Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
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100のエッセイ・第9期・90 無駄なこと

2014-07-20 09:42:55 | 100のエッセイ・第9期

90 無駄なこと

2014.7.20


 

 手術後、しばらく声がかすれてしまい、普通の会話も難しかった。大動脈瘤のある血管を切り取り、人工血管と交換するという手術と声に、どういう関係があるのかというと、心臓近くの大動脈をぐるりと回るように反回神経というものが通っており、この反回神経が声帯の筋肉をつかさどっているために、これを損傷すると、声がかすれることになるわけである。損傷がひどい場合は、この声のかすれは回復が難しく、授業もむずかしくなる。そういうリスクがありますということを、手術前に医師から聞いた。これが3月で退職することを決心した大きな原因だった。

 手術の後、医師からは反回神経のほうは大丈夫でしたねと言われたが、声のかすれは3月になっても続いていたので、何らかの損傷があったらしく、どこまで回復するかという心配がずっと続いていたのだ。

 結果としては、4月に入って、ようやく普通の声が出はじめ、今では多少ハスキーボイスになる時はあるが、会話も手術前と変わらずに出来るようになった。これはとても嬉しいことだった。何しろぼくは非常におしゃべりだから、普通に会話ができないということは、ものすごくストレスがたまるのだ。

 まだ、声がかすれまくっていたころ、家内と話すときも、必要最小限のことしか言えなかった。話すときは、家内のすぐそばまで行って、ささやくような声で話すしかなかったからだ。それでも、長く話していると喉が痛くなってしまう。2~3メートル離れたところにいたら、声が届かない。それで、話す前に「これからオレが話そうとしていることは、ほんとうに必要なことだろうか?」ということをまず考えざるをえなかった。その時、気づいたのは、実は「本当に必要なこと。」なんてほとんどないということだった。薬を飲みたいから水をくれ、なんていうことも、自分でやればすむことだ。起き上がれなかったら、ジェスチャーでも間に合う。

 つまり、手術する前のぼくが家内に話していたことの95パーセントぐらいは「話す必要のないこと」、つまりは「無駄話」だったというわけだ。今日はこんな夢を見たなんて話(ぼくは以前から夢の話をよくしたのだ。)は、誰だって聞きたくないだろうし、迷惑千万以外のなにものでもない。

 そういうことに気づいたけれど、回復した今は、すっかり元に戻ってしまっている。つまり、毎日無駄話ばっかりしている。たまに学校に顔を出しても、まともな話はしないで、無駄話ばっかりだ。そして、人には迷惑だろうと思いつつ、無駄話のできることの幸福を今更ながらにかみしめている。

 そして、こんなことも考える。人生において、「無駄じゃないこと」「本当に必要なこと」って何だろう。極端なことを言えば、「食べる」ことだけということになる。更に身も蓋もないことを言えば「全部無駄」とも言える。「食べて、生きた」としても、結局は死ぬことに変わりはない。無駄といえば無駄である。

 そこまで極論に走らなくても、たとえば、ぼくが「フォトブック」を作ったとしても、そしてそれが何人かの手にわたって、そこそこの「楽しみ」を味わっていただけたとしても、それが「どうしても必要なこと」とは思えない。なければないでいいのだ。ということは「無駄」なのである。

 でも、声がかすれて、まともに会話ができなかったころは、ほんとうに辛かったし苦しかった。それは「本当に言いたいこと」が伝えられなかったからではない。「無駄話」ができなかったからだ。とすれば、実に逆説的だが、「人生にとって本当に必要なこと」とは、実は「無駄なことをすること」なのではないか。

 バスの中で、腹が立つほどどうでもいい無駄話に興ずる老人たちを見て、「ああ、その声を、オレにくれ!」と心の中で叫んでいた頃(まだほんの数ヶ月前のことなのだが……)のことを思うと、生きるということは、まさに「無駄を生きる」ことに他ならない、ということを痛感するのである。


 



  ■本日の蔵出しエッセイ 

ハエ切り名人(1/12) ビューレット反応」狂い(1/71)

究極の無駄なこと?


