「奥の細道」より
半紙
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栗といふ文字(もんじ)は、西の木と書(かき)て、西方浄土に便(たより)ありと、
行基(ぎょうき)菩薩の、一生、杖にも柱にも此の木を用(もちひ)給(たま)ふとかや。
世の人の見付(みつけ)ぬ花や軒の栗
【口語訳】
栗という字は、上・下に分けると西の木と書いて、西方にある極楽浄土に関係があるとして
行基菩薩が一生の間、杖にも柱にもこの木を使われたとかいうことである。
▼地味な目立たない栗の花は、世人の目にとまらぬ花であるが、その栗の花を愛し
軒端に咲かせているこの庵の主人も、世を避け、世に隠れ住んで、世の人の目にとまらない人で
いかにもゆかしいことである。
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白川の関を越えて、「須賀川」という宿駅に着いた芭蕉は、そこで宿駅の駅長と曾良とで
連句を作ります。その宿駅に、世を忍んで住む僧がいたので、その僧の境地を想像して書いた文と作った句。
「栗」が「西の木」で、だから「西方浄土と縁がある」という考え方は初めて知りました。
おもしろい。
今回、何の気なしに「奥の細道」を書き始めたのですが、
読み進めると、実は、ぼくはこの「奥の細道」をちゃんと通読していないことに
今更ながら気づいたのでした。
それなら、通読しながら、しばらくは、「奥の細道」シリーズを続けることにしようと思っています。
あんまり有名じゃない部分も書いてみようかと
思っています。