イスラエルは、なぜ国際社会の声を無視してパレスチナ人を狭い土地に閉じ込め、分離壁で囲って自由を奪い続けてきたのか、また、なぜ国際法上違法であると指摘されているにもかかわらず、入植活動を続けてパレスチナ人の土地や畑を奪い続けてきたのか、さらに、なぜ食糧の支援さえ制限し、学校や病院や難民キャンプの爆撃を続けるのか。
現在も続くガザ攻撃が、ハマスの襲撃に対する正当防衛などと言えるものでないことは、誰が見ても明らかなのに、ジェノサイドを続けるのはなぜなのか。
そうしたことを頭に置いて 「ユダヤ人迫害史 繁栄と迫害とメシア運動」黒川知文(教文館)を読むと考えさせらることがいろいろあります。
下記は、同書の「第四章 東欧とロシアにおけるユダヤ人迫害」の「第四節。革命後のユダヤ人政策」を抜萃したものですが、ソ連(ロシア)にもさまざまなユダヤ人差別や迫害があったことが分かります。
下記の記述で大事だと思うのは、10月革命を成し遂げたボリシェヴィキの指導者レーニンは、マルクス主義の考え方に基づき、労働と資本の問題、言い換えれば労働者と資本家の対立を主要な問題として、反ユダヤ主義を、革命を達成するために闘わなければならない敵の考え方であるとみなしたことです。
だから、以後、スターリン政権成立までは、ソヴェト政権による反ユダヤ政策は見られなかったのだと思います。
でも、一般民衆の反ユダヤ的感情は消え去ることなかったということです。そして、徐々に息を吹き返し、スターリン政権では、反ユダヤ主義が政策として展開されるに至るのです。
レーニンによって否定された反ユダヤ主義が、なぜ息を吹き返したのか、そこにユダヤ人の思想や行動の問題が潜んでいるのではないか、と私は思います。
抜粋文の最後にある文章がそれを暗示しているように思います。
”しかし、1967年6月のイスラエルとアラブ諸国との6日戦争後、再び、反ユダヤ宣伝が始められた。その目的は、イスラエルとシオニズムを非難するところにあった。ユダヤ教を古代からの非難すべき宗教として取り扱う反ユダヤ主義も、さまざまな印刷物に表現された。
この宣伝においては、シオニズムは帝国主義の手先として、諸国を隷属化し、搾取し社会主義を妨害するものとされている。またイスラエルは、アラブ諸国を侵略することによってそのような帝国主義を中東にもたらすものとされている。こういった内容は、特にナチスによって唱導された『シオン議定書』に類似している。”
だから、当時、「反ユダヤ主義」が受け入れられる状況があったということだろうと思います。
『シオン議定書』(『ユダヤ賢人の議定書』)は、ナチスのプロパガンダ戦力の重要な役割を担った「史上最悪の偽書」であると言われているようですが、そこに書かれていることが、すべて事実に反するものであるとすることは、やはり無理があるのではないか、と私は思うのです。
『シオン議定書』に書かれていることと、イスラエルの政治家や軍人の発言や考え方とはほとんど同じように思われるからです。
この文書は1897年、スイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上で発表された「シオン二十四人の長老」による決議文であるという体裁をとっているといわれていますが、この文書では、”選民(神が認めた唯一の人間)であるユダヤ人が、非ユダヤ人(動物)を世界を支配して、すべての民をモーセの宗旨、つまりユダヤ教の前に平伏させるというシオニズムとタルムード経典の実現化の内容を持つ”といいます。
、具体的には、下記のように書かれているというのです。
”タルムードを根源としてサンヘドリンにより製作されたタルムードには、(バビロン版)「ユダヤ人は、神の選んだ唯一の人間であり、非ユダヤ人(異邦人)は、獣(動物)であり、人間の形をした動物(家畜)であるので、人間(ユダヤ人)が動物(家畜)を群れとして支配しなければならない(ゾハールの2-64のB節)”
そして、下記に取り上げられたイスラエルの政治家や軍人の発言が、その考え方から発せられているように思われるのです。
「アニマルライツ 環境・人権・食糧・平和問題」”敵を動物に例える非人間化はジェノサイドの予兆:動物への差別をなくそう”に掲載されている関係者の諸発言は、そのことを示しているのではないかと思います。
2https://arcj.org/issues/other/environment/dehumanization-comparing-enemies-to-animals-is-a-sign-of-genocide/
”10月9日、イスラエル国防大臣が「We are fighting human animals(わたしたちは人間動物と戦っている)」と述べたと報じられた。
10月12日、イスラエル首相は「わたしたちは野生動物を見た。私たちが直面しているのは野蛮人だ。」と述べたことを報じられた。
