冒険遊び場(プレーパーク)『たごっこパーク』

心が折れるより、骨が折れるほうがましだ。富士山麓の麓、田子浦港近くの公園と川ではちゃめちゃに遊ぶ子どもたちの日常。

【通算935回目 2019年12月21日(土) 感慨深い副市長視察】

2019年12月21日 | 冒険遊び場たごっこパーク31年度

森田 正郁富士市副市長、伊東こども福祉部長、 小沢 映子市会議員、 笠井 浩 市会議員らが視察に来られました。

森田さんは、ゆめ・まち・ねっとを立ち上げたころ、財政課の職員でした。

当時はその財政課が市民活動支援補助金というのを所管していました。

ゆめまちもその補助金審査にとおり、森田さんにお礼の挨拶に行きました。

助成金を付けてくれたことへの感謝ではなく、審査の際のプレゼンの席上でこういう行政職員もいてくれるんだなぁという発言をされたことへの感謝を伝えるために。
(内容はちょっとここでは書けません)

そのときに森田さんはこうおっしゃいました。
(これもまた詳細は書けないのですが)
「国は子どものことを文部科学省と厚生労働省でやっているけど、一番、市民に近い市役所は、子ども課を作って教育行政も児童福祉行政も一体でやるべきだと思っているんです。
渡部さんたちところは、まさに教育でもなく、福祉でもなく、子どものことをやり始めてくれていますから、大いに期待しています。」

これはまだ活動3年目の僕らにとって、大きな励みになりました。

学年ごとに輪切りをして子どもを育てる教育、障碍や課題ごとに分けて子どもを支援をする児童福祉とは違う視点で子どもに関わり続けるという大きな指針をくださいました。

また、市の学校教育行政は、義務教育終了の15歳でほぼ関わりが切れ、児童福祉行政も法が規定する18歳未満で関わりが切れる中、中学を卒業しても、成人になっても、関わり続ける、必要とされるなら何歳になっても手を差し伸べ続けるという指針もくださいました。

森田さんとの出会いから13年が過ぎ、森田さんは副市長となり、僕らの現場に来てくれました。

学校とは違い、異年齢の子ども・若者が生き生きと交わり遊んでいました。

児童福祉とは違い、障碍のある子どももない子どももその間に位置しそうな子どもも分け隔てなく遊んでいました。

学校に足が向かない子どもも、中卒で働いている子どもも、居場所としてくれていました。

小学生の時から来始め、18歳をはるかに超えた今も来ている若者たちが居場所としてくれていました。

森田さんの期待に応える場を育んでこれたんじゃないかなと思いながら、現在の取り組みをご案内しました。

幼児3人 小学生7人 中学生1人 青年11人 子ども22人 大人23人 計45人

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