木洩れ日抄 55 劇団キンダースペース「生き地獄から戻った私!」「運命の奇跡」を観る
2019.3.19
私達は2013年より、平和祈念展示資料館(総務省委託 新宿住友ビル33階)にて、同館に所蔵されている「平和の礎」から一般の戦争体験者の手記を拾い上げ、ひとり芝居として上演を続けています。
今回は、満蒙開拓移民団の花嫁募集で満州(現・中国東北部)に渡った女性の、ソ連軍侵攻によって始まる命がけの逃避行の物語「生き地獄から戻った私!」と、過酷な状況下にあっても、人間としての誇りや信念を捨てず、強く正しく生き抜いた元兵士のシベリア抑留生活の記録「運命の奇跡」を、瀬田ひろ美・森下高志がひとり芝居として上演致します。
戦争体験者の生の言葉を聞く機会が減ってきた今こそ、手記として文字になっているものを役者の肉体を通して体現し、戦争の状況を知ってもらう機会にしたいと望んでいます。
これは、今回の舞台上演の最初に、瀬田ひろ美が語ったことである。ここで瀬田が言うように、キンダースペースは、6年にわたって、平和祈念展示資料館で、「ひとり芝居」を上演し続けてきた。瀬田に続いて森下も演じるようになり、昨年は、小林もと果も加わり、キンダースペースの大事な「仕事」となっている。
資料館での上演は、狭い部屋に作った仮設の狭い舞台、わずかな照明効果、十分の効果の望めない音響、といった悪条件だが、それでも、演技が始まってしまえば、戦時下に生きた人々のおかれた状況や、かれらの心情が切々と伝わるいい舞台で、そこに集まった人々に深い感銘を与えてきたのだった。
それが、今回、初めてキンダースペースのアトリエでの上演となった。資料館では、瀬田、森下、小林の誰か1人が演じてきたわけだが、今回は二本つづけての上演。しかも資料館での上演と同じく無料公演だ。太っ腹である。というよりは、この芝居にかける彼らの熱意の現れである。
アトリエ公演ともなれば、照明、音響、そして、俳優の言葉の響きなど、何もかも違う。俳優の細かい表情がくっきりと見える。かすかな息の音もきちんと聞こえる。音響も効果絶大だ。
そして何よりも痛切に感じたのは、瀬田、森下の演技の成熟だ。何度も何度も上演を重ねているうちに、苗村さん、若月さんの命が彼らに吹き込まれ、彼らの「体験」が、俳優の「体験」となった。
瀬田の演じた「生き地獄から戻った私!」の壮絶なシーンの数々が、まるで映画を見るように舞台に広がる。これは、「ひとり芝居」だからこそできることではなかろうか。「ひとり芝居」(モノドラマ)は、言葉と俳優の肉体が、ぼくらの想像力を限りなく刺激して、そこに見事な「映像」を現出させるのだ。
3人の我が子を次々と失っていく母の嘆きと悲しみが瀬田の繊細な演技で胸に迫った。ここでは、真っ白に塗られた3脚の椅子が、舞台に次々と「背を向けて」並べられていく象徴的な演出も見事だった。
森下の演じた『運命の奇跡』も、森下の完璧なまでの演技で、舞台はまさに極寒のシベリアの捕虜収容所と化した。そして、そこに苦しみながらも生きる希望を捨てずに工夫の限りを尽くして生きた若月さんの姿をまざまざと蘇らせた。
ぼくの父もまたシベリア抑留者であり、若月さんより一つ年上ということもあり、若月さんはどうしても父に重なる。そして、父が語らなかったことの大きさに改めて打ちひしがれた。ぼくは父の苦しみを忘れたことはないが、その苦しみを「体験」したわけではない。けれども、俳優の演技を通じて、今「体験」することができる。それは、決して楽しいことではないが、ぼくの人生のあり方をいつも根底から問い直させるきっかけとなっているのである。
父は平成になる直前に亡くなったが、その後を生きた方々も、だんだんと数を減らしている。瀬田の「戦争体験者の生の言葉を聞く機会が減ってきた今こそ、手記として文字になっているものを役者の肉体を通して体現し、戦争の状況を知ってもらう機会にしたい」という言葉は重い。その志は尊い。だからこそ、この戦争体験手記の上演は、キンダースペースの大事な「仕事」なのだ。
この貴重で上質な芝居が、もっともっと広く世に知られ、多くの人々に見てもらえる日のくることを心から願っている。