10月12日、駐ベルリンのイスラエル大使ロン・プロソール氏が「血に飢えた動物」と戦うイスラエル」と表現したと報じられた。
10月16日、パキスタン首相は「わたしたちは動物ではない」と動画でイスラエル大統領に訴える動画が報じられた。
少し飛び火した議論では、パレスチナへの連帯を示したコメントに対し、10月8日、心理学者ジョーダン・バーント・ピーターソン博士が「You Murderous Anti-Semitic Rats」と表現し批判を受けていることが報じられた。
動物を苦しめ、差別し、殺してもいいのだとする人間の先入観が、人間への暴力を助長しています。敵とみなした人々を人間以外の動物に例える非人間化と言われるプロセスは、ジェノサイドの前兆であることがわかっています。動物は野蛮なもの、とるに足らないもの、自分を攻撃してくるもの、そんな言い訳が戦争や虐殺時には横行します。これらの表現を批判する報道もまた、あくまでも人間だけ特別なのだという言い回しから外れ、動物も殺してはいけないのだと表現することは決してありません。むしろ、動物だと表現するなんて酷いという論調が続きます。
一方で、この人間だけのサークルから抜け出し、人も、動物も隔たりなく守る人々がおり、その人達の多くは人間の行う蛮行を横目に、死と隣合わせでありながら動物(ロバ、コウモリ、犬など)をすくい続けます。動物保護団体たちです。ただし、ガザ内にも畜産動物が210万頭いたとされていますし、NAMA動物園にはまだ8頭のライオン、ワニ、ハイエナ、キツネ、シカ、サル、ヤギがいたはずとされていますが、ガザ側の情報は少なく、現状どうなっているかがわかりません。しかし、檻に囚われた状態で、水も電気も遮断されているこれらの動物たちが、人間よりも遥かに苦しんでいることは間違いないでしょう。”
イスラエルの政治家や軍人による同種の主張が、他のメディアでもくり返し報道されました。だから、『シオン議定書』(『ユダヤ賢人の議定書』)が、「史上最悪の偽書」だというのは、反ユダヤ主義を潰すための極論のように思うのです。
下の、Brics news の動画で、ネタニヤフ首相は、
"we are the Eternal People. A people that fights to bring light to this world... and eradicate evil."
「我々は永遠の民である。この世界に光をもたらし、悪を根絶するために戦う民である」
と語っています。
私は、選民意識が潜んでいるように思います。
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第四章。東欧とロシアにおけるユダヤ人迫害
第四節。革命後のユダヤ人政策
革命により帝政期の反ユダヤ法が廃止された。定住地域も廃止され、ユダヤ人はしだいに都市に集中するようになった。差別もなくなったが、しだいに反ユダヤ政策が登場するようになる。
1 10月革命後
10月革命において、反ユダヤ主義は反革命軍によって利用された。これに対して、レーニンは反ユダヤ主義を社会的政治的悪だけでなく、革命を達成するために闘わなければならない敵とみなしていた。1918年7月の『イズヴェスチヤ』紙には、ポグロム参加者を革命の敵とみなすソヴェト政権の決定事項が見られる。以後、スターリン独裁までは、ソヴェト政権による反ユダヤ政策は見られない。民衆の中にあって反ユダヤ的感情は、たとえば1920年代のネップ期に工場労働者としての職を得たり、南ロシアやクリミアで土地を所有するようになった多くのユダヤ人に対していくらかみらる。
1930年代の粛清期に、ソヴェト政権は反ユダヤ主義を非難する表現を取らなくなる。この時期にはユダヤ人による協会の会談が推し進められた。しかしそれらはあくまでもスターリン独裁が目的であった。そのことは、党の中間部と上層部秘密警察にもなおもかなりのユダヤ人が活動していたことからも明らかである。
1939年以後、独ソ不可侵条約締結後、ソ連の新聞は、ナチスの反ユダヤ主義、ポーランド侵入後のユダヤ人虐殺などについては報道しなかった。1941年6月のドイツのソ連に侵入後、報道するようになるが、曖昧であった。
大戦後も、ドイツ軍によるユダヤ人虐殺を強調する者に対しては、エフトシェンコの例が示すように、政府は強く非難した。
2 暗黒期(1948~53年)
大戦後のスターリン体制最後の数年間は、ユダヤ人にとって暗黒期であった。この時期に生じた反ユダヤ的事件は以下の通りである。
〇 秘密警察によるS・ミカエルの暗殺。ミカエルはユダヤ国立劇場の演出家ならびにユダヤ反ファシスト委員会の議長を勤めていた。
〇 1930年代および大戦中に設立されたすべてのユダヤ人文化協会・団体の廃止。
