真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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真珠湾奇襲攻撃暗号解読の謎

2008年11月28日 | 国際・政治
 日本軍の暗号がアメリカ軍によって解読されていた事実は、「秘録陸軍中野学校」畠山清行[著]保阪正康[編](新潮文庫)に詳しい。そして、ルーズベルトが日本に戦争を仕掛けさせるよう追い込み、日本の攻撃計画を把握していながら、「奇襲攻撃」を装って反撃に出たということも、様々な文献から、ほぼ間違いのない事実のようである。しかしながら、暗号解読の詳細(解読暗号電文数や解読所要日数等)から、アメリカは真珠湾ではなく、日本軍の南方攻撃を予想していたのではないか、という真珠湾のスパイ-吉川猛夫-秘匿名”森村正”の分析も説得力がある。「東の風、雨 真珠湾スパイの回想」吉川猛夫(講談社)からの抜粋である。
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開戦前の日本暗号

 日本が真珠湾に爆弾を落とす以前の4ヶ月間に、外務省の極秘軍事情報が、108通もアメリカ側に解読せられていたということは、実に驚くべきである。
 もっとも知ったかぶりをする人は、日本の情報は、すっかりアメリカ側の手に入っていて、真珠湾奇襲なんて、まんまと日本がアメリカの謀略にひっかかったのだと解釈する人が、今日多いことを知っている。しかし、それらの人々はなにを根拠にし、かくいうのであろうか、と私は反問したいのである。
 20年を経た今日になっても、アメリカ首脳部は、真珠湾奇襲を知っていて、日本に手を出させたのだとする説と、アメリカは、全く知らなくて不意打ちを食ったのだという説があって、互いに論争を交えて依然として謎であるが、私はアメリカ側が傍受解読した暗号電報を基礎として、新しい研究を試みたいと思う。


 ・・・

 まず結論をいうと、アメリカは「日本は南方を攻撃するにちがいない。だから南方情報には最大の注意をしよう」……これがアメリカ、即ちルーズベルトの肚であったと考えられる。
 ここで、私は、ルーズベルトの立場に立って推理を試みよう。
 なるほど、ハワイは太平洋艦隊の大根拠地だ。ここをやられるのは痛い。太平洋艦隊が潰滅するようなことがあれば、これは一大事だ。しかし、日本は、長駆ハワイを攻撃するようなことが果たしてできるだろうか。太平洋艦隊に戦を挑むには、日本は全艦隊を率いて来なければならぬ。果して日本にそれだけの軍艦、飛行機、タンカー等の余裕があろうか。なおかつ2千里の大洋を渡って、のこのこ来る間には、ミッドウェイ、ウェイキの哨戒線を越えねばならない。たとえアメリカ艦隊が四分六分の勝負をしても10ヵ所の陸上航空基地をもっている我が方の勝算大なり。日本は、かかる冒険はやらない。実利の伴わない冒険は、貧乏国の日本がやるはずがない。それならば、日本の攻撃目標は、南方だ。むろん、フィリピン、グァムはやられるが、これはこちらにとってあまり痛くない。まきぞえを食らって、香港、シンガポール、蘭印は蹂躙されるだろうが、そうなれば、英、蘭と協力し得られるではないか。しかし、まてまて、日本が南方に手を出すとすれば、その前にやらねばならぬことがある。っそれは情勢判断のために、日本の暗号解読に力を入れねばならぬ。東京、在外公館の動きを見ておれば、こちらも最小の被害で、日本に手を出させる目的を達成できるではないか、と。これがおそらく、アメリカ首脳部の考えていた真相であっただろう。


・・・

 アメリカは、この3つの方法(通信傍受、写真撮影、暗号書取得)を、陸海軍、外交官、FBIの三者がそれぞれ分担して、昭和16年8月1日から12月8日までの間に、108通、開戦後、24通の外務省暗号を解読した。
 これを地域別に区分してみると、


    地名      開戦前  開戦後
   東京発信     15     (3)
   
ハワイ発信     3     (8)
   パナマ発信    20     (6)
  
 マニラ発信    54     (5)
   東南アジア
   米西海岸発信   15     (3)
     計        108    (25)
   総    計           132

 この数字は、真珠湾合同調査委員会聴取書によった。これは、アメリカの委員会発表のもので、真珠湾の責任を追及するために調査されたもので、明確に本文、日付、翻訳官、暗号種別を記載してあるから、一応、信をおくにたるものと思われる。アメリカへ筒抜けだったといわれるハワイ情報はただの3通を解読せられたにすぎないが、マニラ、東南アジア合わせて70通が翻訳されているのは、果たしてなにが原因か。

・・・

 いずれにしても、アメリカはマニラ情報入手に万全の措置を講じていた事が窺われる。これに反して、ハワイには、さ程厳重な解読努力が払われていなかった、と推論するわけである。

・・・

 次に電文を紹介する。
(1)
   発 東京(外務大臣)
   宛 メキシコ
     
1941・6・23
     <紫>
   パナマ運河及び附近の地図入手の計画に関しては、本職の木原大使館付武
   官をパナマへ公務出張せしめられたし。(吉水秘書官を同行せしめたが良い
   かも知れぬ)
   地図を飛行機で持ち出したら、佐藤海軍武官が帰朝の際東京へ持参せしめ
   られ度し。
   又、彼等が我が暗号を一部解読してあるかの疑いも若干ある。従ってこの仕
   事の遂行には最善の留意を払われんことを望む。……
   
米海軍翻訳 1941・6・24
 東京が6月23日に打って、6月24日には解読せられている。

・・・

(7)
   発 マニラ
   宛 東京
     
1941・11・13
     <紫>
   第757番電
   1 当方第753番電の重巡は、ポートランドであった。
   2 13日朝デフェンダ型の英駆逐艦入港。  
   3 当方第742番電の潜水艦9隻のうち8(又は4?)隻は129級であることを
   確認した。これ等は最近当港に入港したが、正確な日時は不明である。
  
 米海軍解読 1941・11・13

 この(7)番電は、即日、解読せられたことが、重大な意味を持つ。
……

・・・

 さて、ハワイの通信はどうであったかと検討すると、8月から12月8日までに、8通を解読されているにすぎない。その中、5通は、東京からの指令電報で、ホノルル発信のものは、3通解読されたにすぎない。そして、解読所要日数は、15日乃至19日を要し、内5通は、12月5日以降になって、解読しているから、ハワイ攻撃に備える準備ができなかったのではないかと推察される。
 東京ホノルル間の解読された電報のほとんどは、解読日数16日乃至19日である。
南方通信に比べて3倍の長さである。このことからして米国は、ハワイ通信に注意しつつも、特別な関心をよせていなかった事が看取される。……(以下略)
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 この説に従うと、ルーズベルトが真珠湾奇襲攻撃の被害の大きさに愕然としたといわれることが容易に理解できる。


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