「東の風、雨 真珠湾スパイの回想」吉川猛夫(講談社)には、著者のいやな思い出として日本側残置諜者のことも報告されている。それはドイツ人のオットー・キューンである。スパイの生々しい活動の一端を知ることができる。まるでスパイ映画そのもののようであるが、事実のようである。
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オットー・キューン
昭和16年11月の末、東京は、開戦と同時に、われわれが逮捕監禁せられて、情報源がなくなることを慮って、ひそかに、ハワイに残置諜者をのこそうとした。その間の事情は、語らないことにする。白羽の矢は、ラニカイ海岸に住む、元ドイツ海軍士官キューンであった。彼に金を持っていく段になって、喜多総領事は、はたと困惑した。この仕事は危険である。もし捕まることがあれば、一網打尽に逮捕せ られる。館員の中には、誰も引き受け手がない。喜多さんは私を呼んで、
「じつは、森村君、こういう仕事で、キューンという家へ、金を持って行くのだが、きみ一つ行ってくれないか?」
「残置諜者を、おくことなどは、 私は初耳です。この間の事情を話して下さい」
「いや、説明はきかないでくれ給え。またこの新聞紙に包んだ札束の金額も、聞かないでほしいし、また、きみも見ないでくれ給え」
「それでは、一切の事情が分かりかねます。……他人が工作したことは、私は、手をかしません。危険だからです。工作した御本人が、持っていけば宜しいでしょう」
「……」
「諜者は、ひとりひとり独立して、互いに関連して仕事をもつべきではないと、いつもおっしゃっていたのは、総領事、あなた御自身でありましょう」
「うん。だが、森村君、お互いに、お国の為の仕事なんだ。きみをおいて、他に適当な人がいないんだ。なんにも、きかないで行ってくれないか。たのむ。……」
総領事の顔は、脂汗で、テカテカ光っていた。二人は、沈黙して、机の前に立ちつづけた。
「総領事、参りましょう……」
と私は、つぶやいた。彼は立ち上がって、私の手をとった。私は、これが最後だと思った。8ヶ月の間、FBIにも感づかれないできた諜報活動も、これでおしまいだ。行手には、きっと、FBIが、手ぐすねひいて、待ちかまえているにちがいないと思ったのである。
総領事は、やおら、一片の紙片を執り出して、
「相手が、この紙片の半切れを持っているから、互いにくっつけて符合すれば、その相手は、本ものだから、うまくやってくれ」
といった。
紙片には、Kalama と書いてある。相手の持っている紙片と合わせると、Kalama となると教えられた。
ラニカイ海岸で車を降りた。私は、スポーツズボンにアロハシャツのかっこうで、左手に新聞紙の金包みを下げた。目的の家は、りっぱであった。家の周囲を一周してみたが、FBIらしい人影はない。私は、玄関からつかつかと入って「ハロー」と叫んだが、誰もでてこない。家の中はシーンとしている。誰か、かくれているな、と六感が知らせた。もはや、ひくにひかれない。意を決して、食堂らしい建物の前のポーチまで進んで、
「ちょっと、おたずねしますが……」
あたりを見廻しながら、大声をあげた。すると返事もしないで、小柄な、目のするどい男が、もさもさっと出てきた。
「今日は、ええと、ええと、このあたりにキングさんという方は、この近くに……教えてくれませんか……あの方は、ええと……あなたのお宅の…得Tんナンバーは……」
てな調子で、紙片をもてあそんだ。私は彼の目を見た。たしかに反応があった。私は、こいつに間違いない、と思って、彼の目の前にずいと、紙片をつきつけた。彼は動揺した。右のズボンのポケットから、同じような紙片を取り出して、台の上に拡げて、つぎ合わせる。Kalamaと読めた。彼の手は、ワナワナと震えていた。
「あちらで、お話し申しましょう……」
といって、広い芝生のある裏庭の片隅にある、小亭を指さした。小亭は、日本風の東屋で、腰かけがあるだけで、上半身は、外から見えるようになっていた。彼はキョロキョロ見廻しながら語った。
「あなたは、たしかな人らしい。途中の道中は、だいじょうぶであったか。なにか持ってきたか」
という。彼の英語は、ドイツなまりがあって、ききとりにくい。2、3度ききかえした。
「なにもかもだいじょうぶだ。心配するな」
といって、金包みを手渡した。彼は、無言のまま、中を調べもしないでポケットに入れた。
「さて、それで、どういうことになるんだ。君の返答は?」
と追求した。彼はオドオドして、口ごもりながら、
「この状態は、たいへん危険だ。やるとすれば……、シグナル、私の家から、自動車、サイン……規約……決定しない……、いつか日をあらためて……ええと……」といいだすので、一向要領を得ない。私は、確実な返答が欲しいのであせった。どうも、彼の英語は、苦手だった。そこで、私は、
「きみが、返事を書く間、待つから、早く書け。私は、二度もここに来るのは好まない。その方が、お互いに安全ではないか」
といったら、彼は、
「では、こうしよう。一週間、以内に、私が出ていく。日時、場所は、こちらから、他の適当な方法で知らせる」
