年明け間もなく信州新町の道の駅まで出掛けた際、帰りに毎度のことですが違う道を通って見つけた山里のお寺。今日も偶然同じ道を走っていることに気がついて「あのお寺だ」。せっかくなので寄り道。コンデジの写真では表現できませんでしたが薄雲越しの春の柔らかい光で素晴らしい情景でした。
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四月下旬になれば残雪の北アルプスと新緑の絵のような風景が見られるでしょう。
今度来るのを楽しみにして帰路はやはり通ったことのない道を国道19号方面へ。長野市信更の山道は、更に素晴らしい眺めでした。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9e/95618b5a5f974c112707acc91c4d326f.jpg)
私はもっぱら映像に取り組んできて写真は片手間で本気で撮ったことはありません。持論ですが、映像と写真は似て非なる媒体/表現手段だと考えています。(映像と写真、あえて動画と静止画という短絡的、安直な言い方はしません)元より両者に優劣はありません。でも、扱いを間違うととんでもない結果になります。
映像で作品を創るという行為は優れたセンスと時間空間の認識が不可欠です。映像作品を創る上でセオリーなんて、実は一切なくて創り手の独断の世界です。
一方写真はその一枚ですべてを表現しなければなりません。その一枚に時間と空間と作者の思いが詰め込まれていてこそ作品。ただし、変な小理屈は不要で、偶然撮った写真も何も考えずに撮った写真も見る側が受け入れればそれで作品として完結すると思います。
写真については私は言いたいことがあります。言いたいことは山ほどありますが、例としてまずはタイトルについて。頼むから画面の説明をタイトルにしないでくれ。初雪の富士山の写真に「初雪の富士」的なタイトルが多すぎます。そんなのは見ればわかるんでちょっとひとひねりする気はないのかと思っちゃいます。これはおそらく絵画のタイトルの模倣から来ているんだと思います。もうひとつ。いいかげん背景をぼかした写真から脱却したらどう。ぼかすんなら全部ぼかせば。「背景をぼかして主題を浮き上がらせる」のは初心者が必ず陥る罠ですよ。特に望遠で引っ張って背景をぼかすと主題の立体感が失われて平面的になるのがどうしてわからないのか。個人的には望遠レンズで撮った(背景をぼかした)小鳥の写真を全く美しいと思いません。その写真に「ホオジロ鳴く」なんてタイトルをつけたら最悪。
という私も昔8ミリや写真を始めた当時この甘い罠にまんまとはまり込んだ一人です。子供たちが小さかった頃、桃畑で桃の花をアップで撮った写真を彼らに見せたら「ピンボケだ」の一言。目が覚めました。ぼけた背景に桃の花が浮き出した見事な写真が撮れたと自慢したかったのに。あれ以来映像も写真も基本的にパンフォーカスで撮るようになりました。
今日、素晴らしい風景にめぐり合ってメモ代わりに安直なコンデジでスナップ写真を撮りながらそんなことを思い出したり考えたりしました。
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四月下旬になれば残雪の北アルプスと新緑の絵のような風景が見られるでしょう。
今度来るのを楽しみにして帰路はやはり通ったことのない道を国道19号方面へ。長野市信更の山道は、更に素晴らしい眺めでした。
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私はもっぱら映像に取り組んできて写真は片手間で本気で撮ったことはありません。持論ですが、映像と写真は似て非なる媒体/表現手段だと考えています。(映像と写真、あえて動画と静止画という短絡的、安直な言い方はしません)元より両者に優劣はありません。でも、扱いを間違うととんでもない結果になります。
映像で作品を創るという行為は優れたセンスと時間空間の認識が不可欠です。映像作品を創る上でセオリーなんて、実は一切なくて創り手の独断の世界です。
一方写真はその一枚ですべてを表現しなければなりません。その一枚に時間と空間と作者の思いが詰め込まれていてこそ作品。ただし、変な小理屈は不要で、偶然撮った写真も何も考えずに撮った写真も見る側が受け入れればそれで作品として完結すると思います。
写真については私は言いたいことがあります。言いたいことは山ほどありますが、例としてまずはタイトルについて。頼むから画面の説明をタイトルにしないでくれ。初雪の富士山の写真に「初雪の富士」的なタイトルが多すぎます。そんなのは見ればわかるんでちょっとひとひねりする気はないのかと思っちゃいます。これはおそらく絵画のタイトルの模倣から来ているんだと思います。もうひとつ。いいかげん背景をぼかした写真から脱却したらどう。ぼかすんなら全部ぼかせば。「背景をぼかして主題を浮き上がらせる」のは初心者が必ず陥る罠ですよ。特に望遠で引っ張って背景をぼかすと主題の立体感が失われて平面的になるのがどうしてわからないのか。個人的には望遠レンズで撮った(背景をぼかした)小鳥の写真を全く美しいと思いません。その写真に「ホオジロ鳴く」なんてタイトルをつけたら最悪。
という私も昔8ミリや写真を始めた当時この甘い罠にまんまとはまり込んだ一人です。子供たちが小さかった頃、桃畑で桃の花をアップで撮った写真を彼らに見せたら「ピンボケだ」の一言。目が覚めました。ぼけた背景に桃の花が浮き出した見事な写真が撮れたと自慢したかったのに。あれ以来映像も写真も基本的にパンフォーカスで撮るようになりました。
今日、素晴らしい風景にめぐり合ってメモ代わりに安直なコンデジでスナップ写真を撮りながらそんなことを思い出したり考えたりしました。