夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 6月28日(土)「量的緩和からの出口と金融引き締め」

2014年06月28日 22時39分53秒 | 「政治・経済」
ツイッターから
物価上昇を素直に喜べない市場、日銀追加緩和期待がさらに後退 | 国内 | 特集 アベノミクスの波紋 | Reuters。。。出口論=金融引き締め。。。。
かといって今のアベノミクスでの量的緩和の追加や量的緩和をいつまでもだらだらと続けられる条件もない。
物価上昇自体が景気の過熱によるものではない官製経済の結果ですからその物価上昇は似非インフレ(バブル)という悪性の物価上昇。その上に立った出口論は悲惨があるのではないか?(誤字は訂正)

昨夜も書きましたが、今の経済の状態は一つのバブルではないか?
悪性のものでも物価が上がり続けている中で日銀はこれ以上量的緩和を続けることができなくなる状態が出散るならば当然出口論が出てきます。しかしその出口論が今の経済での金融引き締めとなってしまう。80年代のバブル崩壊や小泉政権時の「実感なき景気」の金融引き締め(といわれている)と同じことを日銀はせざるを得なくなってくること自体がある意味現在がバブル状態となっているということではないか?
もちろん80年代バブルは国民生活の上でもある程度の好景気を感じさせるものでしたが、今はその国民にとってはやはり実感のないあるいは逆に生活レベルの後退の中に起きているバブルである。
消費増税では消費の減退から物価を下げる働きが伴うのですが、官製経済においては人為的な政策によって物価は維持され上昇する。この意味において悪性の物価高だが政府も日銀もこの物価高をデフレからの脱却として位置付けるわけでそして景気の好転としても見るわけですから国民生活の疲弊を無視した中でも物価高は続ける。そしてその中で日銀は出口論へ。政府は量的緩和に頼っていたわけですからある意味簡単にその出口論の影響を受ける。ゆがんだバブルはゆがんだ形ではじける。
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「同じ一日」2014年 夏 

2014年06月28日 19時24分30秒 | 「同じ一日」
同じ一日「梅雨らしい静かな雨が降った後、草の繁みからドクダミのにおいがしてきて僕は草の上の雨粒を見つめた。」(6月28日)同
じ一日「ムフフフ・・・・父の日におつまみの器と晩酌グラスセット。。。。プラスチックのような”うすはりタンブラー”」(6月15日)
同じ一日「中野ブロードウェイを抜けたら雷雨だった。。。。史実は作り上げるものではない。」(6月13日)
同じ一日「金のなる木の下からシダのようなものが生えてきた。もちろん名前はわからない。どんな草か楽しみだから抜かないでそのままにしておくことにした。。。。風の贈り物」(6月7日)
同じ一日「乳酸菌と卵の殻。。。糠床ではどのような化学反応や菌の働きや抑制が行われているんだろ。。。。」(6月2日)
同じ一日「強い風。。。。洗濯物がぶつかってアマリリスが2本折れてしまった。花瓶に入れました。。。ううう」(5月26日)
同じ一日「出先でトイレに入った。お尻を洗ってくれるトイレです。なんだか肌寒くていやだなぁと思いつつ尻を洗う。しかし飛び上がってしまった。出てきたのは水。。。。」(5月22日)
同じ一日「実家に行く途中に景色のよい川がある。田植えの時期ですから水が満々と流れる。雑草などが生えた土の低い土手。細い散歩道が見えた」(5月 7日)
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