と力強くいった。
「OK、返事を待つ」
私は、彼のあおい目をみつめていって、夕闇せまるラニカイ海岸にさまよいでた。高いユーカリの梢に、落日の光が、かがやいていたのを覚えている。
さて、それからどうなったのか当時、私は、ここまでのことしか知らなかったが、戦中戦後を通じて知ったことはこうである。
このドイツ系米国市民キューンは、早くからハワイに移住していて、表面、砂糖黍畑などを経営していた。私が使いに行って、2,3日してから、約束を守り、ハワイ付近の艦艇報告を、燈火、自動車のヘッドライトを利用して、附近に待機する日本潜水艦に、知らせようと計画したのだ。彼は、ある人から依頼され、2万ドルでこの仕事を引き受けた。金を受けとってから間もなく、彼は、ある人に規約を書いたものを手渡した。そのある人は、喜多総領事の名において東京へ暗号電報した。今、その電報を要約すると、
○1941・12・2発信
発 ホノルル総領事
宛 東京
一、八信号の意味次のとおり。
偵察及び警戒部隊を含む戦艦群
出撃準備中 ……1
空母多数出撃準備中 ……2
戦艦群1~3日に全部出港 ……3
空母1~3日に数隻出港 ……4
空母1~3日に全部出港 ……5
戦艦部隊4~6日に出港 ……6
空母数隻4~6日に出港 ……7
空母全部4~6日に出港 ……8
ラニカイ海岸に夜間、右の通り、家に燈火を点ず。
日中ラニカイ湾で、ヨットの帆に”星”のマークがあれば、信号5678を示す。
日中カラマハウスの古典的な窓に燈火があるときは、345678を示す。(以下省略)
ところが、この暗号は、12月11日、米海軍に傍受解読せられた。
かねてから、キューンの金廻りのよいことに不審をいだいていた(銀行に、7万ドル?の預金があることまで内偵せられていた。)FBIは、直ちにオットー・キューンを逮捕した。キューンは、自白した。見知らぬ男(私のこと)から、金を受けとったことまで、しゃべった。戦時中、彼は20年の刑を受けて獄舎につながれた。私はアリゾナに軟禁中、このことについてFBIの峻烈な尋問を受けた。……(以下略)
・・・
……私は、幸いにも(相手が文明国である故に)拷問に会わなかったが、拷問に会ったとしたら、人間は、どこまでたえられるだろうか。ひと思いに、死地にとびこむことはできるが、長時間の苦痛には堪え得ないのでは、ないだろうか。
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戦後、彼は妻子を田舎に帰し、平和条約が結ばれ戦犯追及が終わるまで逃亡生活を続けた。闇屋もし、出家遁世も経験したという。
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オットー・キューン
昭和16年11月の末、東京は、開戦と同時に、われわれが逮捕監禁せられて、情報源がなくなることを慮って、ひそかに、ハワイに残置諜者をのこそうとした。その間の事情は、語らないことにする。白羽の矢は、ラニカイ海岸に住む、元ドイツ海軍士官キューンであった。彼に金を持っていく段になって、喜多総領事は、はたと困惑した。この仕事は危険である。もし捕まることがあれば、一網打尽に逮捕せ られる。館員の中には、誰も引き受け手がない。喜多さんは私を呼んで、
「じつは、森村君、こういう仕事で、キューンという家へ、金を持って行くのだが、きみ一つ行ってくれないか?」
「残置諜者を、おくことなどは、 私は初耳です。この間の事情を話して下さい」
「いや、説明はきかないでくれ給え。またこの新聞紙に包んだ札束の金額も、聞かないでほしいし、また、きみも見ないでくれ給え」
「それでは、一切の事情が分かりかねます。……他人が工作したことは、私は、手をかしません。危険だからです。工作した御本人が、持っていけば宜しいでしょう」
「……」
「諜者は、ひとりひとり独立して、互いに関連して仕事をもつべきではないと、いつもおっしゃっていたのは、総領事、あなた御自身でありましょう」
「うん。だが、森村君、お互いに、お国の為の仕事なんだ。きみをおいて、他に適当な人がいないんだ。なんにも、きかないで行ってくれないか。たのむ。……」
総領事の顔は、脂汗で、テカテカ光っていた。二人は、沈黙して、机の前に立ちつづけた。
「総領事、参りましょう……」
と私は、つぶやいた。彼は立ち上がって、私の手をとった。私は、これが最後だと思った。8ヶ月の間、FBIにも感づかれないできた諜報活動も、これでおしまいだ。行手には、きっと、FBIが、手ぐすねひいて、待ちかまえているにちがいないと思ったのである。
総領事は、やおら、一片の紙片を執り出して、
「相手が、この紙片の半切れを持っているから、互いにくっつけて符合すれば、その相手は、本ものだから、うまくやってくれ」
といった。
紙片には、Kalama と書いてある。相手の持っている紙片と合わせると、Kalama となると教えられた。
