今回は10月に訪れた、北ロンボクと西ロンボクの学校の様子をお伝えします。(今までの報告に載せられなかった分)
北ロンボクタンジュン地区のタンジュン第一中学校
北ロンボクバヤン地区ロロアン村へ向かう途中に通りかかって写真を撮りました。
屋根が壊れていますが、子供たちは校舎内で勉強している様子でした。(テントは見当たらず)
西ロンボクグヌンサリ地区クカイ村のクカイ第2公立小学校
もともとテントを提供する予定だった学校の現状確認に回ってみると、立派な仮設教室が建てられていました。
PKPU human initiativeという団体が支援したようです。
西ロンボクグヌンサリ地区ドパン村のドパン第一公立小学校
こちらも、テントを提供する予定だった学校です。テントは他から支給されていて、仮設教室が建築中でした。
西ロンボクグヌンサリ地区クカイ村のクカイ第一公立小学校
建物の入口に大きな亀裂が入っていましたが、教室は使われていました。
西ロンボクグヌンサリ地区クカイ村のアリヤイスラム学校
こちらは、通りがかって寄りました。校舎はあちこち壊れ、庭に竹とブルーシートで屋根を作っていました。
西ロンボクグヌンサリ地区クカイ村のア・タジブイスラム学校
こちらも、クカイ村をまわっている時に立ち寄りました。
校舎再建設のために、敷地が均されているようでした。
そして、姉妹校の空きスペースにテントを張って勉強中でした。
仮校舎も建てられていました。
西ロンボクグヌンサリ地区グントゥール・マチャン村のアラッマ幼児学校
こちらは、元村長のハナムさんに頼まれて、テントではなく仮の建物の屋根材(アルミニウムの板)を提供する予定の幼児学校です。
すべての建物が壊れたので、もともとどんなところだったのか、想像するのが難しいです。
学校の校舎も、人々の住宅も、資金力がないところは再建に時間がかかることが予想されます。
インドネシアは暖かい国なので、雨さえ降らなければ簡易な住宅に暮らしていても自由はあまり感じないような気がしますが、家財道具を守ったり、蚊の来ない環境を作ったりするために、しっかりとした住宅はやっぱり必要です。
国が少しづつ発展してきて、人々も見栄えのいい立派な家を作ることで満足してきました。
それが無残にも壊れ、大統領が地震直後に約束した「全壊した家には50,000,000ルピア(約37万6千円)、半壊した家にはその半分を再建時に補助する」という言葉も、実現しないまま、ロンボクは雨季を迎えようとしています。
インドネシアでは、9月28日にスラウェシ島の中部スラウェシ州ドンガラ県で大きな地震と津波が発生しました。
インドネシア国内でも、国際的にもそちらの出来事の方に注目が集まり、ロンボクで起きた地震のことは早くも忘れられようとしています。
ロンボクを観光地として盛り立てようと躍起になっている西ヌサトウンガラ州知事にとっては、その方がありがたいのかもしれません。
ロンボクの地震と、スラウェシ島の地震は、同じインドネシアで起こった災害ですが、大きな違いがありました。
それは、ロンボク島は国際的な援助を拒否し、スラウェシ島の災害では受け入れたことです。
インドネシアの人に聞くと、海外支援を受け入れるかどうかは州知事の判断によるものだそうです。
いずれにせよ、ロンボク島は観光客が少しづつ戻りつつあります。
もともと、欧米の人たちが多く訪れる島なので、彼らが復興応援の意味でも変わらず訪れてくれることが、今のロンボク島の経済にとってはありがたいことだと思います。
ゆいツールは12月にも現地を訪れます。学校や人々の暮らしの様子を確認するつもりです。(山)
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