真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「皇民化」政策徹底の背景・兵力確保

2009年07月19日 | 国際・政治

 民族抹殺政策ともいえる皇民化政策の徹底的な展開の背景には、やはり何としても兵力を確保しなければならない戦線の拡大があった。「内鮮融和」のスローガンが「内鮮一体」へと変わっていったのは、1937年の日中戦争の全面展開と軌を一にするという。 そして、1938年に朝鮮における志願兵制度が開始されると「皇民化」政策は切実な問題となり、もはや行政に任せておくことができなかったようである、軍当局が死活問題として「皇軍兵士」育成のために「内鮮一体」の皇民化に直接関わらざるを得なかったのである。さらに、太平洋戦争の完遂が至上命令となった時期には、朝鮮における徴兵制度の一日もはやい施行が求められ、皇民化政策の悲劇は一層深刻になっていったといえる。『朝鮮民衆と「皇民化」政策』宮田節子(未来社)からの一部抜粋である。
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           Ⅱ 志願兵制度の展開とその意義

 四 志願兵制度の意義
    ──皇民化政策の中における志願兵制度の位置──

 志願兵制度を実施してみると、そこでは意外なほど「皇民化」政策が、朝鮮人の中に浸透していない現実につきあたった。
 第1回訓練所後期訓練生採用を行った学務局長塩原時三郎は、その選考に当たっての所感を、次のように苦々しく述懐せざるを得なかっ た。志願者が「日本の国柄の万国に優れた点を問われて行き詰まったり、教育勅語中一番大切な箇所を問われて的外れな答をしたり、皇国臣民の誓詞が言えなかったりしては、寧ろ其の不用意さに驚く外はない」と。
 「半島青年同胞の亀鑑」たるべき志願者にして、この始末では他は推して知るべしである。したがって支配者にとってはむしろ「三十否二十数年前ニ三ツカ四ツノ子供デアッタノガ、ドウシテ今立派ナ日本国民ニナリ得ナカッタカトイフ点ニツイテハ考ヘナケレバナラヌモノ」があるという深刻な反省になって行くのである。

 しかし朝鮮軍当局にとっては、現在になっても朝鮮人が、「ドウシテ今日立派ナ日本国民ニナリ得ナ」いのかという問題は、より根源的で切実な問題であった。少なくとも色服着用を奨励したり創氏改名や「国語常用者」の比率を計算して、朝鮮人の「皇民化の度合」に、一喜一憂している総督府と、戦場という極限状況の中で「帝国軍人」として生死をともにしなければならない軍当局の立場は、微妙に違っていた。

 朝鮮人への徴兵制度の制定過程で、海軍側が述べたといわれる「大事な軍艦には絶対間違いのないものでなければのせられない。万一鮮人の過で事故が起きたら、艦もろとも全員海没である」という見解は、単に海軍のみならず、朝鮮人を「国家の支柱」たる軍隊に入れることにたいする全軍の不安と恐怖を端的に代弁していたと思う。

 しかもそれは単なる杞憂ではなかった。現に「五族共和を国本とする」「満州国」では、軍隊に朝鮮人を採用していたが、「昭和11年夏、東寧県に在りし1ヶ中隊は幹部たりし日本人の対遇(ママ)に不満を抱き、兵変を起こして蘇領内に遁走」するという事件がおこり、そのため一時「間島省内の朝鮮人軍隊の募集を中止」した事実があった。

 この事件は朝鮮軍がかねてから抱いていた「不吉な予感」を、事実をもって証明したものであり、当時の朝鮮国内における治安状況とあいまって、朝鮮軍の不安と焦燥をいかばかりつのらせたかは想像に難くない。すでに第1節で述べたように、その不安と焦燥が強まれば強まるほど、皇民化運動の中核として、朝鮮軍が登場して来る必要性が増大してきたのであり、それと比例して朝鮮人に対する皇民化政策は一層徹底化されなければならなかったし、また同時に「皇国臣民」の内実をも、軍当局が決定して行く理由があったのである。
 ・・・(以下略)
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                  Ⅲ 徴兵制度の展開

 二 徴兵制制定過程

 ・・・
 では総督府当局者さえ、何等ノ予告ナク」、「驚愕ノ念」をもって受けとられた徴兵制は、いつ、どこで、いかなる必然性をもって決定されたのであろうか。
 朝鮮における徴兵制は、太平洋戦争の開戦とほぼ軌を一にして、陸軍省軍務局軍事課を中心に具体化され、立案されたと断定してよいと思う。
 陸軍では太平洋戦争緒戦の予想以上の戦果と、それに伴う戦線の拡大という新たな事態の中で、世界最強の資本主義国と闘う予想される長期戦にそなえて、戦争遂行の最も基本的な力である「人的資源」について、深刻に再検討する必要に迫られた。

 ・・・

 以上のような兵力の「考定」にもとづいて、「服役3年次分ノ兵力ヲ以テ長期ニ亘リ保持シ得ベキ兵力ノ限度ハ、大和民族ノミヲ以テスレバ、陸海軍合シテ120万」と判断せざるを得なかった。しかもその120万すら「過重負担」であった。したがって「兵力保持ノ困難ト之ニ伴フ民族ノ払フベキ犠牲トヲ考察スルトキハ、外地民族ヲ兵力トシテ活用スルハ今ヤ議論ノ時機ニアラズ、焦眉ノ急務」として、朝鮮人に対する徴兵制の施行が具体的日程にのぼって来たのである。 

資料--------------------------------
  陸密第1147号
朝鮮ニ徴兵制施行準備ノ件
   昭和17年5月1日
内閣総理大臣        陸軍大臣 東条英機
                 拓務大臣 井野硯哉  
朝鮮ニ徴兵制施行準備ノ件 別紙ノ通定メ度理由ヲ具シ閣議ヲ請フ
朝鮮人ニ対シ徴兵制ヲ施行シ昭和19年度ヨリ之ヲ徴集シ得ル如ク準備ヲ進ムルコトト致度
             主任者 
             陸軍省軍務局軍事課
             陸軍中佐   高崎正男
 理
帝国防衛圏ノ拡大ニ伴フ軍要員ヲ取得シ併セテ最近熾烈トナレル朝鮮人ノ兵役義務負担熱ノ与望ニ応ヘ以テ朝鮮統治ノ完遂ヲ図ル為徴兵制ノ準備ニ着手スルノ要アルニ由ル。
  

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