 

 


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100のエッセイ・第9期・89 やっぱり本にしたい

2014-07-13 10:06:50 | 100のエッセイ・第9期

89 やっぱり本にしたい

2014.7.13


 

 ブログを開設したのが、2012年の11月だから、まだ2年も経っていない。最初は、どう使ったらよいのか分からぬままに、写真や絵といった画像中心のブログとして出発したのだった。だからブログ名も「Yoz Art Space」なんて付けた。訳せば「洋三の美術空間」といった意味のつもりだった。Artは「芸術」とも訳せるが、どちらかというと「美術」の意味合いが強いように思う。(今では「洋三の芸術宇宙」と訳したいと勝手に思っている。)

 そのうちに、ブログの使い勝手のよさが分かってきて、それまで続けてきたホームページの方を凍結し、ブログに移行した。その結果、「100のエッセイ」もブログに移すことになった。それで2年近くたったわけだが、エッセイも数を増してくると、ブログの仕様では困ったことが起きてきた。過去に書いたエッセイをなかなか見つけられないのだ。もちろん、ブログ内検索をすれば、わりと簡単に見つけることは出来るのだが、エッセイも写真も「コラ書」も、みんな一緒くたに時系列にならぶブログは、一覧性に欠けるという欠点があることが分かってきたわけである。

 それで、エッセイの目次だけのページを作成してみた。そうすると、以前のホームページのような感覚で、読みたいエッセイにすぐにとべる。でも、こんなことをしているブログは、めったにお目にかからない。やはり、ブログは、日記的なことを時系列に掲載するというのが、もともとの使い方なのだ。ぼくのブログは変則的なのだろう。

 ホームページに、「100のエッセイ」を連載していたとき、第1期と第2期は、自費出版した。ネット上に存在していても、ネットに縁のない人には何の意味もないので、やはり「本」という形にしたいと思ったのだ。これは案外好評だった。それに気をよくして、横浜市立の図書館のいくつかに寄贈した。図書館でその本を読み、メールをくださった方がひとりだけいて、その方とは今でもメールのやりとりをしている。

 「コラ書」というものを初めて作成したのは、2013年の5月23日。ずいぶん長いことやってきたような気がするが、まだ1年ちょっとでしかないのだ。「コラ書」と命名したのもそのころ。それ以来、ヘンテコな「コラ書」という名前も何となく落ち着いてきて、市民権を得たような気分になってきた。ネットで検索すると「コラボー書」とか「コラ・書」とかいう名称で作品を作っている人もいるが、ぼくの「コラ書」とはかなり違う。似ているものに「デジタル書道」というのがあるが、これは、画像のデジタル処理が興味の中心となっているようで、ぼくの「コラ書」とは違う雰囲気である。

 「コラ書」の作成方法を、いちおう書いておくと、(1)文字は、筆による手書きで、それをスキャナーなどで取り込む。(2)写真は自分で撮影したものを使う。写真素材でないもの(例えばデカルコマニー)でも、必ず自作のものを使う。(3)書と写真を、アドビ・フォトショップなどの画像加工ソフト(ぼくはアドビ・フォトショップを使っている。)で、合成する。(合成方法にいろいろとあって、文字に色がついたり、白抜きになったりする。)ということになる。

 しかしただ合成すればいいというものではない。ぼくが「コラ書」で目ざしているのは、生意気なようだが「詩的な表現」である。書と写真とが、「付かず離れず」の関係で、詩的に共鳴しあうこと、これがぼくの理想。桜の花の写真に、「さくら」とか「桜」という文字を配しても、あんまり面白くない。文字が写真の「説明」になってしまっては、「詩」から遠ざかってしまう。「詩」にとって、「説明」は、大敵なのである。もっとも苦し紛れに、萩の花の写真に「」という字を合わせたこともある。それでも、写真の方はなるべくぼかして撮ったものを使った。

 まあ、そんなつもりで作成してきた「コラ書」も、いつの間にかかなりの数になり、ブログの中にちりばめられているわけだが、やはり一覧性に欠ける。「フォトチャンネル」にまとめてはみたが、やはり「本」にしたいと思うようになった。

 それで、とうとう「コラ書・コレクション No.1」の作成に踏み切った。アップルのフォトブックである。文庫本の倍ぐらいの大きさで、30ページ。見本を作ってみたら、これが意外ときれいだ。1冊注文すると、送料も含めて2337円だが、20冊まとめて作ると、1冊あたり1824円となる。それでも結構なお値段だが、これを欲しい人にお分けしようかと思っている。こちらからの送料やら、封筒代やらも含めて、2000円ではどうだろうか。少々足が出そうだが、ま、いいか。ということで、お手元においてみたいという方は、どうぞ、お申し込みください。詳しい申込み方法などは、今週中に、このブログでお知らせします。