〇 1949年からのソヴェト新聞・雑誌による公然とした反ユダヤ宣言。特にユダヤ人の世界市民的な面が攻撃された。すなわち「母国を持たない根なし草」、反逆分子、など。西側陣営に対する教育の要素が強い。
〇 ユダヤ反ファシスト委員会の廃止。ユダヤ人作家、芸術家などが逮捕もしくは殺された。
〇 クリミア事件。スランスキー裁判。いずれもユダヤ人が罰せられた。「ドレヒュス事件」に匹敵する。
〇 ユダヤ人医師陰謀事件。スターリンの権力闘争に利用された事件。事件後、数千のユダヤ人が職を追われた。
〇 ユダヤ人とイスラエル、アメリカとをソ連の共通の敵とする大衆宣伝開始。
以上のように、反ユダヤ主義は、第一にスターリン独裁の主要な道具として、第二に、冷戦期における対西側政策の一環として利用された。ユダヤ人は革命期のみならず、この期においても再び「犠牲の羊」とされた。1949年にG・メイヤが大使としてモスクワに来た時、ユダヤ人がモスクワ大シナゴーグに溢れるほど集まった背景にはこのような彼らの苦難があったといえる。
3 フルシチョフ期
1956年2月、第2回党大会において、フルシチョフはいわゆるスターリン批判を開始する。しかし、この際、スターリンの行った反ユダヤ政策については全く触れなかった。
フルシチョフの反ユダヤ政策は、スターリンほど強いものではない。だが、ユダヤ人を「経済的犯罪者」(資本家)として描き、スターリン同様の大衆宣伝を行った。この宣伝は、1961年から64年まで、保安警察によって行われた。
この時期には、シオニズムとイスラエル共和国と告白するだけでなく、ユダヤ教そのものも、歴史的にも文化的にも有害な宗教として告白する本、パンフレットも現われた。これらの印刷物には、しばしば露骨な反ユダヤ的漫画が描かれていた。
この時期の民衆による反ユダヤ運動としては、以下のものをあげることができる。
〇 シナゴーグ放火、ユダヤ墓地の管理人の殺害──モスクワに近いマラホフカにおいて。
〇 反ユダヤ的ポスターの配布。1959年、ユダヤ暦の新年
〇 シナゴーグ放火──1962年、グルジアとツハカヤ。
〇 反ユダヤ的暴動と血の中傷事件──1962年、タシケントとツハルツボ。
〇 血の中傷事件、1963年、ヴィリナ。
〇 共産党指導による血の中傷事件その他の反ユダヤ的印刷物──1961年、8月9日、ブイナクスクとダゲスタンの地方紙において、数日後に謝罪文掲載。
ソ連国内の知識階級は、このような風潮に対して批判的ではあったが、それほど強く反対するものではなかった。それはナチスのホロコーストと帝政期の反ユダヤ主義を攻撃したエフトシェンコの『バービヤ-ル』が1961年に『文学新聞』に掲載された時、即座に厳しい批判が体制側の文学批評家からなされたことからも明らかである。
この時期にはまた、ユダヤ人に対する種々の差別政策が実施されていった。列挙すると以下のようになる。
〇 外務機関からのユダヤ人締め出し
〇 軍の指導者層からのユダヤ人締め出し。
〇 政府と地方などの指導者クラスからのユダヤ人締め出し。
〇 主要都市の教育機関へのユダヤ人入学制限。
これらの差別政策は、すでにみてきた帝政期におけるユダヤ人政策と共通するものが少なくない。フルシチョフのこのようなユダヤ人政策は、西側に対する国内のイデオロギーの統一を意図していたが、同時1948年に成立したイスラエル共和国との関係がしだいに悪化したことの影響とも考えられる。この時期には、こういった政策面だけでなく、国内に反ユダヤ運動が展開したことも忘れてはならない。民衆の次元においても、帝政期のポグロムに代表される反ユダヤの伝統は、継続していたと考えられる。
4 コスイギン=ブレジネフ期
フルシチョフからコスイギン=ブレジネフ体制になり、ユダヤ人の状況はいくらか改善された。
ユダヤ教批判の一環をなしたシナゴーグに対する攻撃、マツォット(ユダヤ人専用の種なしパン)の販売制限も次第に緩和されるようになった。ユダヤ人はナチス・ドイツによるホロコーストの犠牲者だとする表現も、さらに、反ユダヤ主義を社会悪の一つとして告白する内容も、コスイギンの声明の中にみられた。同じ内容は、1965年の主要な新聞にもみることができる。
しかし、1967年6月のイスラエルとアラブ諸国との6日戦争後、再び、反ユダヤ宣伝が始められた。その目的は、イスラエルとシオニズムを非難するところにあった。ユダヤ教を古代からの非難すべき宗教として取り扱う反ユダヤ主義も、さまざまな印刷物に表現された。
この宣伝においては、シオニズムは帝国主義の手先として、諸国を隷属化し、搾取し社会主義を妨害するものとされている。またイスラエルは、アラブ諸国を侵略することによってそのような帝国主義を中東にもたらすものとされている。こういった内容は、特にナチスによって唱導された『シオン議定書』に類似している。
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