「東の風、雨 真珠湾スパイの回想」吉川猛夫(講談社)は、「森村正」を名乗って領事館に勤務していた諜者(スパイ)の回想である。著者吉川猛夫は、昭和8年11月海軍兵学校を卒業し、遠洋航海を終えた後、巡洋艦「由良」の暗号士、横須賀水雷学校を経て、霞ヶ浦飛行練習隊に入ったが、病気のため軍令部第3部第8課に転じ、第5課長からハワイ行きを命ぜられスパイとなった人である。真珠湾奇襲攻撃に備え、気象情報を含め様々な情報収集をして暗号文書(発信者は喜多総領事名)を送り続けたのであるが、その2,3を抜粋する。どこの戦場でも「スパイ」の存在はあまり明らかにされていないが、彼は奇襲攻撃を決定するために極めて重要な任務を負わされていたことがわかる。
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起案第一信
○発ホノルル 喜多総領事
宛 東京 外務大臣
1941・5・12
11日真珠湾在泊艦艇左の通り
一、戦艦11隻(コロラド、ウェストヴァージニア、カリフォルニア、テネシー、
アイダホ、ミシシッピ、ニューメキシコ、ペンシルバニア、アリゾナ、オクラホマ、
ネヴァダ)
重巡5(ペンサコラ型2,サンフランシスコ型3)
軽巡10、駆逐艦37、駆逐母艦2,潜水母艦1、潜水艦11、輸送船その他
合わせて十数隻
二、空母レキシントンは駆逐艦2隻を伴いオアフ島東岸沖を航行中
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しかし、彼はこの頃にはまだ真珠湾攻撃があることを知らず(何も知らされていなかったので)、アメリカ艦隊が真珠湾を出港して、日本ないし南方に進撃すると思っていた。そして、「いかなる兵力が、いかなる目的をもって、どのような行動をおこそうとしているか」を先見すべく、情報を収集したという。その彼が、半信半疑ながら真珠湾攻撃を察知したのは、下記の電文が彼のもとに届いたときであった。
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○発 東京
宛 ホノルル
1941・9・24
厳 密
今後、貴下はでき得るかぎり次の線に沿って艦艇に関する報告をされたし。
一、真珠湾の水域を五小水域に区分すること(貴下が出来るだけ簡略にして報告
されても差し支えなし)
A水域(フォード島と兵器庫の間)
B水域(フォード島の南及び西、Aの反対側)
C水域(東入江)
D水域(中央入江)
E水域(西入江及びその通路)
二、軍艦、空母については、錨泊(at anchor)中のものを報告されたし。
埠頭に繋留中のもの、浮標繋留したもの、入渠中のものは、左程重要ではない
が報告されたし。
三、艦型、艦種を簡略に示すこと。
四、2隻以上の軍艦が横付けになっているときは、その事実を記されたし。
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12月6日には立て続けに電報を打っているが、絶好の攻撃チャンスを的確にとらえていたことが分かる。
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(一)6日午前真珠湾在泊艦船左の通り。
戦艦 8隻 2列にA地区に繋留
空母 2隻 B地区
重巡10隻 C地区錨泊
軽巡 3隻 駆逐艦17 C地区
その他軽巡4、駆2入渠中
(二)艦隊には異常の空気認められず、臨戦準備態勢にあらず。
(三)阻塞気球なし。
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開戦6時間前に東京に届いた彼の最後の電報(第一信以後177通目の真珠湾情報)が、下記である。彼は、同書の中でハワイ発信の暗号が解読されたのは、真珠湾合同調査委員会の聴取書によると3通に過ぎなかったと報告している。そしてマニラの暗号が54通解読されていたことと考え合わせ、アメリカは日本の攻撃が南方であると予想し、真珠湾を対象としていたことは充分把握していなかったのではないかと分析している。
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○12月6日
発 ホノルル喜多総領事
宛 東郷外務大臣
第254番電
(一)5日夕刻入港せる空母2隻、重巡10隻は6日午後全部出港せり。
(二)六日夕刻真珠湾在泊艦船は、
戦艦 9隻(註 練習戦艦ユタを算入)
軽巡 3隻 4隻入渠中
駆逐艦 17隻 2隻入渠中
潜水母艦 3隻
その他多数
