夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 6月21日(土)「景気と国民生活は比例をするか?」

2014年06月21日 21時58分18秒 | 「政治・経済」
景況感もいろいろな統計や意見集約で行われていますが、実際どのくらい経済は回復したと判断できるのでしょ?
景気自体がどうなっているのかは大切ですが、同時に今の景気の状態を作るのに物価も含めてた民生活や社会保障などがどうなってしまったのか、国家財政はどこに使われるようになったのか。またこの景気を支えるとしてさらに国民生活はどうなるのか。。。。
政府も日銀もデフレからの脱却として物価が上がることが経済の好転と考えているわけですから、円安での輸入品の値上がりと消費増税分の価格転嫁からの値上がり政策的に促進させあるいはこのような悪性の物価高を黙認する。政府も日銀も物価上昇はよいことだとすれば企業も遠慮をしないで価格上昇を行おうとする。国民に降りかかる物価高は円安・消費増税による悪性のインフレに加えて企業の値上げ競争にさらされる。企業利益は上昇をしているとされ、一部には企業は溜め込まないで株主配当に回せとも言われている。そして法人減税である。すべてが経済活動からの自然な形でのデフレからの脱却(不況からの脱却)ではなくて政策的な誘導によって行われる。
この状態が景気の回復とされるのですから景気と国民生活が比例をするかといえばそうではないでしょう。「実感なき景気回復」がまた行われようとしているわけです。
民主党政権の消費増税分は社会保障に回すということをはじめは自民党(安倍政権)も言っていたはずですが、民主党も野田政権時にはすでに消費増税分は公共投資にもと言い出し、安倍政権では死語となっている。負担増と支給の削減が行われる。ここでも国民生活の低下傾向が現れます。
この中で個人消費については「持ち直している」いや「駆け込み需要の反動はみられる」とその判断は右往左往する。企業収益もいまだに法人減税で20%なら国内の設備投資をするといった具合で、今の利益から設備投資の積極性はない。これだけ国民生活を低下させてのこれまでのアベノミクスだがはっきりとした経済の好転は語られない。むしろアベノミクスは道半ばだと残業代ゼロや限定正社員の導入という規制緩和に向かう。株価の支えとして年金積立金を使う。ここには高齢化社会への取り組みの政策はなくて70歳まで働けと語るだけである。もし仮にアベノミクスで経済の好転がありそれが企業や投資家が十分納得するような好景気が生まれると仮定してもその道筋にどれだけの国民生活の低下が行われざるを得ないのか。それは経済問題からの貧困化だけではなくて政治的自由や平等・平和の低下を伴いながら進行をする。
国民総動員体制の生き残り策でしょう。もちろん誰が生き残るためなのかは明らかでしょう。。。。
しかしこの総動員はますます経済や内政の矛盾を広げるだけでしょう。
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