労働者は労働を売っているのか?
現象面からすれば労働をして賃金を得ているのですから労働を売っているように見えます。しかし実際は労働力を売っているんです。
企業だってそうでしょう。一人の労働者を雇うとき、この仕事をしてもらいたいと思い雇うわけです。ではこの仕事をしてもらいたいというときにその仕事ができるかあるいはより優秀な形でできるかを見る。それは労働する力を見るわけです。すなわち労働力がその労働者に備わっているかということです。そして企業はその労働者の労働力を買うわけです。
労働力を企業が買って生産手段と結び付けて初めて労働力を消費して労働がはじまります。
ですから労働は売れないんです。労働力を売っているんです。
たとえば労働者は一日8時間労働力を売ったとする。この時に労働者が勘違いをして労働を売ったと意識したら、その8時間の間にどのくらいの労働力を支出されるかわかりません。同じ8時間でも労働密度や強度があります。それによって労働力の支出度は異なってくるでしょう。8時間労働を売ったら今の社会のようなブラック企業が当たり前になってきます。逆に労働力を売ってその密度や強度から労働力の支出度を見るとやはりきついのだから賃金を上げろとなります。賃金を上げろという意識には8時間働いたからとは別に、その8時間の間により多くの労働力を使わされたのだから上げろといえます。こうしてみると賃金は労働力をどのくらい売ったかによって決まる面が見えるでしょう。
労働力の消費度が高くなれば、それは労働時間とその労働時間内の労働の密度や強度によって決まると先に書いたようにその労働力を再生産しなければ次の日も次の月も定年になるまでも働けないわけです。そうするとその労働力の再生産は消費度が高くなれば多くの再生産するための費用や時間が必要になります。それ生活費と休日の時間です。生活費はもちろん賃金額ということになります。
労働力の再生産は、次の世代の労働力を育てることでもあります。今のように少子化になれば労働人口が減って困るということが起きます。ですから自分の体だけではなくて結婚したり子育てしたりする費用も労働力の再生産に必要な額=賃金額ということになります。子供の教育も次の世代の優秀な労働力を育てることですから教育費も大きな再生産費の一部となるでしょう。
この労働力の再生産が追い付かないほど低賃金や長時間労働で休む暇もないということが現れたらどうなるでしょうか。先ほども書いたように少子化やそれ以前に結婚できないということが男女ともに現れます。疲れ切って会社を辞めてしまうというものも出るでしょう。働きすぎて過労死したり自殺したりするという悲惨なことも現れます。労働者の使い捨て状態です。。。。
このように「労働力と労働の違い」を混同してしまうと今のような労働力の再生産もできないような労働力(労働者)の使い捨て社会が正当化されて労働者自らが当たり前と思ったり競争に負けたやつが悪いとなってしまいます。
現象面からすれば労働をして賃金を得ているのですから労働を売っているように見えます。しかし実際は労働力を売っているんです。
企業だってそうでしょう。一人の労働者を雇うとき、この仕事をしてもらいたいと思い雇うわけです。ではこの仕事をしてもらいたいというときにその仕事ができるかあるいはより優秀な形でできるかを見る。それは労働する力を見るわけです。すなわち労働力がその労働者に備わっているかということです。そして企業はその労働者の労働力を買うわけです。
労働力を企業が買って生産手段と結び付けて初めて労働力を消費して労働がはじまります。
ですから労働は売れないんです。労働力を売っているんです。
たとえば労働者は一日8時間労働力を売ったとする。この時に労働者が勘違いをして労働を売ったと意識したら、その8時間の間にどのくらいの労働力を支出されるかわかりません。同じ8時間でも労働密度や強度があります。それによって労働力の支出度は異なってくるでしょう。8時間労働を売ったら今の社会のようなブラック企業が当たり前になってきます。逆に労働力を売ってその密度や強度から労働力の支出度を見るとやはりきついのだから賃金を上げろとなります。賃金を上げろという意識には8時間働いたからとは別に、その8時間の間により多くの労働力を使わされたのだから上げろといえます。こうしてみると賃金は労働力をどのくらい売ったかによって決まる面が見えるでしょう。
労働力の消費度が高くなれば、それは労働時間とその労働時間内の労働の密度や強度によって決まると先に書いたようにその労働力を再生産しなければ次の日も次の月も定年になるまでも働けないわけです。そうするとその労働力の再生産は消費度が高くなれば多くの再生産するための費用や時間が必要になります。それ生活費と休日の時間です。生活費はもちろん賃金額ということになります。
労働力の再生産は、次の世代の労働力を育てることでもあります。今のように少子化になれば労働人口が減って困るということが起きます。ですから自分の体だけではなくて結婚したり子育てしたりする費用も労働力の再生産に必要な額=賃金額ということになります。子供の教育も次の世代の優秀な労働力を育てることですから教育費も大きな再生産費の一部となるでしょう。
この労働力の再生産が追い付かないほど低賃金や長時間労働で休む暇もないということが現れたらどうなるでしょうか。先ほども書いたように少子化やそれ以前に結婚できないということが男女ともに現れます。疲れ切って会社を辞めてしまうというものも出るでしょう。働きすぎて過労死したり自殺したりするという悲惨なことも現れます。労働者の使い捨て状態です。。。。
このように「労働力と労働の違い」を混同してしまうと今のような労働力の再生産もできないような労働力(労働者)の使い捨て社会が正当化されて労働者自らが当たり前と思ったり競争に負けたやつが悪いとなってしまいます。