 

  ■本日の蔵出しエッセイ 「コラ書」のテンマツ(6/22)


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100のエッセイ・第9期・88 シウマイ弁当続々考

2014-07-05 10:22:39 | 100のエッセイ・第9期

88 シウマイ弁当続々考

2014.7.5


 

 シウマイ弁当にエビフライが入っていたかどうかは、意外に「入ってたよ」と簡単に答える人が周囲に多く、ぼくとしては拍子抜けというか、素人感を実感させられたというか、まあ、好きな割には、実はあんまり詳しくないという結論に至った。

 この前、次男と話していたら、昔は蕗の煮物も入っていて、その蕗の緑色が隣のカマボコに移っていて嫌だったなんてこともいいだす始末で、それがほんとかどうか知らないが、ぼくの「経験不足」はやはり否めないようだ。

 よく考えてみると、前々回にも書いたが、シウマイ弁当を盛んに食べるようになったのは、ここ20年ぐらいのことで、それ以前はあまり食べなかったのではないかと思う。

 そもそも、ぼくは弁当というものが幼い頃から好きではなかった。かたまった御飯が好きではなかったのだ。これはどうも祖母の影響らしく、御飯がかたまっていると吐きそうになってしまい、どうしても食べられなかった。御飯はもちろん茶碗の中ではチャーハンみたいにパラパラしているわけではないが、ときどき飯粒がくずれたようになってかたまりになっていることがあるが、あれがダメなのだ。ましてお焦げなどはもってのほかで、絶対に食べられなかったし、今でも食べられない。「お焦げ」はおいしいから、わざと作れる炊飯器もあるらしいが、理解に苦しむところである。

 栄光学園に勤めていたころ、よく丹沢にキャンプの引率で出かけたが、そこでも飯ごうで炊いた飯が苦手だった。たいていは焦げ飯だったからだ。それでぼくは、飯が炊きあがると、まっ先に焦げていない中央の部分をすくって食べた。かたまっているのがダメなだけではなくて、芯があったり、べちゃべちゃだったりしたら、もうダメ。つまり、こと御飯に対しては、ものすごくうるさいのである。

 今では、白米の御飯はほとんど食べないからいいのだが、食べていた頃は、たった1合しか炊かない御飯を、家内はぼくの分は、ほんとに中央のかたまっていない部分を注意深くすくってよそってくれていた。炊飯器に直接ふれて、ちょっとでもかたくなっている部分の御飯はダメなのだ。どこのお坊ちゃんなんだというくらい贅沢な話である。(そのかわり、御飯以外の料理にはほとんど好き嫌いがありません。)

 そういうわけだから、シウマイ弁当にしても、その御飯がかたまっているのが嫌で、あんまり食べなかったのではないかと思う。ところが、結婚して間もなくの頃だったらしいが、ぼくが家内に「シウマイ弁当もいいけど、御飯がかたまっているのが嫌だなあ。」と言ったところ、「何言ってるの、御飯がおいしいんじゃないの。かたまっているんじゃなくて、なんか、餅米が入っているんじゃないかなあ。もちもちしていて、御飯が私は大好きよ。」みたいなことを言った。

 この会話は、はっきりと覚えている。今、改めて調べてみると、餅米を入れているのではなくて、御飯は蒸気で蒸すという方法をとっているので、もちもち感があるのだそうだが、いずれにしてもシウマイ弁当の御飯が、「失敗」の結果かたまっているのではなく、「わざと」かためてあるのだ、つまり「完璧な成功作」なのだということを、その時はっきり認識したのだった。それ以来、シウマイ弁当を、御飯を含め、すべておいしく食べることができるようになったというわけなのだ。

 御飯がかたまっている、という状態には二種類ある。ひとつは、失敗作。もうひとつは「わざと」かためたもの、つまり、おにぎりとか寿司とか、もっといえば餅とか、そういうものは、ぼくはもともと大好きだった。けれども茶碗の中の御飯のかたい部分やお焦げは、ぼくは「失敗作」だと思っていた。だから嫌だった、らしい。

 認識が味を変える、ということなのだろうか。不思議なことである。

 



■本日の蔵出しエッセイ イルカ鍋(2/18)

