も味わえなかっただろう。

 病気からの回復も「甜」のひとつだったが、その回復期に書いた書の作品が、今回の現日書展で評価されて、「同人格推挙」ということになった。これは思ってもいなかった「甜」だった。そんなことは、何年も先のことで、果たしてそこまで命が持つだろうかと心細くも思っていたのに、意外にはやく実現してしまった。

 この前の8月2日土曜日、ぼくは初めて授賞式に出席した。これまで何回か入賞したことはあったのだが、授賞式に出る気持ちにはなれなかった。けれども、今回、「同人格推挙」が決定したことを電話で伝えてくださった師匠の弾んだ声を聞いたとき、もう絶対に出ようと思った。こんな「甜」は、もう二度とやってこないかもしれない。だから、とにかくこの嬉しい気持ちを存分に味わおう、そう思ったわけだ。

 そう思って、出席しますと即座に電話口で答えたはいいが、その後、家内と話していて、そうだ、いったい何を着ていけばいいのだろうという極めて現実的な話になり、結局、翌日、夏用のジャケットと、シャツと、ネクタイを買いに走った。その買い物自体も「甜」だった。

 当日、ライトの眩しく照らす都美術館の講堂の舞台に、名前を呼ばれて「ハイ!」と元気よく返事をして、偉い先生の前に進み、おおきな賞状を直接手渡しされたとき、急に高校時代の卒業式を思い出した。思えばそれ以来、「感謝状」の一枚すら無縁だった人生。感無量である。

 「人生楽ありゃ苦もあるさ~。」という歌がある。これが一般的な真実なのだろうが、どこか生ぬるく奥行きがない。潔く「甜なんて来やしないんだ。人生は苦ばかりさ。」と思っていたほうが、思いがけない「甜」もひとしお味わい深いものとなるようだ。

 


 

 ■本日の蔵出しエッセイ 安心立命ではなく(7/71)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100のエッセイ・第9期・91 夏休みかあ

2014-07-27 15:50:34 | 100のエッセイ・第9期

91 夏休みかあ

2014.7.27


 

 ふと気づけば、夏休みである。といっても、学生や子どもの世界のことだが、ぼくのようにずっと教師をやってきた人間には、やっぱり、夏休みかあ、と思うわけである。

 あと、もうちょっと頑張れば、夏休みだからと、必死で大嫌いな期末試験の採点に取り組み、やっとこさ採点を仕上げ、メンドクサイ成績会議を乗り越え、会議以上にメンドクサイ通信簿を書き終えて、終業式。さあ、夏休みだ、という何ともいえない解放感とワクワク感を、子どもの時代から数えれば、58回も経験してきて、もうそれが当たり前になっていたのに、今年は初めてそうした解放感もワクワク感もなく、何の切れ目もなく、気がつけば夏休み、という事態になった。

 そして、もう1週間が過ぎてしまった。7月もそろそろ終わりかかっている。

 この前見た、教え子の那須佐代子さんが出た「ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる」という芝居で、那須さんのセリフに「あんまり時間の経つのが早いので何にもできない。」というのがあった。ものすごく実感がこもっていて、ひどく共感した。何にもできないわけではないけれど、自分のやっていることと、時間の経過が、どうもしっくりと合わない。時間だけが、自分のやっていることと無関係に、さっさと過ぎて行ってしまうという感じといったらいいのだろうか。そういう事態を、突き詰めるとそういうセリフになるような気がする。

 58回も夏休みを過ごしてきて、毎回思ったのは、結局たいしたこともできないうちに終わってしまったということで、次はこういうことがないようにしようといつも思ってきたけれど、結局、同じことの繰り返しだった。そして、8月に入ると、いつも時間の流れが急速になって、あっという間に8月の下旬となる。夜になるとコオロギなんかが鳴き出し、「灯火親しむころ」という文句が口をついて出てくるようになると、決まって「ああ、もう夏休みも終わりかあ……」という嘆きに浸ることなる。

 しかし、今年は、その嘆きすらもなさそうだ。いつまでも終わらない夏休み。それは果たして幸せなことだろうか。何かが始まるのをワクワクしながら待ち、そしてそれが終わることに哀愁を感じる、それが生きるということのあるべき姿ではなかろうか。

 などと言いながら、やっぱりぼくは、ずっと「終わらない夏休み」を夢見てきたのも事実なのだ。今それが実現して、少々戸惑っているということなのかもしれない。まあ、「夏休み」は終わらないけれど、人生はいずれは終わることは確かなのだから、ものごとを長いスパンで考えて、「いずれ終わるさ」と思っていればいいのだろう。

 それならば58回も繰り返してきた悔いを、出来ることなら、少しでも減らしたい。でも過剰な期待は、結局は失望を生むというのも真実。少なくとも、この暑さでは、冷房をきかした部屋でダラダラと高校野球の地区予選でも見ているしかない。ほんとうに、それほど熱狂的な高校野球ファンでもないのに、地区予選なんか見ている自分が、不思議なヒトのような気がする昨今である。

 


 

  ■本日の蔵出しエッセイ 教師の夏休み(3/94) 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする