(98)矢先稲荷 (台東区松ヶ谷2)★
矢先稲荷は、江戸時代にあった三十三間堂の、通し矢の的の場所に設けられた稲荷である。まずは、賽銭をあげて参拝し、あたりに人影が無い事を確かめて、石の上にもち米の団子を置いた。それから、ダーツの要領で短い矢を投げる。矢は皆中稲荷の御加護をもって、予想通りに団子に当たり、思った通りに白い鳥となって飛んだ。鴎かなと思ったが、本当は、物音に驚いた鳩が、飛び立っただけなのかも知れない。
(99)かもめ稲荷 (墨田区本所4)
飛び立った白い鳥が鴎なら、行き先は見当が付く。近くにかもめを名乗る稲荷は、そうは無いからだ。その稲荷は、能勢妙見堂にあった。この妙見堂は旗本の能勢氏が創建したもので、大阪冬の陣において鴎の奇瑞によって能勢氏が大功をたてたことから、かもめ稲荷を境内に祭っている。とりあえず妙見さんにお参りし、それから、入口に近い場所にある稲荷を参拝した。拝礼を終えて、空を見上げてみたが、鴎の姿は無かった。
(100)平川清水稲荷 (墨田区大平1)
妙見堂に行ったついでに法恩寺に行ってみた。この寺は太田道潅ゆかりの寺で、江戸時代には十二の塔頭が集まる大寺であったという。境内の稲荷は、道灌が歌に詠んだ平川の辺にあったとされる。江戸時代の初期、平河が付け替えられ、日比谷入り江が埋め立てられるにつれ、江戸は大きく変貌を遂げていく。それに伴い、この稲荷も移転を余儀なくされたのだろう。或いは各地を転々としていたかも知れない。今は、この寺を安住の地としている稲荷だが、室町時代から、江戸時代へ、そして明治、大正、昭和、平成と移り変わる時代の波を、この稲荷はどう見ていたのだろう。ふと空を見上げると、鴎が一羽、ゆっくりと円を描いていた。突然、何かに急かされているような気がして、慌てて外に出た。