2023年8月24日、日本経済新聞社は、クライナのゼレンスキー大統領が、ロシアが併合した南部クリミア半島の奪還の決意を改めて強調し、他の占領地と同様、”クリミアは占領から脱する”と演説したことを伝えました。また、ゼレンスキー大統領は”領土では交渉しない”とも語ったと伝えています。
でも、この「クリミア半島の奪還」発言には、いろいろ問題があると思います。
先ず、クリミア半島の奪還が、ロシアの降伏なしに可能なのかという問題があります。たとえ欧米が支援を続けても、ロシアが負けることはないと言う関係者の根拠を示した主張があります。降伏しないということです。だから、ゼレンスキー大統領が、かつての日本のように、最後の一兵まで戦うという「玉砕戦」を覚悟しているように思えます。それがウクライナの総意であるとは思えません。もしかしたら、それはアメリカの戦略で、もはや拒否できなくなっているのかも知れませんが、著しい人命軽視だと思います。
また、たとえクリミアを奪還しても、ウクライナに平和は訪れないと思います。
それは、朝日新聞の「ウクライナ動乱」(松里公孝著)の書評で 前田健太郎氏が、下記のように紹介していることでもわかります。
”重工業地帯の東部を拠点とする勢力は中央政府が東部を搾取していると対立を煽り、逆に2004年のオレンジ革命では西部のウクライナ民族主義が台頭した。・・・
しかし、14年のユーロマイダン革命が転換点となる。革命が急進化してウクライナ民族主義が高揚すると、反対派への暴力が広がり、南東各州では緊張が高まった。南部クリミアはロシアの併合を受け入れ、東部ドンバスではロシアが分離主義者を支援して戦争になる。当初は懐疑的であった東部住民も、政府の無差別攻撃を受けて敵愾心を抱くようになっている。
この分析に従えば、単にウクライナが勝つだけではこの地に平和は訪れない。重要なのは、ユーロマイダン革命以後の民族主義的な動きを抑制し、多様な市民が共存できる国を作ることだ、と著者は言う。”
私は、この指摘は重要だと思います。ウクライナは、西部地域と南東部地域にそれぞれ違った歴史があり、民族的にも、また政治的立場も異なるからです。”ロシアの併合”を受け入れたクリミア半島に住む多くの人々や、ウクライナの東部ドンバス地域の人々の多くの人々は、ウクライナに戻りたいとは考えていないと思います。
ドンバスはもともとオスマン帝国の領土だったということですが、18世紀後半、ロシア帝国が併合した時のエカテリーナ二世がポチョムキンにこの地域の開発を進めさせたと言われています。また、スターリンもこの地域の工業の発展に力を入れたということです。
当初はウクライナのほかの地域から農民を集めて開発を進めたようですが、産業革命が進むと、石炭の宝庫であるウクライナ東部ドンバス地域は飛躍的に発展したということです。その際、石炭産業やそれに付随して盛んになった製鉄業で働いたのはウクライナ人ではなく、ロシアからの出稼ぎ労働者が中心だったようです。彼らはそのままドンバス地域に定住し、その子孫がウクライナのロシア系住民となったというわけです。(参照「民族でわかる世界史」宇山卓栄監修:宝島社)
そうしたロシア系住民は、もともとロシア革命を進めた労働者、すなわちプロレタリアートであったことを忘れてはならないと思います。
一方、ウクライナ西部地域を中心とする地主や土地を所有する農民には、強い反ソ感情があるといいます。ソ連の工業化を目指したスターリンは、外貨を得るため、農民が食べる分の小麦まで輸出したので、「飢餓輸出」と非難されたようですが、それだけでなく、ソビエト連邦の農業集団化政策の一環で、ウクライナに多かった地主(クラーク)を冷遇し、クラーク撲滅運動を展開して、抵抗する地主を処刑したり、強制収容所に送ったりしたからです。
強い反ソ感情を持つ人々のなかには、1941年ソ連に侵攻したドイツ軍に協力した人たちも少なくないということです。ナチスと手を結んだ人たちがいるのです。
また、長くは維持できなかったようですが、ウクライナが20世紀初頭、ロシア革命の混乱に乗じて独立したことも見逃すことができません。
そういう意味で、ウクライナは西部地域と南東部地域では、民族も歴史も政治的立場もかなり異なり、ウクライナ南東部の人の多くは、ゼレンスキー大統領がいうようなウクライナ復帰やNATO加盟など望んでいないことを無視してはいけないと思います。
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