ラニカイ海岸で車を降りた。私は、スポーツズボンにアロハシャツのかっこうで、左手に新聞紙の金包みを下げた。目的の家は、りっぱであった。家の周囲を一周してみたが、FBIらしい人影はない。私は、玄関からつかつかと入って「ハロー」と叫んだが、誰もでてこない。家の中はシーンとしている。誰か、かくれているな、と六感が知らせた。もはや、ひくにひかれない。意を決して、食堂らしい建物の前のポーチまで進んで、
「ちょっと、おたずねしますが……」
あたりを見廻しながら、大声をあげた。すると返事もしないで、小柄な、目のするどい男が、もさもさっと出てきた。
「今日は、ええと、ええと、このあたりにキングさんという方は、この近くに……教えてくれませんか……あの方は、ええと……あなたのお宅の…得Tんナンバーは……」
てな調子で、紙片をもてあそんだ。私は彼の目を見た。たしかに反応があった。私は、こいつに間違いない、と思って、彼の目の前にずいと、紙片をつきつけた。彼は動揺した。右のズボンのポケットから、同じような紙片を取り出して、台の上に拡げて、つぎ合わせる。Kalamaと読めた。彼の手は、ワナワナと震えていた。
「あちらで、お話し申しましょう……」
といって、広い芝生のある裏庭の片隅にある、小亭を指さした。小亭は、日本風の東屋で、腰かけがあるだけで、上半身は、外から見えるようになっていた。彼はキョロキョロ見廻しながら語った。
「あなたは、たしかな人らしい。途中の道中は、だいじょうぶであったか。なにか持ってきたか」
という。彼の英語は、ドイツなまりがあって、ききとりにくい。2、3度ききかえした。
「なにもかもだいじょうぶだ。心配するな」
といって、金包みを手渡した。彼は、無言のまま、中を調べもしないでポケットに入れた。
「さて、それで、どういうことになるんだ。君の返答は?」
と追求した。彼はオドオドして、口ごもりながら、
「この状態は、たいへん危険だ。やるとすれば……、シグナル、私の家から、自動車、サイン……規約……決定しない……、いつか日をあらためて……ええと……」といいだすので、一向要領を得ない。私は、確実な返答が欲しいのであせった。どうも、彼の英語は、苦手だった。そこで、私は、
「きみが、返事を書く間、待つから、早く書け。私は、二度もここに来るのは好まない。その方が、お互いに安全ではないか」
といったら、彼は、
「では、こうしよう。一週間、以内に、私が出ていく。日時、場所は、こちらから、他の適当な方法で知らせる」
と力強くいった。
「OK、返事を待つ」
私は、彼のあおい目をみつめていって、夕闇せまるラニカイ海岸にさまよいでた。高いユーカリの梢に、落日の光が、かがやいていたのを覚えている。
さて、それからどうなったのか当時、私は、ここまでのことしか知らなかったが、戦中戦後を通じて知ったことはこうである。
このドイツ系米国市民キューンは、早くからハワイに移住していて、表面、砂糖黍畑などを経営していた。私が使いに行って、2,3日してから、約束を守り、ハワイ付近の艦艇報告を、燈火、自動車のヘッドライトを利用して、附近に待機する日本潜水艦に、知らせようと計画したのだ。彼は、ある人から依頼され、2万ドルでこの仕事を引き受けた。金を受けとってから間もなく、彼は、ある人に規約を書いたものを手渡した。そのある人は、喜多総領事の名において東京へ暗号電報した。今、その電報を要約すると、
○1941・12・2発信
発 ホノルル総領事
宛 東京
一、八信号の意味次のとおり。
偵察及び警戒部隊を含む戦艦群
出撃準備中 ……1
空母多数出撃準備中 ……2
戦艦群1~3日に全部出港 ……3
空母1~3日に数隻出港 ……4
空母1~3日に全部出港 ……5
戦艦部隊4~6日に出港 ……6
空母数隻4~6日に出港 ……7
空母全部4~6日に出港 ……8
ラニカイ海岸に夜間、右の通り、家に燈火を点ず。
日中ラニカイ湾で、ヨットの帆に”星”のマークがあれば、信号5678を示す。
日中カラマハウスの古典的な窓に燈火があるときは、345678を示す。(以下省略)
ところが、この暗号は、12月11日、米海軍に傍受解読せられた。
かねてから、キューンの金廻りのよいことに不審をいだいていた(銀行に、7万ドル?の預金があることまで内偵せられていた。)FBIは、直ちにオットー・キューンを逮捕した。キューンは、自白した。見知らぬ男(私のこと)から、金を受けとったことまで、しゃべった。戦時中、彼は20年の刑を受けて獄舎につながれた。私はアリゾナに軟禁中、このことについてFBIの峻烈な尋問を受けた。……(以下略)
・・・
……私は、幸いにも(相手が文明国である故に)拷問に会わなかったが、拷問に会ったとしたら、人間は、どこまでたえられるだろうか。ひと思いに、死地にとびこむことはできるが、長時間の苦痛には堪え得ないのでは、ないだろうか。
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戦後、彼は妻子を田舎に帰し、平和条約が結ばれ戦犯追及が終わるまで逃亡生活を続けた。闇屋もし、出家遁世も経験したという。
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