7月と8月に発生した大地震の後の様子を探るために、10月中旬、被害の大きかった東ロンボクスンバルン地区へ向かいました。
北ロンボク視察の様子はこちら。
スンバルンは、標高1000mの高地にあり、四方を山々に囲まれ朝晩はとても涼しいです。
国立公園にもなってるリンジャニ山(標高3,726 m)には、毎年多くの観光客が登山に訪れています。
しかし、7月下旬から1週間ごとに立て続けに発生した大地震で、山は閉山を余儀なくされ、高地に住む人々は家が壊れテント暮らしを強いられています。
ブルーシートで作られたこのテントは、イスラム系の団体の支援で設置されたものです。
今回、スンバルンを案内してくれたのは、デディくんという若者です。(写真下中央)
2017年3月にスンバルンで活動した時に出会いました。
地震後に何度かやり取りをして、状況を教えてもらっていました。
彼の住んでいた家は全壊しました。(8月7日のブログ、8月25日のブログ)
スンバルン地区をまわってみると、被害が大きかったところと、そうでもなかったところと両方ありました。
レンガとセメントで作られた家は、耐震性が低いため、全体的にガラガラと崩れていました。
現地では、きれいな水を手に入れるのが難しいと聞いたので、ペットボトルの水を購入して持っていきました。
現地で足りないものは、水を貯めるタンクだと聞きました。
地震前から使ってる水源地の水脈が、地震の後変わってしまって、水がとても少なくなってしまったそうです。
井戸の水も乾季のため量が減っています。そのため、夜間に水を貯めたり、給水車が水を補給してくれたりしているそうです。
スンバルン・ブンブン村の仮設住宅を見に行きました。
この場所には700戸の仮設住宅がありました。1戸には3家族が入るようになっているそうです。
親類・親戚同士などでという意味だと思います。(例えば、両親とその子供夫婦2組とその子供たちと言った感じで)
中の様子です。屋根が、インドネシア語でスパンデックと呼ばれるアルミニウム製のため、昼間は暑くなったり大雨が降るとその音がとてもうるさく感じられたりします。
住宅と住宅の間に、溝が作られていました。
水をどこに逃がすのかな、と追ってみると端っこで切れていました。インドネシアあるある、です。
(↑ 仮設住宅を建てた国有企業省と民間企業のロゴ)
学校にも行ってみました。
スンバルン・ブンブン公立第一小学校です。
国会災害庁のテント(オレンジ)があったり、仮設教室の建設が進んでいました。
こちらは、壊れたままの校舎です。
給水タンクが設置されていました。
スンバルン・ブンブン公立第3小学校にも行きました。(仮設教室が政府の支援でここに建てられることをPRするバナー)
この学校も、壊れた校舎をそのままにしています。
テントで勉強する子供たち。
こちらは仮設教室。
このタイプの仮設教室をロンボクのあちこちで見ました。天井が高く、風も通って、子供たちも勉強しやすそうでした。
案内役のデディくんと話していて、今この地域で最も必要なものは(家もそうなのですが)、農民が農業を再開するための苗や種の支援だということでした。
生活の糧の元となるものがなければ、生活は再建できない。ということをその言葉を聞いて感じました。
ゆいツールとして、住民の生活再建のために何ができるのか、今はまだわかりません。
日本の企業と協働するとか、国際農業関連で助成金があるかどうか調べるとか思いつきますが、実際には難しそうです。
せめて、現地の情報を発信して、何かしたいと思っている人へ届けられたらと思います。
今年は雨季がなかなか始まりません。水不足は困ったことですが、仮設住宅が水浸しになる恐れが少しでも減るのはいいことでは、と感じます。
ロンボクの被災地では、人々がしぶとく暮らしていました。
ゆいツールはこれからも、現地の人たちに寄り添って活動していく予定です。(山)
リンジャニ山をバックに。
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