日本近代文学の森へ 237 志賀直哉『暗夜行路』 124 見事すぎる描写 「後篇第三 十六」 その1
2023.2.10
謙作夫婦の衣笠村の生活は至極なだらかに、そして平和に、楽しく過ぎた。が、平和に楽しくという意味が時に安逸に堕ちる時に謙作は変な淋しさに襲われた。そういう時、彼は仕事をよく思った。しかし彼にはまとまった仕事は何も出来なかった。前に信行を介して話のあった雑誌社からの催促も受けていたが、それが出来なかった。
「変な淋しさ」は「安逸」からやってくる。「平和」で「楽しい」生活は、作家にとっては大敵なのだろう。田山花袋も、「東京の三十年」の中で、作家になってからの自分の生活の安定によって「書けない」状況に陥ったことを嘆いている。自然主義の作家は、家庭の不幸を肥やしに小説を書いてきたようなものだとも言えないこともないわけだ。
尾崎一雄だったか、書けないと悩んでいたら、妻が、それなら私が死にましょうか? と言ったとかいう逸話もどこかで聞いたような気がする。
相変わらず末松とはよく会って、花札をやったりしたが、あるとき、以前、直子のズルを疑ったのと同じ場面に出くわし、ああ、直子はあのとき、決してズルをしたのではなくて、見誤ったのだと納得した。しかし、そのことを、直子には言わなかった、とある。
単なる間違いだったと納得したとはいえ、やはり、謙作は直子の「ズル」に傷ついていたのである。それがけっこう尾を引いているのが、なんとなく嫌な感じがする。それだけにリアルでもある。
時は過ぎた。
二月、三月、四月、ー四月に入ると花が咲くように京都の町々全体が咲き賑わった。
祇園の夜桜、嵯峨の桜、その次に御室の八重桜が咲いた。そして、やがて都踊、島原の道中、壬生狂言の興行、そういう年中行事も一卜通り済み、祇園に繋ぎ団子の赤い提灯が見られなくなると、京都も、もう五月である。東山の新緑が花よりも美しく、赤味の差した楠の若葉がもくりもくり八坂の塔や清水の塔の後ろに浮き上がって眺められる頃になると、さすがに京都の町々も遊び疲れた後の落ちっきを見せて来る。
実際謙作たちも、もう遊び疲れていた。そして、謙作はその頃になって直子が妊娠した事を知った。
相変わらず見事な筆の運びだ。
京都の町の季節の推移が、年中行事によって綴られ、そのあとに、自然描写がくる。とりわけ、「東山の新緑が花よりも美しく、赤味の差した楠の若葉がもくりもくり八坂の塔や清水の塔の後ろに浮き上がって眺められる頃」という表現は、いかに志賀直哉が自然をよく観察し、また愛していたかが伝わってくる。
「赤味の差した楠の若葉がもくりもくり」は、楠をちゃんと見てないと書けないところだ。そうした「自然の充実」は、「直子の妊娠」を自然に導きだしてくる。それと同時に、年中行事、自然の推移の中で、謙作と直子の夫婦生活も、若々しくなされていたことにも気づかされるのである。まあ、「気づく」というのも、変だが。
というのも、前回の最後に、芸者のところから夜遅く帰ってきた謙作を迎えた直子が「亢奮」していたという場面で、ぼくは、それは直子が自分の嫉妬を抑え込むための「偽装の亢奮」だったのではないかと書いたことに対して、古くからの友人が、直子が亢奮していたのは、謙作が芸者と遊んでいることを想像しているうちに、自らの性欲を抑えがたくなったがためであろう。だから、謙作が帰ってきて、その欲望を開放することができたはずだ、とメールしてきたからだ。
彼は、ぼくの「解釈」を「論理的」だといちおう褒めてくれたけれど、やっぱり、「書かれていない」部分がどうだったかは、彼のほうが「正しい」ような気がしていたのだ。その「正しさ」は、この直子の妊娠の描き方から考えてみても、やっぱり証明されるのではないかと思う。「解釈」はむずかしい。しかし、おもしろい。
六月、七月、それから八月に入ると、よくいわれる如く京都の暑さはかなり厳しかった。身重の直子にはそれがこたえた。肉附のよかった頬にも何所か疲れの跡が見られ、ぼんやりと淋しい顔をしている事などがよくあった。丁度国から直子の年寄った伯母が出て来て、それからは謙作もいくらか気持に肩ぬけが出来た。伯母は大柄な、そして顔に太い皺のあるちょっと恐しい感じのする人だった。が、如何にも気持の明かるい、それに初めて来た家のようになく総てを自由に振舞い、謙作に対しても、それを包むような子供扱いをする所が、実の伯母であるかのような親しい感じを謙作にも起こさせた。
余りの暑さに謙作は避暑を想い、この気のいい年寄りと三人で何所(どこ)か涼しい山の温泉宿に二、三週間を過ごす事を考えると、子供から全くそういう経験がなかっただけに、彼にはそれが胸の踊るほどに楽しく想像された。