幼い頃の食べ物のお話です。


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100のエッセイ・第9期・87 シウマイ弁当続考

2014-06-28 09:28:36 | 100のエッセイ・第9期

87 シウマイ弁当続考

2014.6.28


 

 昨日、奥本大三郎のエッセイについて、あれこれとあら探しをして、シウマイ弁当に対する愛はオレのほうが上だなんて豪語したくせに、朝にアップしたそのエッセイを、夕方東京へ行く途中の電車の中でiPhoneで読んでいたら、愛しているわりには、記述が雑だということに気づいた。家に帰ってから、そのエッセイを修正しようと思ったけれど、すでに読んでいる方もいるだろうから、後からそしらぬ顔をして書き直すのは、某都議会議員と同じく卑怯な振るまいにも思えるので、改めて続きとして書くことにした。

 前のエッセイに戻るのは面倒なので、もう一度、奥本氏の文章を引用しておく。

カラシ醤油をつけてたべるシウマイは無論美味しいが、鮪の煮付けが、適当に弾力があってこんなに旨いものだとは、これを食うまで知らなかったし、メンマの風味と歯触り、小さな鶏の唐揚げ、細切りの大根の漬物、塩昆布、ほかほかと上手に炊けた御飯、最後に食う乾し杏まで、弁当の傑作として賞味してきた。どこに何が配置されているか、まさに掌(たなごころ)を指すごとく心得ている故に、目をつぶってでも食べることが出来たし、今もこのように書くことができる。

 ここで前回問題にしたのは「カラシ醤油」「鮪の煮付け」「細切りの大根の漬物」「塩昆布」だが、重大な見落としがあった。「メンマ」である。これも間違いなのだ。メンマというのは、桃屋の「味付けメンマ」などが有名だし、ラーメンの具の定番でもあるが、竹の子が素材ではあるが、それを発酵させたもので、独特の風味がある。しかし、シウマイ弁当に入っているのは、メンマではなく、竹の子を甘く煮たものである。昨日リンクをはっておいた崎陽軒のホームページによれば、「筍煮=シウマイに次ぐ人気のおかず。味がよくしみ込んでいます。」との説明があるくらいで、自信の一品なのだ。1センチ各ぐらいに切ったもので、これはほんとに旨い。これをメンマと言われたのでは、崎陽軒も立つ瀬がないだろうが、奥本氏を非難する気にはなれない。悔しいけれど、ぼくも見逃してしまったのだから。

 もう1つの問題点は、「紅ショウガ」である。崎陽軒のホームページでは、「千切り生姜」と書いてあるのだが、果たして「紅ショウガ」という記述は間違いないのだろうか。単に「紅ショウガ」と書くと、吉野屋の牛丼についてくる真っ赤なものを思い浮かべてしまう恐れがある。シウマイ弁当に入っているのは、真っ赤ではなく、薄いピンク色である。あれを「紅ショウガ」と言ってもいいのかと気になって、ちょっと調べてみたところ、「紅ショウガ」というものは「ショウガを、赤ジソや食紅を加えた梅酢に漬けたもの。」とある。ただし、食紅を加えていないものもあり、基本的には「梅酢に漬けたショウガ」と言えばいいようだ。とすれば、ぼくの記述は、誤解を招きやすいが間違いではないということになる。ただ、崎陽軒のいうところの「千切り生姜」が、「紅ショウガ」であるという確証はない。崎陽軒に問い合わせたいところだが、まあ、やめておこう。

 というわけで、奥本氏の記述は間違いが多くいい加減だが、ずいぶん前の記憶で書いているので、罪は軽い。それに対して、ぼくは、それみたことか、よそ者がウンチクを垂れるとこのザマだと言わんばかりの書き方をしながら、ちっとも正確じゃない。どっちが罪が重いかは明白である。

 そもそも「地元民」などという言葉使いがよくない。自分のことを「生粋の地元民」などと言っているが、ただ横浜で生まれ育っただけのことで、父は静岡、母は新潟の出身だから、「生粋の」という枕詞は、ほとんど間違いである。それに「地元民」ならシウマイ弁当の隅々まで知っているはずだという断定もいただけない。地元民だからこそ、知らない、ということもあるわけである。

 で、最後になってしまったが、例の「エビフライ問題」。昨晩、知人からさっそくメールがあった。曰く「シウマイ弁当ですが、確かにエビフライ入っていたのを覚えています。エビフライが無くなった時、すごく悲しかった・・・」そして、このサイトを紹介してくれた。この知人は、ちょっと年下の女性だが、件の「エビフライが入っていたんだよね。」と言った男性の知人とほぼ同い年。年下なだけに、「食べ盛り」に食い違いがあったのだろうか。

