栴檀香風
吹く風に花橘や匂ふらん昔おぼゆるけふの風かな
半紙
【題出典】『法華経』
【題意】 栴檀香風 (栴檀の香風)
栴檀の香ばしい風。
【歌の通釈】
吹く風に橘の花(栴檀)が香っているのだろうか。昔(日月灯明仏が法華経を説いた昔)が思い出される今日の庭(霊鷲山)だよ。
【考】
『法華経』序品において、文殊は日月灯明仏の瑞相を思い出す。これを橘の香りにより昔の人を思い出すといった『古今集』の一首の心と重ねて詠んだもの。実際に文殊は、直接に栴檀の香りによって思い出した訳ではないが、そこにも古今集と同様の心があったのだろうと思いやった。経典の場面を古歌の心によりとらえようとする意図が見られる。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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「日月灯明仏」=「仏語。過去世にあって、釈迦以前に法華経を説いた仏の名。法華経によると、同名の仏二万が相継いでこの経を説いたという。」(日本国語大辞典)
「古今集」の歌とは、いうまでもなく、「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」のこと。橘の花の香りをかぐと、昔なじんだ恋人が袖に焚きしめていたお香の香りを思い出すよ、という意味の歌。
「瑞相」とは、「吉兆」「めでたい兆し」のこと。栴檀の香りはその「瑞相」です。その香りの中でありがたい法華経が説かれるからです。
古今集の歌は、橘の花の香りを嗅いで、昔の恋人を思い出すという恋の歌ですが、この寂然の歌では、恋の歌から信仰の歌へと深まっています。人生とはどういうものか、どう生きればいいのかという教えは、人間にとって、恋以上に心躍らせるものでしょう。
ぼくも、中学生のころの、聖書との出会いを思い出します。