彼は直ぐこの思いつきを二人に話さないではいられなかった。
「どうですやろう」伯母は何の遠慮もなくいった。「今汽車に乗せたら障(さわ)らんかな」
「まだ大丈夫でしょう」謙作は答えた。
「いいや。そら、この位の暑さは別に障るまいが、それより動かさんがいいやろう。お湯でお腹の児が育ち過ぎても困るしな」
折角の思いつきもこの反対でそれっきりになった。直子の淋しくぼんやりしているような事も少なくなった。月見、花見、猪鹿蝶、そういう旧いやり方の花合せなどをして遊ぶ事もあった。伯母は一卜月ほどいて帰って行った。
以前、女中の「仙」の描き方が素晴らしいと書いたことがあるが、この「伯母」の描き方もまたいい。たった128文字で(数えてみた)、一人の人間の外貌と内面をくっきりと描き出す。名人芸のクロッキーだ。
「大柄な、そして顔に太い皺のあるちょっと恐しい感じのする人」は、まるで、「となりのトトロ」に出てくるバアサンみたいだが、外貌はそれで十分に伝わる。その内面は、「気持ちの明かるい」は平凡だが、「初めて来た家のようになく総てを自由に振舞い、謙作に対しても、それを包むような子供扱いをする」という叙述で、まるで身近なオバサンのように、謙作でなくとも親しみを感じるだろう。
妊娠中の直子の「ぼんやりと淋しい顔」も印象的だし、温泉に行くことを子どものように胸弾ませる謙作の気持ちも面白い。そして何よりも、その温泉行きを、伯母さんに即座に否定されて、一言の抗弁もできない謙作のがっかり感がよく伝わってくる。そして、さっさと伯母さんを退場させる手際も水際立っている。
九月に入ると、直子も段々元気になり、謙作がおそく二階の書斎から降りて来ると、電燈の下に大きな腹をした直子が夜なべ仕事に赤児の着物を縫っている事などがあった。
「可愛いでしょ」
一尺差しの真中を糸で釣った仮の衣紋竹(えもんだけ)に赤い綿入の《おでんち》を懸け、子供の立った高さに箪笥(たんす)の環(かん)から下げてある。
「うむ、可愛い」
謙作は其所(そこ)にそういう新しい存在を想像し、不思議な気がした。それは不思議な喜びだった。肩上げにくびられ、尻の辺りが丸くふくれている所が後向きに立った肉附きのいい子供をそのままに想わせた。
「あなたは本統は何方(どっち)がいいんだ? 男がいいか、女がいいか」自分でもそんな事を思いながら謙作は訊いてみた。
「そうね。何方でも生れた方がいいのよ。どうも、こればかりは神ごとで仕方がないのよ」直子は貫(と)おした糸を髪でしごきながら済まして答えた。
「伯母さんがそういったんだろう」謙作は笑った。それに違いなかった。
赤児の着物は国の母親の縫った物が何枚も届いた。伯母からも洗(あらい)ざらした単衣(ひとえ)で作った襁褓(むつき)が沢山に来た。
「まあ、きたならしい物ばっかり」その小包を解いた直子は予期の違った事から顔を赤くしながらいった。「羞(はず)かしいわ。こんなもの……」
「勿体(もったい)ない事おいやす。こういうものは何枚あったかて足りるものやおへんぜ。きたならしいいうて、そない洗晒(あらいざら)したんでないと、ややはんには荒うてあきまへんのどっせ」
「これはあなたが着てたんだろう?」謙作にはこういう荒い中形を着ていた時代の直子が可愛らしく想い浮んだ。
「そうよ。だから羞かしいのよ。いくら田舎でもこんなになるまで着てたかと思うと。伯母さんも本統に気が利かない」
直子がそう腹立たしそうにいうと、仙が傍(そば)から、
「奥さん。御隠居はんなりゃこそどっせ……」と多少厭やがらせの調子にいって笑った。
(注 おでんち=ちゃんちゃんこ)
褒めてばっかりで気が引けるが──「名作」なのだから、褒められて当然とは思うが、一方では「暗夜行路」なんてくだらない小説だとする識者も意外に多いので、褒めることをためらいたくない──それにしても、こういった「リアル」なシーンを、志賀はどうして書けるのだろう。こういうことを、頭の中だけで考えて書けるとはとうてい思えない。
衣紋竹にかけた「おでんち=ちゃんちゃんこ」を見て、そこに生まれてくる子どもの肉体を想像して「不思議な気がした」というあたりも、実感があって、きっと志賀がどこかでそういう実感を持ったのだろうと思わせる。
古着で作ったオムツを田舎から大量に送られてきたのを見て、直子が恥ずかしがるあたりも、フィクションではとうてい書けそうもないことで、実に細やかな実感がある。
そしてまた「仙」である。この仙の言葉によって、直子や伯母さんの輪郭がくっきりするような印象がある。見事としかいいようがない。