 とまあ、ここまで書いたところへ、この前の登場したぼくの同級生である横浜国立大学教授の林部英雄氏から、次のような例によって丁寧なメールが届いた。彼は、奥本氏と同僚だった時期があるのではなかろうか。

 あなたのことだから既に検索してるとは思うけど、シウマイ弁当には確かにエビフライが入っていました。
 ただ、僕が「エッセイ」の中で言及して欲しかったのは、奥本さんの「メンマ」の記述で、あれは断じてメンマではありません。崎陽軒も「筍煮」といっている通り、乳酸発酵させたものではなく、生の筍を煮込んだものに違いありません。メンマとは歯触りが全く違います。
 実はその「筍煮」が、シウマイ弁当の中での僕の一番の好物なので看過できないのであります。崎陽軒のシウマイ弁当以外の弁当を選ぶ時には、筍煮が入っているかどうかで決めるくらいです。勿論ラーメン等にのっているメンマはメンマで大好物なので、なおさらです。

 といって、同じサイトを紹介してくれていた。

 これだけの反応が瞬時にあるということは、いかにシウマイ弁当が愛されているかの証明ではあるが、「エビフライなんか入っていたかなあ。」なんて言っているぼくなどは、まだまだ「素人」であることは間違いなさそうだ。


 


 


■本日の蔵出しエッセイ 「ユズコショウ(5/30)

 



 


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100のエッセイ・第9期・86 シウマイ弁当考

2014-06-27 10:35:23 | 100のエッセイ・第9期

86 シウマイ弁当考

2014.6.27


 

 奥本大三郎の「マルセイユの海鞘(ほや)」(2013年12月刊)というエッセイ集をパラパラと読んでいたら、中に「シウマイ弁当礼讃」というエッセイがあった。

 駅弁ベストテンとか、芸能人の好きなお弁当とかいうと、このシウマイ(シューマイではありません。モノはシューマイですけど。崎陽軒は、昔からこういう表記をしています。)弁当が大抵は上位にランクインするほど、有名な駅弁である。駅弁とはいっても、駅だけではなくて、デパ地下など様々なところで販売されていて、必要なときも注文でき、いわゆるロケ弁などにも利用されることから、芸能人にも人気なのであろう。

 まあ、そんな基礎知識は横浜の人間ならいわずもがなのことだろうが、奥本大三郎は、シウマイ弁当のことならオレにまかせろとばかり得意になって書いている。彼は、かつて横浜国立大学の教授だったから、地元意識があったのだろうが、出身は大阪である。でも、地元民顔負けの地元意識でシウマイ弁当を礼讃してくれるのは、生粋の地元民としては嬉しい限りなのだが、悲しいかな、やはり経験不足はいなめない。彼はこう書いている。

横浜の大学に勤め始めた二十代の終わり頃から、しばらくずーっと、私はこの弁当(シウマイ弁当)を食べてきた。我が三十代、四十代は、この弁当と共にあった、と言いたいぐらい。

 とすれば、20年ほどずーっとこのシウマイ弁当を食べてきたことになる。経験としては十分すぎると言ってもいいぐらいだ。ぼくは、たぶん、小学生の頃から、ずーっと食べてきているが、昔は、年に数度といった程度で、頻繁に食べるようになったのは、ここ20年ぐらいだ。夕食を作るのが面倒だったり、かといって外食も気が進まないときなどは、京急デパートの地下の崎陽軒の売店で買ってきて食べるということが多いからだ。一人で食べるときもあれば、家内と食べるときもある。今や、シウマイ弁当は、我が家の夕食の大事なメニューの一つと言ってもいい。

 奥本氏の「ずーっと」と、ぼくの「ずーっと」を比べたら、どっちが食べた数が多いかは判定しかねるが、食べた期間でいったら、ぼくの方がずーっと長い。だから、というわけではないが、シウマイ弁当に対する「愛」は、たぶんぼくの方が勝っている。というのは、奥本氏は、続けて次のように書いているからである。

