世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

横須賀海道ウォーク

2019年10月06日 | 登山 ハイキング ウォーキング

昨日はまるで真夏のような暑い1日でした。

熱中症にきをつけるようにとの予報も出ていて、予定していた参加をためらわれましたが、

あるイベントに思い切って出かけました、最近運動不足なので。

Yokosuka 海道ウォーク 日本遺産・横須賀~軍港の歴史と面影をたどる~

参加してよかったです。自然の中を歩くのとはまた違った収穫の多いウォークでした。

スタンダートコース15キロとファミリーコース5キロとあり、スタンダートコースを歩きました。

追浜行政センター~①第三海堡遺構見学~②深浦湾~③梅田隧道~④海上自衛隊術課学校

~JR田浦駅~横浜ベイスターズ総合練習場~JR横須賀駅~⑤海上自衛隊横須賀地方総監部

~⑥ヴェルニー公園~⑦三笠公園(ゴール)

この日は来る10月14日に開催される海上自衛隊の観艦式に先立ち、総監部に入場見学が可能で、

洋上に集う何隻かの艦船を見学することができました。


まずは最初のチェックポイント①第三海堡遺構!

海堡とは海中の人工島に築かれた砲台のことで、この第三海堡の建設は明治25年,水深39mという深さ、

激しい波浪、激流のため莫大な費用と時間がかかり着工したのは29年後の大正10年だったそうです。

ところが竣工から2年後の大正12年に起きた大震災で甚大な被害を受け、大砲の性能の向上もあり、復旧することなく、

たった2年で陸軍の砲台から除籍されました。当時はこの辺りは深い海だったのですね。

②深浦港

コースには隧道が3ヶ所あり、最初の隧道がこの梅田隧道。

横須賀市はトンネルの数が日本一多いと言われているそうです。

その中でこの梅田隧道は民間人が最初に掘ったトンネル。

1880年代、海岸がほとんど軍用地となり船での移動が難しくなり、険しい山坂を避けるために、

地元の住民有志で私財をなげうって出来上がったのがこの梅田隧道だそうです。

そんな歴史からも横須賀が軍の街であることが窺えます。

 ④海上自衛隊第2術科学校の資料室

海上自衛隊術科学校は海上自衛官の教育訓練を行っている機関のひとつです。

大日本帝国の旧海軍水雷学校の跡地に海上自衛隊の前身、保安庁警備隊の訓練学校が造られ、

それが現在名前を変え海上自衛隊術科学校となりました。

 

学校のすぐ近くにこのような碑と立て看板がありました。

いろいろ勉強になりますね~


そしてやってきました今日のハイライトともいうべきでしょう。

⑤ この日は特別に見学できる海上自衛隊横須賀地方総監部に停泊する数隻の護衛艦!

圧巻、壮観でした。若き海上自衛官は爽やかで溌溂、礼儀正しく、

この自衛官たちに私たち国民は守られているのだと最敬礼したい気持ちでした。ご苦労様です。

夫は乗船し、かなり夢中になっておりましたが、正直、私はよく分かりません

10年前、アメリカサンディエゴで空母ミッドウェイを見学した時と感想は同じす。

ただ、この護衛艦が海原を走り、役に立つことのない世界が本当の平和の世界なのだと感じたりしました。


ゴールは三笠公園⑦。あの有名な記念艦「三笠」が保全されている公園です。

この戦艦「三笠」に関しては説明するには及ばずでしょう。

日露戦争の折、東郷平八郎司令長官率いる艦隊が、ロシアのバルチック艦隊と戦い、

勝利を得た話は、あまりに有名です。近くはNHK「坂の上の雲」でその様子がドラマ化されました。

資料によると大正12年現役を退き、大正15年に記念艦として横須賀に保存されましたが

第二次大戦後、占領軍の命令でマストや大砲が撤去され、動かぬよう固定されそました。

しかし「三笠」をもとの形に戻そうという声が高まり、昭和36年アメリカ海軍の支援もあって、

今の形に復元されたそうです。

入艦も可能ですが、もう私はフラフラ。護衛艦もしっかり見学できたので、外見だけ観て帰路につきました。


仕上げはこちら「軍艦カレー」遅い昼食です。この日の歩数30016歩!疲れた~

昨日の反動です。今日(6日)の歩数たったの1216歩。

 


 

 



コメント (4)
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