日本近代文学の森へ (219) 志賀直哉『暗夜行路』 106 「主人公」の意味 「後篇第三 十」その2
2022.6.14
前回、「主人公」という言葉をめぐって、ぼくが、突然出てきたこの言葉に面食らって、「『暗夜行路』は、私小説的でありながら、どこか『主人公』たる謙作を、突き放して眺めている風情があると言えるだろう。」などと書いたものだから、毎回この連載を読んでくれている友人二人から反応があった。そのうちの一人Hは、FBのコメントで、「やっぱりこの『主人公』というのは違和感があるから、ひょっとして志賀直哉の書き間違いじゃないか?」という意見をくれた。しかし、書き間違いというのは、やっぱり考えられないから、まあ、とにかく、謙作の「客観化」なのだろうと、ひとまずは決着をみたのだった。
それから間もなく、FBをやっていないもう一人の友人Kから、次のようなメールが届いた。全文を引用しておく。
ふつうに読んで、ということなら、主人公の「公」は「乃公」の「公」で、ちょっと、おどけて威張って、「ご主人さま」「お雇い主さま」(たるオレは滑稽だ)ということだろうけど、そうか、「この」小説の作り手の顔が、意識しないで出た、と考えるのも、おもしろい、とおもいました。あとに出す「雇うた人」「雇われた人」がクドくないようにするにも、その無意識のあらわれと考えておいたほうがいいかも、とおもった。(まあ、ふつうの読み方も併せて提示しておいたほうが、穏やかな感じもするんだけどね。)
「乃公」というのが、そもそも分からなかった。読み方すら分からない。調べてみたら、おどろくべきことが分かった。
「乃公(だいこう・ないこう)──一人称の人代名詞。男性が、目下の人に対して、または尊大に、自分をさしていう語。我が輩。」(デジタル大辞泉)
また、日本国語大辞典では、「(汝の君主の意から)男子の自称。目上の男子が目下の者に向かって、あるいはみずからを尊大にいう。我が輩。」とある。
このことを知っていれば、「主人公」が「おどけて威張って、『ご主人さま』『お雇い主さま』(たるオレは滑稽だ)ということだろう」というKの言葉の意味も分かるわけだ。
しかし、これ、知らなかった。
で、このメールを友人Hに転送したら、「そうかあ、熊公、とかいうやつかあ。」と返事がきた。これもまた考えの及ばないことだった。試しに、「接尾語」としての「公」を調べると、はたして「 人名の略称などに付いて、親愛の情、または軽い軽蔑の意を表す。『熊―』『八―』」(デジタル大辞泉)とある。
これで、「主人公」は「ご主人さま(たるオレ)」の意味であることは盤石だろう。ただ、ひょっとしたら、Kのいうとおり、ぼくの「解釈」も、ちょっとは「おもしろい」のかもしれない。
しかし、それにしても、である。Kにとっては「ふつう」に読むとこうなる、という読み方が、ぼくにはまったく出来ていなかったというのは、ショックである。Kは、メールの最後に、「まあ、ふつうの読み方も併せて提示しておいたほうが、穏やかな感じもするんだけどね。」と括弧付きで、穏やかに諭してくれているわけだが、「普通の読み方」が出来てなかったんだから、「提示しておく」もなにもありゃしない。
実は、こういう「ショック」は、なにも今に始まったことではないのだ。大学生のころだったか、ぼくが書いた文章の感想をこの同じ友人Kが手紙をくれたのだが、その中に「伎癢を感じた」と書いてあったので、褒められているのか、けなされているのかさっぱり分からず、辞書を引いて、あ、ひょっとして褒められたのかも! って思ったことがあるほどで、どだい、ぼくなどとは教養のレベルが違うのである。もう一方のHのほうも、高校生のころ、通学途中のバスの中で、突然、おれは最近「パンセ」を読んでる、とか言うものだから、「パンセ」の「パ」の字も知らないぼくは、素っ頓狂な声で、なんだ? それ? と聞いたら、なんでもパスカルの本だというようなことだったので、慌てて読んだという記憶がある。
かように優れた友人たちが、いまだにこの愚かなぼくを見捨てずに付き合ってくれていて、おまけに、ちっとも先へ進まない「暗夜行路」の感想文を丹念に読んでくれて、感想までくれるということは、ありえないほどありがたいことである。
まあ、そうしたわけで、「主人公」という「言葉」をめぐって、「プチ同窓会」みたいなことができたこと自体喜ばしいことだ。
さて、本題に戻らねばならない。
「目刺し女」とKが名づけたお仙に対する気持ちが変化してきた、という所までだった。その続き。
お栄からは無事に着いたという簡単な便りだけで精しい事は何もいって来なかった。彼は此所(ここ)へ家(うち)を持つまでは、家が決ったら落ちついた気持で一人寺廻りをする事を大きい一つの楽みとして考えていたのだが、さて実際落ちついて見ると、何故かかえってそれが出来なくなった。妙に億劫になった。そして出掛けるとすれば大概新京極のようなごたごたした場所を歩き廻り、疲れ切って帰って来る、そういう方が多くなった。会う友達もなく、時には自分ながら法のつかないような淋しい気持になる日もあったが、それにしろ、それは大森の日のような、または尾の道の日のような、それほどの参り方をする事は近頃全くなくなった。まとまった物ではなかったが、書く方も少しずつは出来ていた。
「法のつかない」は「のりのつかない」と読むのだろうか。そう読んで、「よりどころがない」の意味だろうか。
気になるお栄は、「簡単な便り」だけ。
引っ越しのゴタゴタや、お栄の出発や、いろいろ落ち着かない日々を経て、謙作は、そういうことがすべて落ち着いたら、お寺巡りをすることを楽しみにしていたのに、いざ、そうなってみると、お寺巡りなんかは「妙に億劫」になってしまう。かえって、ごみごみした新京極などへ行って、疲れて帰ってくるようになる。
そういうことは、ぼくにもよくあることだ。学生の頃など、ヒマになったらゆっくり本を読もうなんて思っていても、いざヒマになってしまうと、かえって落ち着いて本など読む気になれない。試験前の時間が切羽詰まったときのほうが、よっぽど読めたりしたものだ。もちろん、試験前などというときは、現実逃避でもあったのだろうが、なにか、忙しいときのほうが、精神は生き行きと躍動するものなのかもしれない。
それでも、謙作の心は、「大森」や「尾道」にいたころのような「参り方」はしなくなったという。謙作の受けたダメージ(出生の秘密)は、ながく謙作を痛めつけ苦しませてきたのだったが、ここへ来て、ようやく、回復の兆しが見えてきたということだろう。