夢七雑録

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稲荷百社詣その十五

2008-01-07 22:54:42 | 稲荷百社詣

(39)椙森神社(中央区日本橋堀留町1)★★

 この神社は藤原秀郷が平将門の乱を鎮定するため戦勝祈願したところと伝えられ、後に太田道灌が雨乞祈願のため伏見稲荷を勧請したとされる。江戸時代には、烏森稲荷、柳森稲荷と並び江戸城下の三森と称され、江戸稲荷番付の小結をつとめた稲荷でもある。今では、日本橋七福神の恵比寿神の方で知られているかも知れない。実は、しるしの杉を授与しているかどうか気になってはいたのだが、面倒なので社務所には聞かず終い。次回、宝くじが当たったら、また参拝に来ることにして、今回は簡略な礼拝で済ます。

(40)末広神社(中央区日本橋人形町2)★

 稲荷神の倉稲魂命を祭る小さな社だが、稲荷社らしい雰囲気はあまりない。この神社はこの辺りの産土神だったようだが、今は日本橋七福神の毘沙門天として正月には参詣客が訪れる。次回来た時に改めて参拝することにして、今回は頭を少し下げただけで通過。

(41)笠間稲荷(中央区日本橋人形町2)★

 江戸中期に常陸国の笠間稲荷を分霊した稲荷社という。稲荷社としては程々の大きさの社である。大正時代の稲荷番付では、京都の伏見稲荷、三河の豊川稲荷と並んで常陸の笠間稲荷が行司役をつとめており、常陸の笠間稲荷の格が上がっているが、人形町の笠間稲荷の方はどうだったのだろうか。今は日本橋七福神の寿老人として参詣する人の方が多いかも知れない。ここまで来て、七福神の色紙を持って来なかった事に気がついた。七福神巡りと稲荷詣を兼ねるのがここを巡る趣旨なのだろうが、それは次の機会まで延期ということに。


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