昔から「中日に曇り無し」とされて来たが、このところの地球温暖化の影響か曇る日が多い。この日は、お萩を作って家中で静かにお先祖様に拝礼して、この春のお彼岸を、無事迎えられた喜びを報告すると共に、春のお彼岸の中日だけに、心清く行い正しく清廉潔白に、この二十四節気の春分の日を静謐に過ごしたい。田舎では昔から、この日お萩を作り家中でお先祖様に捧げ、その供養を行なうと共に、一緒に春のこの季節を享受しようと言う試みが、実施されて来たところである。今日の天気予報は一日中曇りで、明日から徐々に晴れの天候が続くようである。10時過ぎには祐天寺まで行ってお萩を買って来て、お昼に美味しく賞味した。序でに草餅も求め家内と二人で美味しく食べたところである。午后は部屋の大掃除も実施した。夜はメイを一ヶ月振り丁寧ににシャッンプした。これで家中が至る所大変綺麗になって気持ちが良い。明日は晴れるそうである。東急プラザが閉店した。3年後に18階建てリムジンバス発着所も新生建設出来て雄大に発展の予定と言う。今夜は信彦が出席出来たのでその都合で、近くの梅佶で息子信一の誕生祝いを開催した。皆で楽しく祝賀した。前回は孫の信介の都合で、自宅で皆で祝福した。
今朝は予報通り完全な春霞である。曇っているが湿度が濃くて蒸し蒸しする。これがあと10日ばかりすると、いよいよ花の便りが全開する。メイは昨夜から排泄の様子がおかしく、便性はよかったそうである。が、その後の朝の何時もの散歩の公園でのそれは、血性のものが少量出たので一寸吃驚もした。も少し様子を見ることにした。目に睫毛乱生がありそうなので、今朝は早めに近くの眼科へ往って診もらうことにしている。カーデガンを一枚脱ぎ捨てて薄着になった次第である。午前10時出発して、日本学術会議の分派会の医歯薬アカデミーの会議に出席した。約3時間ばかりの会議と、終わってから後輩と会話をして、帰宅は午後4時過ぎとなって仕舞った。でも実のりある会ではあった。
今年の定期昇給はトヨタの大幅昇給に習って大手が揃って一斉に賃上げを昨日発表した。これからが中小企業に取っての正念場であろう。中々に容易く追随出来ないのが本音であろう。経済は難しく吾々素人には先行きの判断が出難いことは事実である。今日は曇り、三寒四温は過ぎたものと思いきや、その通りのお天気ですなと言いたい。政治は大筋で前進を続けているものの、時に茶々が入って渋滞し予定通りの進行は中々である。今朝のメイは早々に生理現象を終えて公園を切り上げて来た。家の中で3度程疾走し、朝飯を摂って今は玩具遊びをしてから、今はベットで休息休眠中である。これで良いのだと思う。夕頃から又雨が降って来た。オバマ米大統領夫人が初来日された。午后には両陛下と懇談された。
春麗ら!春暖で心地が良い。朝のメイの散歩も稍歩数は少なかったが、まぁーまぁである。衣替えを昨日から済ませて、元気に爽やかに出発である。豊後梅の梅の花がそろそろ散り始めて来た。何故か人心が荒んで見える。新聞報道を見ても、麗しい人の心が美談になっている記事は、凡そ見当たらないのが残念で情けない。国内外ももっと人心が素直になれば、様々な紛争も無くなって良い筈であろうと思う。何故か町行く人の装いや表情が険しく感じられそのように見られる。もっとゆとりと微笑みが取り戻せないものか?と考えてしまう。此方の気持ちの反映かとも多少自省もしてみるが! 折角の春の日が、勿体無いと思う。穏やかに温和で静穏な日が続く好季節だと言うのに何たることか! 一年振りに帰宅途上で若干の暇を見付けて、代々木八幡様と氏神様の駒繋神社を、バスを乗り継いで参拝して来た。敬虔な祈りを捧げ、お礼と感謝の誠を捧げた次第である。
早朝息子の車で一緒に病院へ着いて正8時から受付が開始された。9時15分前には外来診察室で待機していた。9時過ぎに最初呼ばれて診察を受けたが、検査結果の内2項目が結果が出ていなかったので、一度また待合室の戻って待機し、9時35分頃また呼ばれ、その他聴診などの諸検査を終えて、結果を説明して頂いた上で、主治医の診察を終えたのが9時45分であった。幸いにも、さしたる大きな変化は無かったので、従来通りの内服薬の処方箋を貰い電車で帰宅の途に着いた。下車して処方箋通り薬局で内服薬を貰い、そのあと食事を摂り11時半頃に帰宅出来た。気温は19℃で正に春本番と言う感じで、爽快な快晴の日和であった。セーターを着用して行かなかったのが幸いであった。心無しか合い着のオーバーは邪魔だった。世間ではオーバなどを着ている人は少なかった。正に今日は一番の春の走りの日であった。
昔は天気予報など無かった戦時中、戦後も暫く無かったが、此処最近は、各種の天気情報が混在し余りにも情報が多過ぎて、逆に分かり難くなった。便利の反面却って不便になったとの声も聞かれる。必要な情報のみを見聞すれば、それで良しとしなければなるまい。午前の天候は曇り時々晴れ、午后は雨だと言う。
