Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

詩歌の森へ(18) 八木重吉・「鞠とぶりきの独楽──第8番」

2019-03-07 13:31:23 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ(18) 八木重吉・「鞠とぶりきの独楽──第8番」

2019.3.7


 

ぽくぽく ひとりでついてゐた
わたしの まりを
ひょいと
あなたになげたくなるように
ひょいと
あなたがかへしてくれるように
そんなふうに なんでもいったらなあ


 10数年ぶりに偶然会った旧友に、ちょっとした自慢話をしたら、「そんな話はするもんじゃない」と諭された。ぼくは、自分のあさはかさを深く反省したけれど、その一方でちょっと淋しかった。

 自慢といっても、社長に出世したとか、宝くじで10億あたったとかいうことじゃない。生活上のちょっとした喜びに過ぎなかった。それでも、その友人には、その喜びを素直に受け取れない事情があったのだろう。

 「ぽくぽく ひとりでついてゐた/わたしの まり」というのは、純粋な喜びに浸ることの比喩だ。その「喜び」を、「ひょいと/あなたになげたくなる」と詩人は言う。そうだ、自分の喜びは、「ひょいと」他者に伝えたくなるものだ。つまり自分の思いを言葉にして「なげる」。そのとき「あなた」も、「ひょいとかへしてくれる」。つまり、なんのわだかまりもなく、返事をしてくれる。「そんなふうに なんでもいったらなあ」と詩人は嘆くのだ。この嘆きの深さ・苦さを味わいたい。

 大人の心は、迷路のように複雑に入り組んでしまっていて、言葉は、もうどこへどう届くのかさっぱり分からない。その大人の現実に疲れはてた八木重吉は、「子ども」「あかんぼう」への回帰を絶望の中にも切実に願っていたのだ。

 八木重吉の詩はみな短いが、この「鞠とぶりきの独楽」は、珍しく連作だ。そしてこの連作こそが、八木の最高傑作だとぼくは信じている。

 八木重吉というと、ただ純情なキリスト教詩人といったイメージが定着しているようだが、実際はそんな単純な人ではない。教師として、キリスト教信者として、悩み苦しみ抜いた人だ。

 興味を少しでも持たれた方は、かつてぼくが、渾身の力をこめて書いた『八木重吉ノート』という「評論」を是非お読みください。「鞠とぶりきの独楽」の詳しい評釈もあります。




 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ (98) 徳田秋声『新所帯』 18 「下心」は誰に?

2019-03-07 09:54:24 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (98) 徳田秋声『新所帯』 18 「下心」は誰に?

2019.3.7


 

 小野が拘引されてから、小野の女房のお国は、だんだん新吉の家に入り浸るようになる。まずい展開である。


 小野の拘引事件は思ったより面倒であった。拘引された日に警視庁からただちに田舎の裁判所へ送られた。詳しい事情は解らなかったが、田舎のある商人との取引き上、何か約束手形から生じた間違いだということだけが知れた。期限の切れた手形の日附を書き直して利用したとかいうのであった。訴えた方も狡猾だったが、小野のやり方もずるかった。小野からは内儀さんのところへ二、三度手紙が来た。新吉へもよこした。お国には東京に力となる親戚もないから、万事お世話を願う。青天白日の身になった暁、きっと恩返しをするからという意味の依頼もあった。弁護士を頼むについて、金が欲しいというようなことも言って来た。暮の二十日過ぎに、お国は新吉と相談して、方々借り集めたり、着物を質に入れなどして、少し纏(まと)まった金を送ってやった。
 お国と新吉とはほとんど毎日のように顔を合わすようになった。新吉の方から出向かない日は、大抵お国が表町へやって来る。話はいつでも未決にいる小野のことや、裁判の噂で持ちきっている。もし二年も三年も入れられるようだったら、どうしたものだろうという、相談なども持ちかける。
「いろいろ人に訊いて見ますと、ちょっと重いそうですよ。二年くらいはどうしても入るだろうというんですがね。二年も入っていられたんじゃ、入っている者よりか、残された私がたまらないわ。向うは官費だけれど、こっちはそうは行かない。それにもう指環や櫛のような、少し目ぼしいものは大概金にして送ってやってしまったし……。」とお国は零(こぼ)しはじめる。
 新吉は、「何、私(あっし)だって小野君の人物は知ってるから、まさかあなた一人くらい日干しにするようなことはしやしない。どうかなるさ。」と言っていたが、これという目論見も立たなかった。
 押し迫(つま)るにつれて店はだんだん忙(せわ)しくなって来た。門(かど)にはもう軒並み竹が立てられて、ざわざわと風に鳴っていた。殺風景な新開の町にも、年の瀬の波は押し寄せて、逆上(のぼ)せたような新吉の目の色が渝(かわ)っていた。お国はいつの間にか、この二、三日入浸りになっていた。奥のことは一切取り仕切って、永い間の手練(てなれ)の世帯向きのように気が利いた。新吉の目から見ると、することが少し蓮葉で、派手のように思われた。けれど働きぶりが活き活きしている。箒一ツ持っても、心持いいほど綺麗に掃いてくれる。始終薄暗かったランプがいつも皎々と明るく点(とも)されて、長火鉢も鼠不入(ねずみいらず)も、テラテラ光っている。不器用なお作が拵(こしら)えてくれた三度三度のゴツゴツした煮つけや、薄い汁物(つゆもの)は、小器用なお国の手で拵えられた東京風のお菜(かず)と代って、膳の上にはうまい新香(しんこ)を欠かしたことがなかった。押入れを開けて見ても、台所へ出て見ても、痒(かゆ)いところへ手が届くように、整理が行き届いている。