(三)艦隊航空へ威力では航空偵察を実施していないようである。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクした全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また旧字体は新字体に変えています。青字および赤字が書名や抜粋部分です。「・・・」や「……」は、文の省略を示します。
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起案第一信
○発ホノルル 喜多総領事
宛 東京 外務大臣
1941・5・12
11日真珠湾在泊艦艇左の通り
一、戦艦11隻(コロラド、ウェストヴァージニア、カリフォルニア、テネシー、
アイダホ、ミシシッピ、ニューメキシコ、ペンシルバニア、アリゾナ、オクラホマ、
ネヴァダ)
重巡5(ペンサコラ型2,サンフランシスコ型3)
軽巡10、駆逐艦37、駆逐母艦2,潜水母艦1、潜水艦11、輸送船その他
合わせて十数隻
二、空母レキシントンは駆逐艦2隻を伴いオアフ島東岸沖を航行中
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しかし、彼はこの頃にはまだ真珠湾攻撃があることを知らず(何も知らされていなかったので)、アメリカ艦隊が真珠湾を出港して、日本ないし南方に進撃すると思っていた。そして、「いかなる兵力が、いかなる目的をもって、どのような行動をおこそうとしているか」を先見すべく、情報を収集したという。その彼が、半信半疑ながら真珠湾攻撃を察知したのは、下記の電文が彼のもとに届いたときであった。
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○発 東京
宛 ホノルル
1941・9・24
厳 密
今後、貴下はでき得るかぎり次の線に沿って艦艇に関する報告をされたし。
一、真珠湾の水域を五小水域に区分すること(貴下が出来るだけ簡略にして報告
されても差し支えなし)
A水域(フォード島と兵器庫の間)
B水域(フォード島の南及び西、Aの反対側)
C水域(東入江)
D水域(中央入江)
E水域(西入江及びその通路)
二、軍艦、空母については、錨泊(at anchor)中のものを報告されたし。
埠頭に繋留中のもの、浮標繋留したもの、入渠中のものは、左程重要ではない
が報告されたし。
三、艦型、艦種を簡略に示すこと。
四、2隻以上の軍艦が横付けになっているときは、その事実を記されたし。
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12月6日には立て続けに電報を打っているが、絶好の攻撃チャンスを的確にとらえていたことが分かる。
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(一)6日午前真珠湾在泊艦船左の通り。
戦艦 8隻 2列にA地区に繋留
空母 2隻 B地区
重巡10隻 C地区錨泊
軽巡 3隻 駆逐艦17 C地区
その他軽巡4、駆2入渠中
(二)艦隊には異常の空気認められず、臨戦準備態勢にあらず。
(三)阻塞気球なし。
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開戦6時間前に東京に届いた彼の最後の電報(第一信以後177通目の真珠湾情報)が、下記である。彼は、同書の中でハワイ発信の暗号が解読されたのは、真珠湾合同調査委員会の聴取書によると3通に過ぎなかったと報告している。そしてマニラの暗号が54通解読されていたことと考え合わせ、アメリカは日本の攻撃が南方であると予想し、真珠湾を対象としていたことは充分把握していなかったのではないかと分析している。
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○12月6日
発 ホノルル喜多総領事
宛 東郷外務大臣
第254番電
(一)5日夕刻入港せる空母2隻、重巡10隻は6日午後全部出港せり。
(二)六日夕刻真珠湾在泊艦船は、
戦艦 9隻(註 練習戦艦ユタを算入)
軽巡 3隻 4隻入渠中
駆逐艦 17隻 2隻入渠中
潜水母艦 3隻
その他多数
(三)艦隊航空へ威力では航空偵察を実施していないようである。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクした全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また旧字体は新字体に変えています。青字および赤字が書名や抜粋部分です。「・・・」や「……」は、文の省略を示します。
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