夢七雑録

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25.小日向道永寺 柏木村園照寺 桜のつと

2009-04-18 18:19:13 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 文政三年三月十日(1820年4月16日)、小日向の鳥坂(服部坂の誤りか。文京区小日向2)の上の道栄寺(文京区小日向2)に桜があると聞いて、嘉陵は出かけている。桜は垣根に沿って二本、書院の庭に三本、何れも八重だが、花は散り始めていて、土も見えないほど花びらが積もっていた。日はまだ高かったので、坂を下り、早稲田(新宿区山吹町)から牛込原町(新宿区原町1~3)を過ぎ、若松町(新宿区若松町)を横に折れて大久保(新宿区新宿7)に出る。久左衛門坂の左手に大久寺(大久山永福寺。新宿区新宿7)という寺があり、五葉の松の大木がある。坂を下ると、抜け弁天(新宿区新宿6)があり、桜の老木が一本。眺める人もいないが、花も散りがたいようで、それはそれで趣があると、嘉陵は書いている。その先が、西向天神(新宿区新宿6)で、銅葺きの本社と茅葺の幣殿拝殿があるが、大杉が生い茂り、寂寞として来る人もいない。木の間から覗くと、向こうの山の木立が見渡せた。「江戸砂子」には、ここの続きに七面の社があり、花見の遊覧客が上野の山と同じぐらいあったと書かれているが、嘉陵が訪れた時は、その面影も無かった。
 
 ここから嘉陵は、百人町(新宿区北新宿1)に出るが、そこかしこに桜があり、西の木戸を出たところにも、桜があったと書いている。嘉陵のたどった道は、現在の道筋では、職安通りと思われる。この道をそのまま進めば淀橋に出るが、途中で北に行く道をとり、800mほどで園照寺(円照寺。新宿区北新宿3)の前に出る。門を入ると愛染堂と薬師堂があり、その間に八重と一重が混って咲く右衛門桜があった。「江戸砂子」に、この桜は右衛門という浪人が接木した桜とあるが、接木の跡が見えないことから、もとの桜が枯れたので、植え替えたのではないかと嘉陵は推測している。また、園照寺には樅の大木があり、何処からでも見えるので、目印になっているとし、この樅は、雑司が谷四家町先の富士見茶屋(跡地は学習院内)から、真正面に見える木であると記している。訪れたときは、ちょうど、堂の葺き替えの最中で、庭には萱が散らかしたままになっていたが、その有様に、余りに心無いことだと、嘉稜は書いている。現在の境内には、柏木右衛門桜ゆかりの地と刻まれた石柱があり、近くに何代目かの桜が植えられている。

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