 やっぱり、これはまずいよね。年の瀬になって忙しくなってくると、お国は「入り浸り」になる。家事全般をそつなくこなすお国は、お作とまるで違う。性格的には「蓮葉で、派手」だと新吉は思うけれど、だから嫌だとは言っていない。そういう蓮っ葉で派手な女が好みではないけれど、やはり魅力は感じるだろう。好みって、難しい。

 お国は、芸者あがりではない、そんな代物じゃないと小野は言っていたが、そうかといって、この雰囲気は「素人」でもなさそうだ。おそらく、かつてはどこかの金持ちのオメカケさんだったのではなかろうか。ぼくの生まれたあたりには、商店や職人の家が多かったが、あの奥さんは芸者あがりだそうだよ、っていうオバサンが何人かいた。子どもだから、よく分からなかったけれど、そういうオバサンは、煙草の吸い方から、歩き方、着ているものまで、なんか違うなあという感覚だけはあった。

 お国は、蓮っ葉で派手なだけで、とりわけ新吉に色目を使うわけじゃないけれど、「働きぶりが活き活きしている」という点が、家を明るくする。掃除は行き届いているし、ランプのホヤだってキレイに磨くし、長火鉢もネズミイラズ(ネズミが入らないようにした食べ物や食器を入れておく棚のこと)は「テラテラ光る」まで磨くし、そのうえ料理がうまい。さらにそのうえ整理整頓までバッチリ。逆に言えば、お作には、これらのことがまるでできないということだ。

 余談だけど、ネズミも近頃はすっかりいなくなった。ぼくが子どものころは、猫というものは愛玩動物ではなくて、ネズミ捕獲要員だった。ちなみに、犬も番犬だった。夜寝ていると、天上裏でネズミが「運動会」をよくしていた。都会といっても、まだまだ「自然」とともに生きていたわけだ。

 まあ、そういうわけで、お国は、ずるずると新吉の家に入り浸り、まるで女房気取りになっていくわけであるが、それを追い出そうともしない新吉は、いったいどういう了見なのだろう、という疑問が湧いてくる。


 新吉は何だかむず痒いような気がした。どこか気味悪いようにも思った。
「そんなにキチキチされちゃかえって困るな。」と顔を顰(しか)めて言う。「商売が商売だから、どうせそう綺麗事に行きゃしない。」
「でも心持が悪いじゃありませんか。」と、お国は遠慮して手を着けなかったお作の針函(はりばこ)や行李(こうり)や、ほどきものなどを始末しながら、古い足袋、腰巻きなどを引っ張り出していた。「何だか埃々(ごみごみ)してるじゃありませんか、お正月が来るってのに、これじゃしようがないわ。私はまた、自分の損得にかかわらず、見るとうっちゃっておけないという性分だから……。もういつからかここが気にかかってしようがなかったの。」といろいろな雑物(ぞうもの)を一束にしてキチンと行李にしまい込んだ。
 新吉は苦い顔をして引っ込む。


 ここを読むかぎり、新吉には別に下心があるわけではなさそうだ。そればかりか、お国がこうして家に入り浸り、細々とした世話を焼いてくれることに一種の不快感を感じているのだ。

 どうせゴチャゴチャした商売なんだから、そんなにキレイに磨き立てなくたっていいと言うのだが、お国にはそんな言葉には頓着せずに、お作の針函や行李にまで手を突っ込んで、お作の足袋やら腰巻まで引っ張り出す始末。どうも「下心」はお国のほうにありそうだ。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする