そう言わざるを得ないのは、ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ戦に関する日本を含む西側諸国の報道内容です。だから、あやまった情勢認識に支えられて、戦争が続けられていると思うのです。
また、見逃せないのは、「あやまった情勢認識」には、多くの意図的な欺瞞が含まれているということです。
前回、「ウクライナを知るための65章」服部倫卓・原田義也編著(明石書店)の「クリミア」に関する記述で、ヤヌコビッチ政権の転覆が暴力によって引き起こされたことに危機感を抱いたヤヌコビッチ政権支持のクリミア自治共和国の人たちが、ウクライナからロシアへの帰属変更を求める運動をしたこと、そして、それを根拠にロシアがクリミアを併合したということを確認しました。
同じように、2014年3月、ウクライナ東部のドンバス地域の人たちは、ウクライナ・クーデター政権(暫定政権)に反発し、ロシアの後ろ盾を得て、ドネツィク州とルハンシク州の一部で、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」という国家の樹立を宣言しました。
でも、こうした地域住民の意志を無視し、ロシアのクリミア併合やロシアの後ろ盾を得た東部の分離独立は、ウクライナの主権や領土の一体性を侵害するものであるとして、ヤヌコヴィチ政権崩壊後に発足したクーデター政権(暫定政権)は、「ウクライナの愛国者」を自称するネオナチ組織なども含めた軍事組織を総動員、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の反政府組織を軍事力をもって潰しにかかったのです。その際、ドンバス地域の反政府組織は「テロ組織」と見されました。そして、「ドンバス戦争」は「反テロ戦争」などといわれたのです。
また、ウクライナ戦争開始後、アメリカの影響下にある西側諸国では、プーチン大統領の領土拡大欲求が強調され、クリミアやドンバス地域の人たちの運動や思いが、まったく報道されなくなってしましました。
だから、ドンバス地域の人たちの運動や思いを理解するためには、その歴史を知ることが欠かせないと思います。
下記の抜粋文でわかるように、ロシア帝国時代から、ドンバスは工業先進地域として極めて重要な地域でした。だから、革命と内戦によって損壊したドンバス炭鉱や工場は、ボルシェヴィキによって、いち早く復旧されたのです。
ボルシェヴィキは”「産業のパン」たる石炭”を重視し、ウクライナ左岸、ドネツク・沿ドニプロ経済地域の中心地として石炭産業や鉄鋼関連産業の開発が進め、ソ連の工業化を牽引させたのです。
したがってドンバス地域は、帝政ロシアからソ連時代を通じて工業化の中心であり、労働者の力が強く、革命運動だけでなく、スタハーノフ運動等の労働運動(生産性向上運動)の発信地にもなってきたのです。
下記抜粋文には
” ドンバスの住民は、民族や国家を上回る強い地域への帰属意識を持っている。強烈な地域意識は、首都に対する対抗意識にも向けられており、首都キエフを中心に展開されたオレンジ革命やマイダン革命に対する住民の反感は強い。国政レベルでは、ロシア語を公用語化をもしくは国家語化、関税同盟(ロシア・ベラルーシ・カザフスタン)への参加、NATO加盟反対といった政策に強く賛成してきた。”
とあります。でも、日本を含む西側諸国では、そのドンバス地域の住民の声は聞こえず、その実態もほとんど報じられません。聞こえてくるのは、分離主義者とかテロリストというウクライナ政権側の反政府組織非難の声です。
現在のゼレンスキー政権の戦争目的は、「ウクライナの主権や領土の一体性を回復する」というよりむしろ、アメリカの戦略に基づき、ロシアに併合された地域の「共産勢力一掃」なのだろう、と私は思います。
下記は、「ウクライナを知るための65章」服部倫卓・原田義也編著(明石書店)から、「一 ウクライナのシンボルと風景」の「第9章 ドンバス地域 ── 政治・経済変動の震源地」を抜萃しました。
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一 ウクライナのシンボルと風景
第9章 ドンバス地域 ── 政治・経済変動の震源地
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ドンバスは「ドネツ炭田(Donets’kyi basein)」の略で、ロシア帝国時代、タヴリア県、エカテリノスラフ県、ハリコフ県、ドン軍管州にまたがっていた。ソ連時代には、ウクライナのルハンスク州(1970年にヴォロシロフフラード州から改称)、ドネツク州(1961年にスターリノ州から改称)およびロシアのロストフ州を指していたが、連邦崩壊後は、もっぱらウクライナ領2州の別称として用いられている。ロシア帝国~ソ連~ウクライナを通じ、ドンバスは工業先進地域として極めて重要な地域である。しかし、2014年春に勃発したドンバス紛争により、ウクライナと両「人民共和国」間で分断状態にある。
ドンバスの開発は、1721年にロシアの炭鉱者カプースチンがドネツ川で石炭を発見したことに遡る。ロシア帝国のバルチック艦隊・黒海艦隊への石炭供給地として開発が始まり、クリミア戦争による中断後、帝国政府による本格的な資源調査が始まり、後の開発の基礎を作った。また、1886年のクリヴィリフ~ドネツク間鉄道の開通により、鉄鉱と石炭を結びつけた冶金産業が急速に発達した。特にドネツク市は、ウェールズ人ジョン・ヒューズの投資によって作られた冶金工場の労働者の街(ユーゾフカ市)として名高い。また、イリチ記念マリウーポリ冶金コンビナートの前身も米国市資本により誕生した。ドンバスの急速な発展は外資導入によるものであり、1917年の社会主義ロシア革命前には、炭鉱、コークス工場、冶金工場の大部分を外資が独占していた。帝国末期には石炭生産量の87%はドンバスで産出されていた。
ボルシェヴィキは「産業のパン」たる石炭を重視しており、革命と内戦によって損壊したドンバス炭鉱や工場はいち早く復旧された。さらにソ連時代に入っても、ウクライナ左岸「ドネツク・沿ドニプロ経済地域」の中心地として石炭産業や鉄鋼関連産業の開発が進められ、ソ連の工業化を牽引した。大祖国戦争以前にはソ連全体の石炭の60%、銑鉄の34%、粗鋼の23%、コークスの50%はドンバスで生産されていた。大戦時にはドイツに占領され、炭鉱、工場のほとんどが破壊されたものの、戦後開始された第45次五か年計画最終年度には戦前の生産レベルにまで回復した。
このように、ドンバスは帝政ロシアからソ連時代を通じて工業化の中心であったため、労働者が集中しており、革命運動だけでなく、スタハーノフ運動等の労働運動(生産性向上運動)の発信地となった。農業についても、気候的には北部ステップ地帯に属し、肥沃な黒土が広がっているため、小麦、ライ麦栽培に適している土地でもある。そのため、大飢饉(第28章参照)では多くの犠牲者を出した。ドンバスでは、内戦、大飢饉、独ソ戦と、幾度となく人口減少を埋めるために各地から労働者が集められた。結果、ウクライナ人、ロシア人だけでなく、ギリシャ人、タタール人、アルメニア人、ユダヤ人などのエリック的に多様な労働者が住む地域となり、ロシア語が共通語として用いられ、諸エスニック集団を束ねる強固な地域意識が形成された。
ソ連崩壊にドンバス炭鉱のゼネストは大きな役割を果たしたが。独立ウクライナにおいてもドンバスは政治・経済的変動の発火点となっていった。ドンバス2州は、ウクライナ人口の15%、GDPの16%。鉱工業生産額の30%、貿易輸出額の35%を稼ぎ出しており(2011年統計)、ウクライナ政治・経済に強い影響力を及ぼしてきた。また、ウクライナの石炭生産の約四分の三を産出し、特に発電用の無煙炭はドンバスのみで産出するように、ウクライナ・エネルギー自給の要衝であった。