閑話休題:今は男性は長靴も履かないし、(昔は男性の革の長靴は陸軍の将校のみの使用であった)それに似た長靴は、女性が冬に使用し闊歩している時代となった。変わったものだ!流行に乗った人か防寒用にか、雨と言えども長靴を履く人は余り見かけない。 併し時既に春本番なのだ! これは昔を懐かしむ時代錯誤の論調かも知れない。
メイは今朝は吐いたり、排泄小屋の吸湿紙を散らばせたりなど、幾分睡眠不良になったらしい。道理で今朝の散歩は早めに切り上げ、朝の廊下での「疾走」もごく僅かであった。体調が幾分良く無いらしい。でも元気だから大丈夫であろう。夜娘からスカイプを受信して歓談した。
昨日で雑用?は全て終わったと思う。あとは日本学術会議の分派会である医歯薬アカデミーの幹部会と総会のみである。前者には出るが後者には出ても出なくとも良いが、出て退会を申し出て来ようかとも考えている。実質全くメリットがないと思えるし、出たく無い気持ちは、イコール退会すべきだとの意思決定に繋がるであろうとも考えている。それかあらぬか、昨日と同様に、今日も天気は曇り空で気分も冴えない。のんびり日記を書いて休息日にしようかと思う。午后午睡し小憩のあと、気に掛けていた裏の柿の木2本の剪定を実施した。お隣に枝が伸びすぎぬ様に、取り分け気を遣って丁寧に時間をかけて思い通りの枝切りが出来た。兎に角さっぱりした。風呂のカランのネジの弛みも直して、夜分のお風呂はゆっくり入浴出来た。息子の、医学部教授就任祝賀会の写真が、1ヶ月振りに出来上がって来た。矢張り専門家だけに綺麗に上手に、皆が微笑みを浮かべている様に、自然に撮影出来ていて、本当に良い記念となり、保存に値し皆で喜んでいる。公園では雀が地面の草原に降りて三々五々餌を仲良く漁っている。可愛いものだ!
今日でこの弥生も半ばになった。天候は徐々に春めいて来て木々の枝先にも葉芽や花芽が付き始めていて、さながら弥生3月を象徴している。梅は満開を過ぎつつあり、今度はあと2週間足らずで桜が咲き始めるであろうと思う。つくづく過ごし易い良い季節になったものであると思う。メイの今朝はお散歩前から家の中の廊下で5回程の疾走をやらかした。余程元気なのであろう。散歩の公園でも鞠投げをやったし、その他よその子犬に2匹程逢って挨拶を交わした。今日の夜は、運動部の納会でお付き合いである。7時から9時頃までの新旧部員の交代が主である。これで暫く行事には巡り会わないであろうと、ホット一息つく今宵である。
昨日限りで冬のオーバの陽気は終りだ! 気温も15℃だったとの由。道理で冬のオーバを着て地下鉄に乗ったら暑くて堪らなかった。今日は学校の予算理事会である。薄いレインコート張りのオーバーを身に着け、衣替えして出発することとしよう。昨日の検診検査結果が、若干好転していたので、夕頃には上機嫌で病院の検診から帰宅出来た。健康は何よりも有り難いものだ! 幸福感が漲り元気が出てくる。今日と明日の行事を済ませば、あとは4月に入ってから中旬の、日本学術会議のアカデミ−の会合だけだ。今年のお花見は3月24日(火)の墓参を済ませてから、すっきりした気分で行いたいと思う。鎌倉霊園には、もう何年も墓参していないので、この際墓地を全面的に綺麗にして、一本の草も無いようにして来ようかと思う。これこそが先祖への供養なのでもある。公園の桜の蕾も大分膨らんで来た。メイは何時もの通り散策して読売新聞の脇を廻って家に戻って来た。廊下での”疾走“は相変わらず元気に、5回程実施出来て頼もしい。今日はこれから少し早めの昼食を摂って、学校へ出掛け、会議の準備をしようかと思う。春の日の今朝は爽快で、空はすっきりと日本晴れである。会議も2時間議長を務めて責了した。充実感を味わった次第である。
顧みて感慨無量、仏教の言葉ではないが、今までの我が人生は、「随所に主となって来た」感じである。小学校から答辞、県立中学から陸士合格、歯学専門学校で答辞、医学部で大学教授、それらを全部経験して来た。次いで短大学長、医療技術専門学校の学院長、そして理事長へと。その間叙勲も頂き、全ての学校で”主“となって来た感じである。思い出は、大きく拡がり、極端に懐かしくもあり、我ながら良く此処まで生き長らえて来たものと、思い半ばに過ぎよう。昨年6月には同門の教え子達から、米寿の祝賀会を開いて貰った。その感動は今もって忘れられない。縮刷のアルバムが贈呈されて来て、手元に現在保存してある。これらは、永遠に忘れなれないものと成るであろう。顧みて「我が人生に悔い無し」とまでは行かぬとしても、それに近いものと成るであろうと自ら感得している。“あぁ~何と幸せであることかな!” が、今日只今の生活実感である。自画自賛であっても良い。一統一族、夫婦親子兄弟への感謝が、今後の修行であるし、そうしたい。これらこそが、今後の生き甲斐に全て繋がるものと成ると確信している。