身雖遠離心不遠離
身のためと思ひて入らぬ道なれば心は人をそむきやはする
半紙
【題出典】『摩訶止観』七・下
【題意】 身は遠離すといえども、心は遠離せざるなり。
身は遠く離れるが、心は離れない。
【歌の通釈】
自分の身のためと思って入った道ではないので、心は他者を背いているわけではない。
【考】
菩薩は他者と別れ一人山林で修業しようとも、それは最終的には自分のためではなく衆生を救う目的のためである。身は別れるけれども「心は人」を忘れないという発想は、「すぎたるは心も人も忘れじな衣のせきを立ちかへるまで」(為仲集・122)を参考にしているだろう。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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キリスト教でも、修道院にこもって、ひたすら祈りの日々を送るという修道会もあります。一見、自分の救いだけを求めた自己中心的な行為に見られますが、そこでも、心は人を離れていないわけでしょう。
「人のため」と「自分のため」は、そう簡単に分離できるものではないのです。自分のためにやっていたことが、人のためになったり、人のためにやっていたことが、結局は自分のためになっていたり、というように。