1991年12月にウクライナ全土で行われた独立を問う国民投票では、全国で90%の賛成票が投じられる中、ドンバスでもおのおの84%の賛成票が投じられた。しかし、独立後ウクライナ中央政界では高揚した民族主義を背景としてハリチナー地方、キエフ市出身者が要職を占め、ドンバスの政治的地位はソ連時代に比べて後退した。1993年以降、ウクライナ全土で経済危機が進行すると、ドンバスではウクライナ政府に対する異議申し立てが噴出した。炭鉱ストライキはクチマ内閣(当時)を総辞職に追い込み、ドンバス出身政治家の閣僚登用、選挙の前倒し実施等の政治的要求を中央政府に受け入れさせた。1994年に行われた総選挙では、ドンバスの有権者は、議会選挙ではウクライナ共産党に、大統領選挙ではクチマに投票し、結果的に政権交代を助けることとなった。しかし、新大統領クチマは市長時代の恨みを忘れておらず、ドンバス人脈は政府内から一掃され中央政界で力を失った。1998年の議会選挙でも、ドンバスは引き続き野党であるウクライナ共産党の大票田となったが、翌1999年の大統領選挙では、当時のドネツク州知事ヤヌコービッチが行政資源を駆使したことにより親クチマの大票田へと変貌した。2002年の議会選挙でも政権側の票田となり、この功績により、ヤヌコヴィチは、2002年11月に首相に任命され、次いで2004年大統領選挙の統一与党候補に昇りつめた。2004年のオレンジ革命後、中央政界におけるドンバス勢力は一時的に退潮するが、2006年議会選挙ではヤヌコヴィチが党首を務める地域党が第一党に躍り出て首相に就任したことで復権、さらに2010年大統領選挙においてヤヌコヴィチが当選し2012年議会選挙で地域党が引き続き第一党の地位を守った事により、中央の行政・議会をドンバス、特にドネツク人脈が掌握し、ドンバスに基盤を置くオルガルヒが国民経済を牛耳る体制が出来上がった。しかし、同時にヤヌコヴィチ・ファミリーへの権限が一極集中することで、腐敗・汚職が進行し、マイダン革命の一因となった。
ウクライナ危機後、ドンバスの地位は大きく低下している。一見するとウクライナ経済に不可欠な石炭、鉄鋼作業を有するドンバスであるが、実際は炭鉱も製鉄所も設備の老朽化が顕著で高コストト体質であった。石炭への政府補助金と政府が逆ザヤで安く販売する天然ガスがドンバス鉄鋼業の見かけ上の国際競争力を保っていたに過ぎなかった。有権者の動員により選挙のキャスティングボートを握り、中央政界から多額の産業補助金を引き出して地域経済を循環させてきたドンバスの成長モデルは崩壊した。
ドンバスの住民は、民族や国家を上回る強い地域への帰属意識を持っている。強烈な地域意識は、首都に対する対抗意識にも向けられており、首都キエフを中心に展開されたオレンジ革命やマイダン革命に対する住民の反感は強い。国政レベルでは、ロシア語を公用語化をもしくは国家語化、関税同盟(ロシア・ベラルーシ・カザフスタン)への参加、NATO加盟反対といった政策に強く賛成してきた。特に言語問題は独立直後から提起されており、ドンバスを地盤とする政党はことごとくロシア語の公用語化を公約に掲げてきたほどである。ロシア語の公用語化を定めた言語法の採択(2012年)は、ヤヌコビッチ政権がドンバス有権者に配慮したためである。ドンバス紛争後、「人民共和国」を名乗る被占領地域では、ウクライナ側のメディアが遮断され、「ロシア世界に属する『ドンバス人』形成が試みられており、ウクライナ化・非ロシア化が進むウクライナ政府支配側との間でアイデンティティ分化が進行している。 (藤森信吉)
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