蓋の上の紙には赤、青、黄に龍の絵が描いてある。経木の外側にまで、ちょっと前まで暖かかった御飯の露がしっとりと染みている。

なかなかいいじゃん。ただ、「赤、青、黄に龍の絵が描いてある。」では、何のことか分からない。黄色の地に、赤で龍が、青で横浜の町の景色が描いてある。もっとも、青で描いてある図柄には変遷があるようだ。いずれにしても、色を並べるだけで済ませるなら、黄色が先頭にくるべきだ。いちばん黄色が目立つから。次、

蓋を取って、その裏にこびり付いた御飯粒を残らず食べ、シウマイはまだ柔らかいかな、と口に入れる。

 絶好調である。ぼくも、だいたいその通りの行動をとる。ただし、「裏にこびり付いた御飯粒」はたいてい半分は残ってしまうけれど。問題はその後だ。

カラシ醤油をつけてたべるシウマイは無論美味しいが、鮪の煮付けが、適当に弾力があってこんなに旨いものだとは、これを食うまで知らなかったし、メンマの風味と歯触り、小さな鶏の唐揚げ、細切りの大根の漬物、塩昆布、ほかほかと上手に炊けた御飯、最後に食う乾し杏まで、弁当の傑作として賞味してきた。どこに何が配置されているか、まさに掌(たなごころ)を指すごとく心得ている故に、目をつぶってでも食べることが出来たし、今もこのように書くことができる。

 さて、この文章にいくつの間違いがあるでしょう。地元民ならたぶんすぐに分かるだろうが、明かな間違いは「細切りの大根の漬物」である。こんなものは入っていない。これは「紅ショウガ」の千切りである。「鮪の煮付け」も間違い。正しくは「鮪の照り焼き」である。「塩コンブ」も間違いと言ってもいいだろう。塩コンブというと、乾いて表面が白ぽく粉をふいたようなアレを思い出してしまう。そうではなくて、「切り昆布」である。黒くてしっとり濡れた昆布を千切りにしてあり、それが、紅ショウガのすぐ隣、隅の隔離された三角地帯に同居していて、ふつうに食べると両者が混ざって口に入ってくることになる。その塩梅が絶妙なのだが、家内は紅ショウガが嫌いなので、昆布と紅ショウガを丁寧に分けて、紅ショウガはぼくにくれる。(ちなみに杏も小梅も嫌いなので、ぼくにくれる。)

 間違いではないが、脱落もある。奥本氏は、何を書くのを忘れたでしょう。正解は、カマボコ(縁がピンクのやつ)と、玉子焼き、それから小梅(梅干し)と御飯の上の黒ごまである。

 さらに、記述上の問題としては、「カラシ醤油をつけてたべるシウマイ」だが、これが不正確というか、誤解を生じやすい記述だ。カラシは、ビニールの小袋に入っていて、それをぼくならシウマイの上にまず適量のせ、その上からビニールの入れ物に入った醤油をたらす。これを「カラシ醤油」と言ってしまうと、最初からカラシ醤油がついていることになりはしないか。(そうでもないか。)

 ついでに言っておくと、この醤油だが、ぼくが小さい頃は、瓢箪型の陶器の入れ物に入っていて、口にコルクの蓋がついていた。この瓢箪型の入れ物には、顔が書いてあって、この入れ物を「ひょうちゃん」と言った。いろいろな顔があるので、ずいぶん集めたものだが、いつのころからか、ビニールの入れ物になってしまった。

 とまあ、重箱、いや弁当箱の隅をつつくようなあら探しをしてきたが、奥本氏も、昔のことを思い出して書いているのだから、記憶違いや忘れたことがあっても当然である。だからこそ、もっと謙虚な姿勢で書けばよかったのだ。「どこに何が配置されているか、まさに掌(たなごころ)を指すごとく心得ている故に、目をつぶってでも食べることが出来たし、今もこのように書くことができる。」なんて大見得をきるから、ぼくのような人間の小さい者にイチャモンを付けられることになる。

 それはそうと、ぼくにも、分からないのだが、知人が最近このシウマイ弁当について、「昔はさあ、エビフライが入っていた時があったんだよね。」と言うのだ。そう言われると、そんな気もする。家内(家内は、高知の生まれだが、幼稚園のころからの横浜市民である。)に聞いてみたが、そんな記憶はないという。どなたか「そうだ、エビフライも入っていたことがある!」って言う方いませんか?

 なお、シウマイ弁当のイメージがわかない方は、こちらをどうぞ。

 


 

■本日の蔵出しエッセイ 「分からないこと(5/7)

 

 


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